甘党の錬金術師
「……ふむ。体内の生体循環はほぼ平常値に戻りましたね。自然治癒力の係数は平均以上です」
私がシズクの手首から指を離すと、彼女は正座の姿勢を崩さないまま、キリリと眉を引き締めて深々と頭を下げた。
「感謝する、エルカ殿。……手当てだけでなく、私の刀が死んでいなかったこと、そして進むべき道を示してくれた恩……武士の誇りにかけて、必ずや報いる所存だ」
「報いる必要はありません。元気になったなら、さっさと退出して私の工房の酸素消費量を減らしてください」
私が冷淡に手をひらひらと振ってボロ椅子へ戻ろうとした、その時――
――グゥゥゥゥゥ〜〜ッ。
静まり返った工房の中に、なんとも豪快で情けない腹の虫の音が響き渡った。
「…………っ!?」
シズクの凛々しい表情が一瞬で耳まで真っ赤に染まり、両手で自らのみぞおちを押さえてガチガチに硬直する。
「……誰の消化器官ですか。今の不快な低周波振動は」
「ち、違う! これは、その……東方の武士たるもの、常に腹八分目を心がけており……決して飢えに負けたわけでは……っ!」
「ふふっ、シズクさん、お腹が空いちゃったんですね!」
奥の簡易キッチンから、エプロン姿のフィリアが嬉しそうに顔を出した。
その両手には、湯気を立てる大皿が抱えられている。
「ちょうどお昼ご飯ができたところなんです! シズクさんの分も作ってありますから、一緒に食べましょう!」
「な……私のような行き倒れに、そこまで施しを受けるわけには……」
「あら、遠慮なさることはありませんわ」
優雅にソファへ腰掛けていたセリアが、クスリと笑って立ち上がった。
「フィリアさんの手料理は、公爵家の専属シェフにも引けを取らない絶品ですのよ。食べないと人生の半分を損しますわ」
テーブルに並べられたのは、温かい野菜スープと、香ばしく焼けたパン、そして――フィリアがシズクのために工夫を凝らした、こんがり焼き目のついたおにぎりだった。
「シズクさんの故郷のお話を少し伺って、作ってみたんです。お口に合うといいのですが……」
シズクはおそるおそるおにぎりを手に取り、小さく口に運んだ。
次の瞬間、彼女の切れ長の黒い瞳が、まん丸に見開かれた。
「――っ!? う、美味い……! 米の炊き加減、塩気の塩梅、表面の香ばしさ……故郷の母の味を思い出す……!」
「わあ、よかったぁ!」
フィリアが琥珀色の瞳を細めて満面の笑みを咲かせる。
シズクは先ほどまでの頑なな態度が嘘のように、一心不乱におにぎりとスープを口いっぱいに頬張り始めた。リスのように両頬を膨らませて食べるその姿には、張り詰めた剣士の面影など微塵もない。
「……単純ですね、武術者という人種は。炭水化物を放り込めば即座に手懐けられる」
私が呆れてスープに口をつけようとすると、フィリアが「あ、エルカ様にはこちらです!」と、別のお皿をことりと私の目の前に置いた。
そこには、艶やかなハチミツがたっぷりとかけられた、焼きたてのリンゴのコンポートが乗っていた。
「……フィリア。私は別に、糖分を要求した覚えはありませんが」
「でもエルカ様、午前中に難しい計算をして頭を酷使していらっしゃいましたから! はい、どうぞ!」
「……いただきます」
フォークで一切れ口に運んだ瞬間、私の眉尻がふにゃりと下がり、無意識に口元が緩む。
とろけるような甘みが脳の疲労を急速に溶かしていく感覚に、思わず目を細めて小さく至福の吐息を漏らした。
「…………」
「…………」
それを見ていたシズクが、口にもぐもぐとおにぎりを詰め込んだまま、ぽかんと固まる。
セリアが「ふふん」と勝ち誇ったように胸を張った。
「見たでしょう、シズクさん。この冷徹無愛想な特待生、実は極度の甘党なんですのよ」
「……なっ、誤解です。これは生体維持に必要な糖分の定時補給であって――」
「エルカ殿……」
シズクがゴクリとおにぎりを飲み込み、どこか尊敬と愛おしさが混ざったような熱い眼差しを私に向けた。
「冷徹なる知性の裏に、そのような可愛らしい……いや、無邪気な一面をお持ちであったとは。ますますもって、貴殿という人物に底知れぬ魅力を感じる……!」
「……からかうなら出て行きなさい、武士娘」
赤面してそっぽを向く私と、クスクスと笑い合うフィリア、セリア、シズク。
冷え切っていたはずの工房の食卓は、いつの間にか温かく賑やかな熱気に満たされていた。




