失われた欠陥術
「――猛き焔よ、我が敵を呑み込め! 『火炎弾』!」
「――凍てつく氷槍よ、貫き穿て! 『氷結槍』!」
風紀隊の精鋭たち十数人が、一斉に杖の切先を私へと向けた。
夕暮れの薄暗い前庭に、幾重もの色鮮やかな魔方陣が展開される。
渦巻く紅蓮の火球、空気を凍らせる鋭利な氷槍――放たれたのは、対人制圧用としては過剰なまでの第三階梯の複合術式だ。
「これでもまだ減らず口を叩けるかしら!」
後方でセリアが叫ぶ。
直後、轟音と共に熱波と冷気の奔流が、私の立つ工房の入り口へ向けて殺到した。
並の魔術師であれば、防壁を張る暇すらなく炭化するか氷漬けになる一撃。
だが――
(……術式の結合点が丸見えですね)
私は身じろぎ一つせず、丸メガネを指先で押し上げた。
特製の錬金硝子を通した私の網膜には、迫り来る炎と氷が『炎』や『氷』としては映っていない。
大気中の熱エネルギーと水分を強引に励起させている、無数の粗雑な魔力コードの束。
その中心には、術者たちの焦りと傲慢さが生み出した、致命的な周波数のズレが存在していた。
「火属性の波長が微量に、氷属性の結合角が百五度。……お互いの属性が干渉し合って、中心部で相殺を起こしかけています」
私は腰のベルトから、銀色の細身のシリンダー型魔導具――『錬金調律器』を抜き放った。
親指でシリンダー側面のダイヤルを回し、先端のノズルから極小の銀色粉末(反転触媒)を大気中へ散布する。
そして、静かに唇を紡いだ。
「――理を解き、調和へ帰せ」
短く、流麗な古語。
無駄な修飾語を削ぎ落とした、現象の本質を直接書き換えるための最短の起動式。
散布された触媒粉末が、エルカの調律器から放たれた微弱な共振波を受け、不可視の幾何学陣を描いて大気中に展開する。
その瞬間――
シュゥゥゥ……ッ。
工房の目前まで迫っていた猛烈な火球と鋭利な氷槍が、まるで冷水をかけられた湯気のように、音もなく一瞬で霧散した。
残ったのは、夕風に運ばれてきた生ぬるい空気と、わずかな水蒸気だけ。
爆音も、衝撃も、何一つ起こらない。
「…………は?」
風紀隊の生徒の誰かが、間の抜けた声を漏らした。
杖を構えた十数人のエリートたちが、目を見開き、口をぽかんと開けて固まっている。
「な……なにが……起きた……?」
「攻撃魔法が……消えた……!? 防御結界すら張っていなかったぞ!?」
「魔力を持たないはずの女が……今、何を唱えたんだ!?」
ざわめきが急速に広がり、パニックが風紀隊を侵食していく。
「動揺するな! 風属性で足元を払え! 同時に拘束術式を――」
隊長格の男子生徒が慌てて叫び、再び杖を掲げようとした。
「遅いですね。手元の魔力が乱れています」
私は白衣のポケットに左手を突っ込んだまま、右手から調律器の切先を、隊長格の男子生徒の足元の地面へ向け放った。
地面の敷石に埋め込まれていた土属性の微弱魔力が、調律器を通じて励起される。
「――地を揺らし、沈黙せよ」
ズン……ッ!
「うわあっ!?」
隊長格の足元の敷石だけがピンポイントで数センチ隆起し、激しい振動波を放った。
重心を崩された男子生徒は、杖の照準を大きく狂わせ、詠唱を噛んでその場に無様に転倒した。
魔力の逆流を起こし、手元の杖の先端から黒煙がプシュプシュと吹き上がる。
「だ、隊長……!?」
「ば、化け物……! 魔法を使わずに、俺たちの術式を全部潰してやがる……!」
恐怖に怯え、後ずさりする風紀隊の生徒たち。
私はボサボサの赤毛を鬱陶しそうにかき上げ、ズレたメガネを人差し指で押し直した。
「魔法とは、世界に満ちる物理法則と環境魔力を借用する技術に過ぎません。その大元の数式を理解していないあなた方の魔法など、私にとっては積み木崩しよりも簡単ですよ」
冷え切ったジト目でエリートたちを見下ろす私。
その視線の先で――
「――全員、下がりなさい!」
怒りと屈辱でピンク色の縦ロールを震わせたセリアが、風紀隊を押し退けて前に踏み出てきた。




