第8話 没落令嬢エルザ
その女が拠点に乗り込んできたのは、よく晴れた昼下がりだった。
「ごめんあそばせ! ここに、ミストとかいう召喚士がいると聞きましたの!」
扉を蹴破る勢いで現れたのは、豪奢な――いや、よく見ると少しほつれた――ドレスを纏った令嬢だった。歳は俺と同じくらいか。鮮やかな紅色の髪を縦に巻き、胸を反らし、顎をこれでもかと持ち上げて、見下すようにこちらを睨んでいる。
「あなたがミスト? ふん、噂ほどの大物には見えませんわね。もっと厳めしい御方かと思っておりましたのに」
「……誰だ、あんた」
「まあ! わたくしを知らないとおっしゃるの!?」令嬢は、わなわなと震えた。「わたくしはエルザ・フォン・グラナート! 名門グラナート伯爵家の令嬢ですわよ! ……まあ、その、家は、ちょっと、事情がありまして、没落、しましたけれど……」
最後の方は、急に声が小さくなった。
「とにかく!」気を取り直すように、エルザはまた胸を張った。「わたくし、あなたに依頼があって参りましたの。光栄に思いなさい。このわたくしが、平民の召喚士に頭を下げに――いえ、下げてはいませんわ! 対等な取引に来てさしあげたのですから!」
フレアが、俺の袖をつんつん引っ張った。
「ねえミスト……この人、なんか、うるさいね」
「こら! 聞こえておりましてよ、そこの獣人の娘! うるさいとは何ですの、失礼な!」
『くく』壁際の羅睺が、珍しく愉快そうに喉を鳴らした。『面白い娘が来たな。この家、ずいぶん静かだったゆえ、ちょうどよい』
※
落ち着かせて話を聞くと、エルザの事情はこうだった。
グラナート伯爵家は、かつて辺境一帯を治めた名門だった。だが先代の代で没落し、今やエルザに残されたのは、誰も寄りつかない一つの旧領のみ。
「その旧領が……"呪われている"んですの」
エルザは、急に表情を曇らせた。さっきまでの高飛車な態度が、嘘のように。
「グラナートの森――昔から、不吉な土地だと言われていました。森に入った者は、悪夢を見る。"見られている"という感覚に苛まれて、二度と戻ってこない者もいる。だから領民たちは、森を恐れて……今では、その近くの村も、人が減る一方ですの」
「それで、俺に?」
「ええ。あなた、封じられたものを祓う力があるのでしょう? 噂で聞きましたわ。夜叉だの、炎の少女だの……。だったら、グラナートの森の"呪い"も、なんとかできるかもしれない。そう思って……」
エルザは、ぐっと唇を噛んだ。それから、深々と――頭を下げた。
「お願い、しますわ。あの森の呪いを、解いてください。領民たちが、安心して暮らせるように。報酬は……正直、ほとんど払えませんけれど。それでも、わたくし、領主として……あの人たちを、放っておけませんの」
さっきまでの高慢ちきな令嬢は、そこにいなかった。
頭を下げているのは、没落してなお、領民を想う一人の領主だった。プライドの高さは、たぶん、強がりだ。没落しても、誇りだけは捨てまいと、必死に背筋を伸ばしている。本当は、心細くて、領民のために頭を下げることだって厭わない、熱い心を持った娘なのだ。
俺の目には、それが見えた。
「……いいぜ。引き受ける」
「ほ、本当ですの!?」エルザが、顔を上げた。その目が、ぱあっと輝く。「あ、ありがとう……! いえ、ありがとうございますわ! さすが、わたくしが見込んだだけの――」
「報酬は要らない。困ってるなら、それでいい」
「……っ」
エルザの顔が、みるみる赤くなった。
「な、なんですの、その……! 施しのつもり!? わたくし、グラナート家の令嬢ですのよ! タダで助けてもらうなんて、そんな、惨めな……!」
「じゃあ、解決したら飯でもおごってくれ。それで貸し借りなしだ」
「……っ、め、飯って……あなた、令嬢に向かって、飯って……!」
わたわたと慌てるエルザを見て、フレアがくすくす笑った。ヴァナ(仔狼サイズ)が、面白そうにエルザの足元の匂いを嗅ぐ。
「ひゃっ!? な、なんですのこの狼! ち、近寄らないでくださ……あら、ふわふわ……いえ! 近寄らないで!」
なんというか――騒がしい娘だった。
だが不思議と、嫌な気はしなかった。これまで、静かで達観した連中ばかりだった俺の周りに、急に賑やかな風が吹き込んだような。そんな感じだった。
※
その夜。
エルザは「宿を取るお金が……」と言いかけて、慌てて「い、いえ! グラナート家の令嬢たるもの、野宿くらい平気ですわ!」と見栄を張ったので、俺は呆れて、拠点に泊めてやることにした。
フレアが「いっしょに寝よ!」と引っ張っていき、エルザは「け、結構ですわ!」と言いつつ、満更でもなさそうについていった。
その様子を眺めながら、俺は羅睺に尋ねた。
「羅睺。グラナートの森の"呪い"、どう見る」
『ふむ』人型の羅睺が、目を細めた。『あの娘の話を聞く限り――"見られている"感覚、悪夢、人を遠ざける力。これは、おそらく』
羅睺の声が、低くなった。
『"視る"ことを司る存在だ。それも、見てはならぬものまで視通す、忌まれた妖。――また一つ、封じられたものが、お前を待っているようだぞ、縁の子』
俺は、窓の外、闇に沈むグラナートの森の方角を見つめた。
見られている――その感覚。見てはならぬものを視通す、忌まれた存在。
これまでの羅睺、カルラ、ヴァナとは、また毛色が違う。力でねじ伏せる存在ではない。だが、だからこそ――その"視る力"は、戦いとは別の意味で、俺たちにとって大きな意味を持つかもしれない。
そして、もう一つ。
俺は、はしゃぐエルザを、そっと見た。
没落してなお、誇りと熱を失わない娘。強がりの裏に、折れない芯を持った娘。
もし、その森の妖を喚び出すことになったとき――それを宿せる器が必要になるのだとしたら。
その器に、ふさわしい人間に、心当たりがある気が、していた。
「……まあ、まずは森に行ってからだな」
俺は呟いて、賑やかな夜を、もう少しだけ眺めていた。




