筆頭錬金術師の実力
黒革の手帳にびっしりと書き込まれた、王立大書架を統括する最上級の防護陣。
三系統の魔力循環が複雑に絡み合い、幾重もの詠唱式と幾何学陣が幾層にも重なるその図面は、現代の最高峰魔術師たちが知恵を絞り尽くした証でもあった。
セリアが横から覗き込み、顔を青ざめさせる。
「こ、これは……三つの独立した大結界を無理やり一つに接続している構造……!? 計算式があまりにも膨大すぎて、一箇所数値を動かすだけで全体の均衡が崩壊しますわ……! こんなの、数式演算の専門チームが半年かけても解けるかどうか……っ!」
ユリウスは腕を組み、冷徹な視線で私を見下ろしていた。
彼自身、この難題に何週間も頭を悩ませてきた一人だ。解けるはずがない――そう確信して突きつけた無理難題。
だが。
「……はあ。宮廷魔術師団の給料を全額国庫に返納させるべきですね。見るに堪えない惨状です」
私は手帳を一瞥しただけで、心底あきれ果てたようにため息を吐いた。
「 貴様、当代最高峰の宮廷魔術師たちを愚弄すると?」
「事実を述べているだけです。……ペンを貸しなさい、インクの無駄遣いになりそうですが」
私は赤インクのペン先を走らせ、手帳の中央――術式の要であるコア部分へ、迷いなく真っ赤な巨大な×印を書き殴った。
「ちょっ……貴女、何をして――!?」
セリアが悲鳴を上げる。
「いいですか皇太子殿下。あなたの言う『謎の魔力干渉』とやらは、三系統の接続部分で起きているのではありません。……根本の前提が、そもそも間違っています」
私はペン先で、手帳の第1階層に刻まれた古い定数式をコツコツと叩いた。
「百年前の理論では、エーテルの透過係数を『三・一四』の固定値で計算していました。しかし、現在の大書架の敷地は、地下水脈の魔力濃度の変動により透過係数が『三・二八』まで上昇している。……にもかかわらず、あなた方は百年前に決められた古い数式を神聖視して盲信し、そのまま数式を無理やり組み上げている」
「……っ!?」
ユリウスの切れ長の青い瞳が、微かに見開かれた。
「大元の土台の数字がズレているのに、その上にいくら頑丈な柱を建てても傾くに決まっているでしょう。……ほら、ここの接続部の補助式を三行削除。この係数を補正値で上書きし、循環ルートを時計回りから『黄金螺旋』へ変更」
サラサラサラ……と、私の手によって手帳の余白に極限まで簡略化された幾何学陣が描かれていく。
無駄な修飾句はすべて削ぎ落とされ、本質的な数式だけが美しく並べ替えられていく。
「――はい、完了です。所要時間は四十五秒。私の睡眠時間を三分ほど消費させられましたね」
パタン、と手帳を閉じてユリウスの胸元へと突き返す。
「…………」
ユリウスは無言で手帳を受け取り、ページを開いた。
彼ほどの頭脳を持つ男であれば、そこに記された数式の圧倒的な美しさと、完璧な調和を理解するのに言葉は不要だった。
三系統の衝突が綺麗に解消され、魔力効率は従来の三倍以上に跳ね上がっている。
国家予算レベルの研究費を投じても解けなかった大結界の欠陥が、目の前のだらしない赤毛の少女の走り書きによって、完全に解体・再構築されていた。
「嘘……嘘でしょう……!? あの複雑怪奇な大結界が、こんなシンプルな数式で動くというのですの……!?」
セリアが手帳を覗き込み、わなわなと震えている。
「フィリア、温かいお茶のおかわりを。頭を使って少し糖分を消費しました」
「は、はいっ! すぐにお淹れします、エルカ様!」
お茶を待つ私の前で、学園の絶対的頂点たる生徒会長は、手帳を見つめたまま完全に言葉を失い、石のように立ち尽くしていた。




