焼けた刀
ぽかぽかと暖炉の温もりが満ちる午後。
作業台の上に積み上げた分厚い古代魔導書の隙間に顔を埋め、私は至高の二度寝を満喫していた。
生徒会長ユリウスとの取引により、この旧研究棟は晴れて『暫定管理区域』に指定された。
理不尽な立ち退きも、貴族派閥のくだらない査問も、すべて生徒会の権限でシャットアウトされている。
静寂、温かい空気、そして微かに漂うハチミツの香り。
これこそが私の求めていた理想の研究環境であり、余計な人間関係など爪の先ほども必要としていなかった。
――どおんッ!!
だが、その至福の平穏は、乱暴に開け放たれた工房の扉の音によって無残に打ち砕かれた。
「エ、エルカ様ぁぁーーっ!! た、大変です、早くこれを見てくださいっ!」
「……うるさい。デシベルを下げなさい、フィリア。私の脳細胞が睡眠フェーズから強制送還されて激しい頭痛を訴えています」
私は本に顔を埋めたまま、うっとうしそうに手をひらひらと振った。
だが、工房に飛び込んできた足音は一つではなかった。
「ちょっとフィリアさん、そっちを持ってくださる!? あたくしの制服に煤がついてしまいますわ!」
「セリア様、そこ段差がありますから気をつけて! エルカ様、ソファをお借りしますね!」
バタバタと騒がしい足音と共に、ふかふかのソファに『ドサリ』と重い何かが横たえられる音が響く。
「…………」
私は心底うんざりしながら、ボサボサの赤毛の頭を持ち上げ、丸メガネを指先でツッと押し上げた。
視線の先――
フィリアとセリアの二人が、肩で息をしながら一人の少女を運び込んでいた。
黒髪を後ろで無造作に束ね、見慣れない東方風の装束を纏った小柄な少女。
その体には打撲痕と火傷の跡があり、煤まみれで荒い息を吐きながら意識を朦朧とさせている。
「……何ですかそれは。私は便利屋でもなければ、野良犬を拾う篤志家でもありません。怪我人なら正規の救護室へ連れて行きなさい。」
「それが、連れて行けない事情がありますのよ!」
セリアが乱れたピンクの縦ロールを手で払い、額の汗を拭いながら早口で捲し立てた。
「演習場の事故として教官たちが救護室へ運ぼうとしたのですけれど、この子が『触るな! 手当てなど不要だ!』と頑なに暴れて自力で立ち去ろうとして……演習棟の裏で倒れ込んでしまったのを見つけたんですの!」
「この子、東方から来た留学生のシズクさんっていうんです」
フィリアが心配そうに少女の額に濡れタオルを当てながら言葉を継ぐ。
「救護室で公式に『実技演習による重傷』と診断されると、安全管理の規定で実戦科から座学中心の安全なコースへ強制配置転換されてしまうらしくて……。彼女、どうしても剣の道を諦めたくないからって、教官たちの手当てを拒んで逃げ出して……」
「なるほど。武士の面子と、学校側の杓子定規な安全配慮義務の板挟みですか」
私は小さくため息を吐き、だるそうにボロ椅子から立ち上がった。
学校としては生徒を怪我から守るための当然のルールだ。だが、刃を極めんとする当人にとっては、その『親切な配慮』こそが絶望の宣告になる。
「だからといって、治癒も受けずに放置すれば傷口が化膿して二度と刀を握れなくなりますよ。非合理極まりない意地ですね」
少女のバイタルを一瞥する。魔力ショックと打撲、軽度の熱傷。命に別状はない。
フィリアが手当て用の蒸留水を用意する横で、私は少女の手元から転がり落ちた『ある物』に目を留めた。
――ガシャン。
石畳の床に転がったのは、鞘から半ば抜け落ちた一振りの『刀』だった。
西洋の直剣とは異なる、緩やかな反りを持つ東方の鋼。
だが、その刀身は見るも無残だった。
幾重もの刃こぼれが生じ、刃の表面には素人が無理やり魔力を流し込んで焼き焦げたような、醜い熱変色の跡がこびりついている。
「…………」
私のジト目が、わずかに細められた。
「……酷い扱いですね。道具に対する冒涜です」
「え……?」
フィリアが包帯の手を止めて見上げる。
私は床からその刀を無造作に拾い上げ、特製の錬金硝子越しに刀身の結晶構造をスキャンした。
「東方の高度な折り返し鍛錬で作られた高純度鋼……本来なら美しい結晶構造を持つべき刃が、下手くそな魔力注入の熱膨張で内部からズタズタに破壊されている。……道具の物理特性を何一つ理解していない証拠です」
「そ、それは……演習の相手だった上級生たちに『魔法も乗せられないナマクラ』だと挑発されて、無理に火炎魔術を込めようとして自滅したそうですわ……」
セリアがいたたまれない表情で呟く。
「魔力至上主義の馬鹿どもがやりそうな浅知恵ですね。……熱力学の基礎すら知らない猿が、至高の鍛造技術を火遊びで台無しにするとは」
私はボロボロの刀を無造作に作業台へ放り投げた。
「フィリア、治癒魔術ではなく、作業棚の第三層にある青い薬瓶の軟膏を使いなさい。無理に魔力を流せば東方の生体循環と干渉して悪化します。……セリア、騒ぐなら紅茶を淹れなさい。私の安眠を妨害した罪は重いですよ」
「も、もう! 人使いが荒いですわね!」
「ふふ、エルカ様、ありがとうございます!」
文句を言いながらも的確に薬を指示する私に、フィリアは嬉しそうに笑って少女の手当てを始めた。
外から持ち込まれた、あまりにも面倒な厄介事。
「まったく、厄介事は尽きませんね」




