3話 値札のついた少女
辺境の町ハルバに腰を据えて、半月が過ぎた。
穴蔵喰らいを討伐した一件以来、ギルドでの俺の扱いは一変していた。「召喚士のひよっこ」と嗤っていた連中は、今では俺と目を合わせようとしない。リタは依頼を回すたび「無理しないでね」と気遣ってくれるようになった。
稼ぎも安定してきた。難易度の高い依頼を羅睺と片付ければ、報酬は冒険者数人分。宿暮らしには十分すぎる金が、懐に溜まり始めていた。
「金が貯まったら、何をするのが正解なんだろうな」
宿の窓辺で呟くと、人型の羅睺が壁にもたれて答えた。
『さてな。我は金というものに縁がなかった。だが——使い道は、いずれ向こうからやってくるものだ。縁とは、そういうものよ』
その言葉が予言めいて聞こえたのは、たぶん偶然じゃなかった。
※
その日、俺は市場の外れを歩いていた。
ハルバの市場は、辺境にしては賑わっている。中央では扱えない裏物——密輸品や、出所の怪しい魔道具——がこっそり売られているからだ。そして、その一角には、目を背けたくなる商いもあった。
奴隷市だ。
辺境では、まだ奴隷の売買が黙認されている。借金のかたに売られた者、戦で攫われた者、そして——人としての価値を認められなかった、亜人や獣人たち。
俺は、そういうものを見るのが好きじゃない。足早に通り過ぎようとした。
そのとき、声が聞こえた。
「ほら、こいつなんてどうだ。獣人の小娘だ。タダ同然でいいぜ」
下卑た商人の声。俺は、つい足を止めてしまった。
檻の中に、少女がいた。
歳は十二、三といったところか。頭には獣の耳。腰からは、力なく垂れた尻尾。ぼろぼろの服。痩せこけた体。そして——光のない、虚ろな目。何度も殴られたのだろう、頬には痣が浮いていた。
「こいつぁ"出来損ない"でな」商人は、客に向かって嗤った。「獣人ってのは身体能力が売りなのに、こいつは病弱で力もねえ。"火"の魔力持ちのはずが、それも発現しねえ。客の前で芸もできねえ穀潰しよ。買い手がつかなくて困ってたんだ。なんなら銅貨数枚でくれてやる」
少女は、何の反応も示さなかった。値札をつけられ、嗤われ、それでも——もう、抵抗する気力すら残っていないようだった。
俺は、その少女を見ていた。
そして、気づいてしまった。
召喚士の目は、本来「格」を見抜くためにある。俺はずっと自分の召喚が無能だと思っていたが、辺境に来てから少しずつ分かってきたことがある。俺の目は、ただ召喚獣の格を見るだけじゃない。"秘められた本質"そのものを、見抜いてしまうらしいのだ。
そしてその目に、檻の中の少女は——とんでもないものとして映っていた。
(……なんだ、これは)
虚ろな少女の奥に、眠っている。とてつもなく大きな"火"が。発現していないんじゃない。封じられているんだ。本人すら気づかないほど深くに、まるで器が大きすぎて、本人の心がそれを受け止めきれずにいるかのように。
この子は、出来損ないなんかじゃない。
ただ、誰も——本人すら——その本当の価値に、気づいていないだけだ。
俺と、同じように。
「その子を買う」
気づけば、そう言っていた。
※
「いくらだ」
「お、おう。物好きだな、兄ちゃん。銅貨五枚でいい」
俺は銀貨を一枚、商人に放った。釣りはいらない、という意味だった。商人は目を丸くして、それからにやにやと檻を開けた。
「毎度あり。せいぜい可愛がってやんな」
その下卑た笑いには、反吐が出た。だが言い返す価値もない。俺は少女の手を取った。骨ばった、冷たい手だった。
少女は、俺を見上げた。光のない目で。そして、ぼそりと言った。
「……どうせ、あんたも。すぐ、捨てるんでしょ」
掠れた声だった。期待することを、とうに諦めた声。
俺は、少し考えてから答えた。
「捨てない。少なくとも、お前が出来損ないだなんて思ってないからな」
「……うそ。あたしは、出来損ないだもん。火だって、出せないし」
「出せるさ。お前の中には、とんでもない火がある。誰も気づいてないだけだ」
少女が、初めて、まっすぐ俺を見た。
その目に、ほんのわずかだけ——光が戻った気がした。
「名前は?」
「……フレア」
「フレア、か。いい名前だ」俺は微笑んだ。「火の名前だ。お前にぴったりだよ」
※
宿に連れ帰り、まずは飯を食わせ、傷の手当てをした。フレアは最初こそ怯えていたが、温かいスープを前にすると、堰を切ったように貪り始めた。よほど飢えていたのだろう。
その様子を、人型の羅睺が興味深そうに眺めていた。
『——縁の子。お前、自分のしたことが分かっておるか』
「拾っただけだ」
『拾った、で済む娘ではないぞ。あの子の内に眠る火、我の目から見ても相当なものだ。発現すれば、そこらの魔導士など束で焼き尽くせる。……お前という男は、本当に、見える目をしておるな』
スープを掻き込んでいたフレアが、ふと顔を上げた。
「……ねえ。あんたたち、さっきから話してる、その、もう一人の声……あたしにも聞こえるんだけど」
俺と羅睺は、顔を見合わせた。
普通の人間に、羅睺の声は聞こえない。聞こえるのは、召喚に深く関わる素質——強い魔力の器を持つ者だけだ。
『くく』羅睺が、楽しげに喉を鳴らした。『やはりな。面白いものを拾ったものだ、縁の子』
俺はスプーンを置いて、フレアに向き直った。
「フレア。お前に、ひとつ訊きたい」
「な、なに……?」
「お前の中の火を、目覚めさせてみたいと思わないか。出来損ないじゃない、本当のお前を——見てみたいと思わないか」
フレアは、しばらく俺を見つめていた。
それから、痩せた頬を、くしゃりと歪めた。泣き出しそうな、けれど確かに笑顔だった。たぶん、ずいぶん久しぶりの。
「……うん。見て、みたい」
こうして、俺の辺境暮らしに、二人目の同居人が増えた。
夜叉と、獣人の少女と、ハズレ召喚士。傍から見れば、ずいぶん奇妙な顔ぶれだろう。
だがこのとき、俺は確信し始めていた。中央で無能と蔑まれた俺の目は——本当は、誰も気づかない価値を見つけ出す、特別な目なのかもしれない、と。
そしてその確信は、これから先、何度も証明されていくことになる。




