第15話 還る場所
その夜、俺は夢を見た。
何もない、白い空間。そこに、俺は立っていた。
目の前に、黒衣の存在がいる。だが、敵意は、なかった。ただ、静かに、俺を見つめている。フードの奥の虚無が、どこか、懐かしそうに。
『……ようやく、二人で話せるね』
黒衣が、言った。
『これは、君の夢の中だ。ここでなら、邪魔は入らない。――聞いてほしい話が、あるんだ。君が、何者なのか、という話を』
俺は、身構えた。だが、逃げる気は、なかった。知りたかったからだ。俺自身の、正体を。
「……話せ」
黒衣は、ゆっくりと、語り始めた。
※
『遠い、遠い昔。この世界が、まだ形を持たなかった頃の話だ』
『世界には、二つの力があった。一つは、"封じる力"。混沌を律し、秩序を作り、世界に形を与える力。もう一つは、"解き放つ力"。秩序を緩め、可能性を広げ、世界に変化を与える力。――この二つが釣り合うことで、世界は、保たれていた』
『私は、その"封じる力"から生まれた存在だ。世界の秩序そのもの。混沌を封じ、世界の形を守る者。――そして、君は』
黒衣が、俺を指さした。
『君は、その"両方"から、生まれた』
「……両方?」
『そうだ。封じる力と、解き放つ力。本来、決して交わらぬはずの二つが、ただ一度だけ、交わって生まれた、奇跡のような存在。それが――君だよ、ミスト』
俺は、言葉を失った。
『だから、君には、禁忌を喚べる。封じられたものを、解き放てる。封印を、自在に操れる。――封じる力と、解き放つ力。その両方を、生まれながらに、併せ持っているからだ』
『そして、君の影に棲むあれ――あれは、君が"解き放つ力"の側面を持つがゆえに、君に引き寄せられ、宿ったもの。世界の理が形を持つより前から在った、最古の混沌。封印という概念の、さらに外側にある存在。――その名を、私は知っている』
黒衣の声が、低くなった。フードの奥の虚無が、わずかに、揺れた。
『イア』
その瞬間。
俺の影が――いや、夢の中の俺の足元の闇が、ぞわりと、蠢いた気がした。
『それが、あれの名だ。世界の蓋。原初の混沌。決して、目覚めてはならぬもの。……君が、それを従えているという事実が、君の出自を、何より雄弁に物語っている』
※
「……なんで」俺は、掠れた声で尋ねた。「なんで、俺なんかが、そんなものから生まれたんだ」
『偶然だよ』黒衣は、静かに答えた。『あるいは、世界の、気まぐれかもしれない。封じる力と解き放つ力が、ほんの一瞬、釣り合いを崩して、混じり合った。その隙間から、君は、人として、この世に生まれ落ちた』
『君は、ずっと、自分を"無能"だと思っていただろう。雑魚しか呼べない、ハズレの召喚士だと。だが、それは違う。君の力が、あまりに規格外で、人の物差しでは、測れなかっただけだ。安物の触媒では、君の本当の力は、目覚めなかった。――皮肉な話さ。世界で最も特別な存在が、世界で最も無能だと、嗤われていたのだから』
俺は、拳を握りしめた。
中央で、無能と嗤われた日々。安物の魔石を渡され、雑魚しか呼べないと蔑まれた日々。それは――俺の力が、人の理解を、超えていたから。
「……それで」俺は、顔を上げた。「お前は、俺をどうしたいんだ。なんで、世界中の封印を破って回ってる。なんで、俺を狙う」
黒衣は、しばらく、沈黙した。
そして――その口から漏れたのは、意外な言葉だった。
『世界を、終わらせるためだ』
※
『この世界は、もう、限界なんだ』
黒衣が、静かに語り始めた。
『長い年月の中で、封じる力と解き放つ力の釣り合いは、崩れていった。世界は歪み、綻び、あちこちで、破綻が始まっている。君が見た、ヴェルダンの厄災。あれは、その綻びの、一つに過ぎない。放っておけば、世界は、無秩序に、苦痛に満ちた形で、崩壊していく』
『だから、私は決めた。――いっそ、すべてを"封じよう"と。世界のすべてを、混沌ごと、完全に封じ込め、無に還す。そうすれば、苦しみも、綻びも、すべて、終わる。新しい世界が、また一から、始められる』
『そのために、私は、各地の封印を破って回っている。封じられたものたちを解き放ち、世界の歪みを、一点に集めている。すべてが集まったとき、私は、それを丸ごと封じ、この世界を、終わらせる』
俺は、ぞっとした。
封じられた存在を、苦痛のまま解き放ち、世界ごと、無に還す。それが――黒衣の、目的。
「ふざけるな」俺は、吐き捨てた。「お前のやってることは、ただの、皆殺しだ。ヴェルダンで死んだ連中も、苦しんで散った厄災も、お前が、勝手に巻き込んだんだ!」
『そうだ。私のやっていることは、残酷だ』黒衣は、否定しなかった。『だが、これは、慈悲でもある。歪んだ世界が、ゆっくりと、苦痛の中で崩壊していくよりは、一思いに終わらせた方が、いい。――そう、私は信じている』
『そして、ミスト。君がいる限り、私の計画は、完成しない』
黒衣の声に、初めて、切実な響きが混じった。
『君は、封じる力と、解き放つ力、その両方を持つ。私が世界を封じようとすれば、君は、それを解き放てる。私が綻びを集めれば、君は、それを救ってしまう。――君は、私にとって、唯一の、"邪魔者"なんだ』
『だから、頼む』
黒衣が、俺に、手を差し伸べた。
『私と、共に来てくれ、ミスト。君と私は、同じ根から生まれた、表裏一体の存在だ。君が、解き放つ力を捨て、封じる力だけを受け入れれば――二人で、この苦しい世界を、安らかに、終わらせることができる。それが、私たちの、生まれた意味なのかもしれない』
※
俺は、その手を、見つめた。
封じる力と、解き放つ力。俺の中にある、二つの力。黒衣の言うことは、たぶん、嘘じゃない。世界が歪んでいるのも、本当なのだろう。
だが。
「断る」
俺は、はっきりと、言った。
「お前の言う通り、世界は歪んでるのかもしれない。綻んでるのかもしれない。でも――だからって、全部終わらせるなんて、認めない」
俺は、黒衣を、まっすぐに見据えた。
「俺は、封じられた連中を、見てきた。フレアも、ヴァナも、闇御目も。みんな、勝手に決められた価値で、居場所を奪われて、それでも、もう一度、生きようとした。そいつらに、居場所を、見つけてやれた。――それが、どれだけ、嬉しかったか、お前には分からないだろう」
『……ミスト』
「世界が歪んでるなら、直せばいい。綻んでるなら、繕えばいい。終わらせるんじゃなくて、救う方法を、探せばいい。――俺の力が、その両方を持ってるって言うなら。なおさら、俺は、終わらせるためじゃなく、救うために、この力を使う」
黒衣は、長いこと、沈黙していた。
やがて、差し伸べた手を、静かに下ろした。
『……そうか。残念だよ、ミスト。本当に』
その声に、敵意はなかった。ただ、深い、悲しみだけが、あった。
『なら、私たちは、戦うしかない。封じる者と、解き放つ者として。世界の終わりを願う者と、世界の存続を願う者として。――次に会うときは、夢の中ではない。覚悟しておくといい』
白い空間が、崩れていく。
『最後に、教えておこう。私の名は――アルカ。世界の秩序の、化身。君の、もう一人の、半身だ』
その言葉を最後に、夢は、終わった。
※
俺は、汗びっしょりで、目を覚ました。
窓の外は、まだ夜だった。傍らには、心配そうな顔の、フレアとエルザがいた。
「ミスト! よかった、目が覚めて……!」フレアが、涙ぐんだ。「すごく、うなされてて……起こしても、起きなくて……」
「……ああ。大丈夫だ」
俺は、ゆっくりと、体を起こした。
夢の中の、黒衣――アルカの言葉が、頭の中で、響いていた。俺の出自。俺の力。世界の終わり。そして、影に棲む、イアの名。
「ミスト」エルザが、静かに尋ねた。「何か……視たのね。あなたの、正体に関わる、何かを」
俺は、頷いた。
そして、仲間たちに、すべてを話した。俺が、封じる力と解き放つ力から生まれた存在であること。影に棲むのが、イアという最古の混沌であること。黒幕――アルカが、世界を終わらせようとしていること。そして、それを止められるのが、俺だけだということを。
話を聞き終えると、フレアが、ぎゅっと、俺の手を握った。
「……ミストが、何者でも。あたしは、ミストの味方だよ」
「当然ですわ」エルザも、胸を張った。「あなたが、封じる者だろうと、解き放つ者だろうと、世界の半身だろうと――わたくしたちにとっては、ミストは、ミストですもの」
『くく』羅睺が、笑った。『面白くなってきたではないか。世界の秩序を相手取るとは。――よかろう。我が牙、その戦いに、捧げよう』
ヴァナが、静かに、頷いた。
俺は、仲間たちの顔を、見渡した。
胸に、温かいものが、込み上げてきた。
俺が、何者であろうと。世界の理に関わる、特別な存在であろうと。こいつらは、変わらず、俺の隣にいてくれる。
――なら、俺の答えは、決まっている。
「世界は、終わらせない」俺は、静かに、けれど力強く、言った。「アルカを止めて、世界を、救う。封じられたものにも、生きてるものにも、ちゃんと、居場所がある世界を、守る。――それが、俺の、生まれた意味だ」
決戦の時が、近づいていた。
世界の存続を懸けた、半身同士の戦いが――もう、すぐそこまで、来ていた。
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