相棒の面影
「ひっ……!? ご、ごめんなさい! すぐに片付けますから、ぶたないで……っ!」
埃まみれの作業台の陰。
みすぼらしい灰色のローブをかぶり、頭を抱えて縮こまる小柄な少女。
ボロボロの制服はサイズの合わないお下がりのようで、袖口は擦り切れ、手首には青あざが痛々しく残っていた。
私はメガネを人差し指でツッと押し上げ、じっと彼女を観察する。
「……殴る理由がありません。ただでさえ少ないカロリーを無駄に消費したくありませんので」
淡々と告げると、少女はおそるおそる顔を上げた。
涙で濡れた大きな琥珀色の瞳。
色素の薄い銀色の髪が、怯えで小刻みに震えている。
「あ……えっと……新入生、の方……ですか? 私、旧錬金棟の管理を申し付けられている、二年の……フィリア・アシュフォード、です……」
フィリア・アシュフォード。
その名を聞いた瞬間、私の思考の歯車がカチリと噛み合った。
(アシュフォード……やはりそうか)
百年前、私の唯一の相方であり、共に『誰でも魔法が使える魔導具』を研究していた魔法騎士隊長――レオン・アシュフォード。
少女の纏う魔力の波形は、あの暑苦しい男の血統そのものだった。
「アシュフォードといえば、かつて英雄を輩出した名門のはずですが。なぜこんなカビ臭い工房に?」
「う……っ」
私の問いに、フィリアは痛む胸を押さえるように身を縮めた。
「私の家は……百年前、魔族討伐戦で味方を危険に晒して逃げ出した『裏切り者の大罪人』の家系だからです……。本当は魔法騎士になりたかったのに、適性も弱くて……学園ではみんなの雑用や、実験の後片付けばかりで……」
(――裏切り者の大罪人、ですか)
思わず、丸メガネの奥の瞳が氷のように冷え切るのを感じた。
あいつが味方を逃がすために殿を務め、背後から味方の貫通魔法で謀殺されたというのに。
黒幕どもは自らの罪を隠すだけでなく、相棒の一族にすべての汚名を着せ、百年もの間、その末裔を泥の中に閉じ込めていたというわけだ。
(……救いようのないクズ共ですね。虫唾が走る)
内心の冷たい怒りを表には出さず、私はため息を一つ吐いて、フィリアの足元に散らばった荷物に視線を落とした。
床には、エリート魔法学科の生徒たちが押し付けたとおぼしき、危険な劇薬の廃液樽や、ボロボロにひび割れた粗悪な魔導杖が転がっている。
「その杖、魔力循環の回路が完全にショートしていますね。そんなもので魔力を流せば、逆流して術者の手首が吹き飛びますよ」
「えっ……!? で、でも、特級クラスの先輩方から『今日の夕方までに修繕しておけ、できなければ承知しない』って……」
「典型的な嫌がらせです。失敗させてあなたに弁償の責任を負わせるか、怪我をさせるのが目的でしょう」
「そ、そんな……どうしよう……私、もうお金もなくて……」
絶望に青ざめ、涙をぽろぽろとこぼすフィリア。
泣き顔まであのバカ騎士に似ていて、どうにも居心地が悪い。
「……はあ。貸しなさい」
私はだらしない白衣のポケットから、自作の調合瓶と細い錬金針を取り出した。
「え、あ、あの……?」
「黙って見ていなさい。時間の無駄です」
私はひび割れた粗悪な杖を手に取ると、錬金硝子越しに魔力回路の亀裂を正確に捉え、調合液を一滴垂らした。
大気中の熱と金属イオンが反応し、ジュウッと微かな燐光が上がる。
針先で回路の接続部をわずかに撫で、強引にエネルギーの流れを迂回させた。
作業時間、わずか十秒。
「はい、修繕完了です。……ついでに、術式の変換効率を元の三倍に引き上げておきました」
「え……? えええっ!? ひ、光ってる……!? 傷が完全に消えて……それに、この杖から感じる魔力が、さっきと全然違う……!?」
目を丸くして杖を抱きしめるフィリア。
私はボサボサの赤毛をがりがりと掻きながら、白衣のポケットに両手を突っ込んだ。
「礼には及びません。それよりフィリア、取引をしましょう」
「と、取引……ですか?」
「私は今日からこの研究棟に住み着くことになりました。エルカ・ラインハルトです。……見ての通り、私は身の回りの雑事や食事の用意、掃除といった時間効率の悪い作業が死ぬほど嫌いです」
私はフィリアの琥珀色の瞳をまっすぐに見据えた。
「私の身の回りの世話と、この工房の管理をしなさい。代わりに――あなたを虐げてきた連中の鼻を明かすだけの『力』と『知恵』を、私が提供してあげます」
「わ、私に……力……? でも私、落ちこぼれで……」
「落ちこぼれなのではありません。あなたの一族の魔力循環は、現代の粗雑な魔法に合っていないだけです。正しく調律すれば、あの程度の貴族など束になってもあなたには勝てません」
かつて、あなたの先祖がそうであったように。
確信に満ちた私の言葉に、フィリアは息を呑み、胸の前でぎゅっと両手を握りしめた。
その瞳に、怯えではない、かすかな希望の光が宿る。
「……わ、私、主様のお世話、なんでもしますっ……! お掃除も、お料理も、洗濯も全部やります……!」
「主様はやめなさい。エルカでいい」
「は、はいっ、エルカ様……!」
全く話を聞いていない。まあいい。
「さて。まずはそのお粗末な杖を押し付けてきた愚か者が、夕方に泣きついてくるのを楽しみに待つとしましょうか」
私はズレた丸メガネをツッと押し上げ、静かに口元を吊り上げた。
百年の歪みを正すための第一歩は、このボロ工房から始まる。




