大掃除
――ガタゴト、ガタゴト! キュッ、キュッ、サッサッ!
(……うるさい。極めて不快な騒音レベルです……)
朝日の差し込む旧錬金棟。
私は作業台の上に突っ伏したまま、ボサボサの赤毛の頭を抱えて低く呻いた。
昨夜は新たな魔導具の研究に没頭し、気づけば一睡もせぬまま夜が明けていたのだ。
極限の睡魔と酸欠で脳の思考回路が停止しかけている。今すぐこの場ですべての活動を停止し、八時間は昏睡したい。
それなのに――
「――そこ! 隅の蜘蛛の巣を徹底的に払ってくださいまし! 床の石畳には公爵家秘伝の魔導ワックスを三度塗りですわ! 埃ひとつ残してはヴァレンシュタイン家の名折れですことよ!」
甲高く凛とした、だが今の私の頭蓋骨には直接響くピンク色の声。
薄目を開けて丸メガネの奥から睨みつけると、そこには見事な縦ロールを揺らし、腕を組んでビシバシと指示を飛ばすセリアの姿があった。
さらにその周囲では――
燕尾服を着こなしたセリアの専属従僕たち十数名が、無駄のない洗練された高速の身のこなしで、埃まみれだった旧錬金棟をピカピカに磨き上げていた。
プロの執事やメイドたちによる、圧倒的な人海戦術である。
「フィリアさん、こちらに新しい最高級のレースカーテンをお持ちしましたわ! 窓のサイズに合わせて調整いたしましょう!」
「わぁぁっ、ありがとうございますセリア様……! エルカ様、見てください! 窓が透き通って、お日様がこんなに入ってきますよ!」
エプロン姿のフィリアが、雑巾を手に満面の笑顔で飛び跳ねている。
すっかりセリアと打ち解け、楽しそうに大掃除に加わっていた。
「……騒音令嬢」
私は作業台から顔だけを微かに持ち上げ、死んだ魚のようなジト目でセリアを射抜いた。
「私の……神聖な睡眠時間を……何の権利があって侵害しているのですか……。公害で訴えますよ……」
「なっ……! 公害とは心外ですわ! 昨日ここで勉強させていただいて痛感いたしましたの! 埃っぽくて薄暗い劣悪な環境では、効率的な魔導研究など望めませんわ! これは我がヴァレンシュタイン家からの『環境保全支援』ですことよ!」
「頼んで……いません……。私はただ……寝たいだけです……」
「大体、女の子がそんなボサボサ頭で作業台に突っ伏して寝るなんて、淑女の風上にも置けませんわ! ほら、執事長! エルカ特待生を運んで差し上げなさい!」
「かしこまりました、お嬢様」
「ちょっ……触るな筋肉……」
私の微弱な抵抗など意に介さず、銀髪の老執事が一礼すると、私は椅子ごと軽々と抱え上げられた。
そのまま、いつの間にか工房の奥へ運び込まれていた『天蓋付きの超高級ふかふかベッド』へと、ぽすん、と丁重に放り出される。
「な……何ですか、この無駄に反発係数の高い軟体構造物は……」
「我が公爵家御用達の、特注羽毛ベッドですわ! さあ、シーツの温もりを噛み締めて、存分にお眠りなさいな!」
ふわりと被せられたシルクの掛け布団から、甘やかなラベンダーの安眠香が漂ってくる。
徹夜明けの限界を迎えていた私の身体は、あまりの極上の寝心地と心地よさに、一瞬で抗う力を失った。
(……くっ、資本主義の暴力……。ですが、悔しいけれど……極上の……沈痛効果……)
「エルカ様、温かいミルクも枕元に置いておきますね。ゆっくりおやすみなさい!」
フィリアが優しく毛布を肩まで引き上げてくれる。
「……フィリア……後で……覚えていなさい……すぅ……」
文句を言い切る前に、私の意識は深い闇の中へと心地よく沈んでいった。
数時間後。
目を覚ました私がメガネをかけ直し、天蓋から顔を出すと――
そこは、もはや見慣れた廃墟の旧錬金棟ではなかった。
壁の亀裂は綺麗に漆喰で埋められ、磨き抜かれた石畳は陽光を反射して白銀に輝き、窓辺には優雅なレースカーテンが揺れている。
埃とカビの臭いは完全に消え去り、部屋全体が清潔なアロマの香りで満たされていた。
そしてテーブルでは、セリアとフィリアが仲良く並んで、セリアの持参した高級焼き菓子をつまみながら魔導書を広げていた。
「あら、お目覚めですのね、エルカ特待生。……見違えるように快適になりましたでしょう?」
ツンと誇らしげに胸を張るピンク髪の公爵令嬢。
私はボサボサの赤毛をポリポリとかきながら、完璧に整えられた我が城を見渡して、深いため息を吐いた。
「……私の無秩序という名の機能美が、跡形もなく消え去っていますね。これでは片付きすぎていて、どこに試薬を置いたか探す手間が増えました」
「素直に感謝なさいな、この偏屈赤毛――!!」
キーッと怒鳴るセリアと、「あはは……」と苦笑いするフィリア。
静かだった旧錬金棟は、完全に賑やかな『放課後の溜まり場』と化していた。




