シズク・クサナギ
工房の暖炉で薪がパチリと爆ぜる音と、フィリアが薬草を調合する微かな擦過音。
青い薬瓶の軟膏が効いたのか、ソファに横たえられていた少女の荒い呼吸は、次第に穏やかな寝息へと変わっていた。
「……ん、ぅ……」
やがて、長いまつ毛が震え、黒髪の少女がゆっくりと目を開けた。
黒曜石のように澄んだ、だが酷く張り詰めた瞳が、見知らぬ天井を見上げる。
「気がつきましたか!? よかった……無理に動いちゃダメですよ、まだ傷が塞がっていませんから」
フィリアが優しく声をかけ、白湯の入ったマグカップを差し出す。
少女は一瞬ビクッと体を強張らせたが、フィリアの屈託のない笑顔と、丁寧に巻かれた包帯を見て、警戒を解かないまでもわずかに息を吐いた。
「……お前たちは……? ここは……」
「旧研究棟の工房ですわ。あたくしとフィリアさんで、倒れていた貴女をここまで運んできたのです」
セリアが紅茶のカップをソーサーに戻し、腕を組んで少女を見据えた。
その瞳には、生徒会副会長としての怜悧な光が宿っている。
「名簿で確認いたしましたわ。東方の国『イズモ』からの特例留学生、シズク・クサナギさんですわね? ……なぜあんな無茶をして、救護室の教官たちを振り切ってまで逃げ出したのですの?」
「……っ」
名を呼ばれた少女――シズクは、痛む体を押して身を起こそうとし、自分の手元が空であることに気づいて血相を変えた。
「刀……! 私の、刀はどこだ……っ!?」
「暴れないでください。埃が舞って私の本が汚れます」
作業台で椅子を軋ませ、分厚い本を開いたままの私が、冷淡に視線だけを向けた。
シズクの視線が、作業台の上に置かれた自らの刀へと吸い寄せられる。
「あ……」
無惨に刃こぼれし、熱変色で黒ずんだ愛刀。
シズクは痛む体を引きずりながらソファから這い出し、縋り付くようにその刀を胸に抱きしめた。
セリアはその様子を静かに見つめ、ため息をつく。
「……その刀の状態を見れば察しがつきますわ。演習相手の上級生たちに挑発され、無理に火炎魔術を刀身に込めようとして自壊させたのでしょう? 教官の手当てを拒んだのも、重傷者として記録されれば実戦科から外され、刀を握れなくなるから……違いますかしら」
「…………」
セリアにすべて言い当てられ、シズクは悔しそうに唇を噛み締めた。
「……その通りだ。この国の魔術至上主義者どもは、刀を『魔力を通しにくい時代遅れの鉄屑』と嘲笑う。……見返すために、無理やり強い火炎魔術を刀身に注ぎ込もうとして……結果はこのザマだ。己の未熟さで、父から託された家宝の刀すら焼き殺してしまった……」
「未熟? 自己評価がズレていますね」
私がページをめくりながら平然と言い放つと、シズクがカッと目を吊り上げて私を睨みつけた。
「何だと……!?」
「自責の念に浸るのは勝手ですが、原因の分析が間違っています。……そもそも東方の刀剣は、炭素量の異なる鋼を幾重にも折り重ね、柔軟性と鋭利さを両立させた極限の物理工芸品です。そんな繊細な金属結晶に、現代の粗雑で野蛮な火炎魔術を直接流し込めば、熱膨張の歪みで内部から自壊するのは当たり前の結果ですよ」
「な……っ」
「あなたの鍛錬不足ではなく、運用の仕方が三流なのです。……本来、刀のような精密武具に魔力を乗せるなら、刀身そのものを加熱するのではなく、刃の表面に数ミクロンの『エーテル被膜』を形成させるコーティング術式を用いるか、あるいは柄に魔力循環を整える『増幅調律器』を噛ませるべきです」
スラスラと紡ぎ出される、聞いたこともない魔導工学の理論。
シズクは呆然と口を開け、丸メガネの奥にある私の瞳を見つめ返した。
「そ、そんな術式……学園のどの魔導書にも載っていなかった……!」
「載っているわけがないでしょう。現代の魔術師は魔力出力のゴリ押ししか脳がありませんからね。……刀の特性を活かした術式刻印や、運動エネルギーを三倍化させる補助具の設計なら、私が五分で図面を引くこともできますがね」
「本当か……っ!? なら、私のこの刀を直して――」
「それは無理ですね」
私が即答すると、シズクの表情が凍りついた。
「なぜだ……!?」
「私は学者であり錬金術師です。術式の設計や魔導具の付与は専門ですが、東方の特殊な折り返し鍛造などできるわけがありません。叩いて直すのは純然たる『鍛冶職人』の領域です。今の死にかけた刀にどれほど至高の術式を施したところで、土台の金属強度が足りずに一撃で砕け散りますよ」
私は冷徹に現実を突きつけた。
「この刀を救いたいなら、東方の鋼を扱える本物の鍛冶師を探し出して打ち直させることです。……まあ、私には関係のない話ですがね」
突き放すように本に視線を戻す私。
だが、シズクの瞳の奥には、絶望ではなく――初めて自らの剣の可能性を示されたことへの、熱い光が宿り始めていた。




