第14話 墜ちた勇者
黒衣の襲撃から、数日が過ぎた。
俺の正体をめぐる謎は、宙に浮いたままだった。だが、世界の異変は待ってくれない。エルザの闇御目は、各地で封印が緩み続けているのを捉えていた。次の厄災が、いつ、どこで起きてもおかしくない。
そんな張りつめた日々の中で――それは、あまりに場違いに、やってきた。
「ミスト! 大変よ!」
ギルドのリタが、慌てて拠点に駆け込んできた。
「町の門に、変な連中が来てるの! ミストを出せって、暴れてて……自分たちは『銀翼の剣』だって名乗ってるんだけど……」
俺は、その名に、しばし沈黙した。
銀翼の剣。俺を追放した、勇者アレクのパーティ。
「……来たか」
※
町の門前は、騒然としていた。
すり切れた装備に、やつれた顔。かつてAランクパーティとして輝いていた銀翼の剣は、見る影もなかった。そして、その先頭に――勇者アレクが、いた。
落ちくぼんだ目。伸びきった無精髭。かつての覇気は、どこにもない。あるのは、ぎらついた、執念だけだった。
「よお、ミスト」アレクが、嗤った。「久しぶりだなあ。元気そうじゃねえか。辺境で、ずいぶんとご立派になったらしいなあ?」
「……何しに来た、アレク」
「決まってんだろ」アレクの目が、憎悪に燃えた。「お前に、引導を渡しに来たんだよ」
聞けば、こういうことだった。
俺の噂が中央に広まり、銀翼の剣は「無能を見抜けず追放した、見る目のないパーティ」として、さらに嗤いものになっていた。依頼は来なくなり、仲間は去り、アレクの中で、屈辱と嫉妬が、どす黒く膨れ上がっていた。
そしてアレクは、思い込んだのだ。
「お前が、悪いんだ」アレクが、震える声で言った。「お前が、こんなに有名になったせいで、俺たちは笑いものになった! お前さえ……お前さえ、目立たなければ! ここで、お前を殺せば! 俺たちの名誉は、戻る! お前を倒した勇者として、また、栄光を……!」
その理屈は、もはや、滅茶苦茶だった。
逆恨み。八つ当たり。狂気に近い、自己正当化。かつて俺を「無能」と嗤った男は、今や、すべてを他人のせいにする、哀れな男に成り果てていた。
※
「やめておけ、アレク」
俺は、静かに言った。
「お前らじゃ、勝てない。引き返せ。そうすれば、見逃す」
「黙れ!」アレクが、剣を抜いた。「無能のくせに、俺を見下すな! 俺は勇者だ! 選ばれた人間なんだよ!」
そして、アレクは、駆け出した。
かつての勇者の、渾身の一撃。だが――その剣筋は、見るも無残に、鈍っていた。装備を見抜く目も、補給を管理する手も、索敵する使い魔も、すべて失った男の剣は、ただの素人のそれと、変わらなかった。
俺は、一歩、横に避けた。それだけで、アレクの剣は空を切った。
「フレア」
「うん」
フレアが、ぱちん、と指を鳴らした。
アレクの足元に、黄金の炎が、ふわりと立ち上った。熱で焼くためじゃない。ただ、足止めするための、軽い牽制。それだけで、アレクは「ひっ」と悲鳴を上げて、無様に尻もちをついた。
「な……っ、なんだ、この炎は……!」
『……我が出るまでも、ないようだな』
人型の羅睺が、ゆらりと、アレクの前に立った。
ただ、立っただけだった。だが、その瞳の奥にある、底知れない"格"を前に――アレクは、腰を抜かした。
「ひ……っ、あ……」
夜叉の、本物の格。かつてアレクが、一度も呼ぶことのできなかった、本物の召喚獣。それを前にして、勇者を名乗っていた男は、ただ、震えることしか、できなかった。
※
戦いと呼ぶには、あまりに、一方的だった。
銀翼の剣は、誰一人、俺たちに傷をつけられないまま、地に這いつくばっていた。アレクは、剣を取り落とし、尻もちをついたまま、俺を見上げていた。
その目から、ぼろぼろと、涙がこぼれていた。
「なんで……なんでだよ……っ」アレクが、嗚咽した。「俺は、勇者だぞ……選ばれた人間なんだ……。なのに、なんで、お前みたいな無能が……俺より、上にいるんだよ……っ!」
俺は、そんなアレクを、静かに見下ろした。
怒りは、なかった。憎しみも、なかった。ただ――哀れみだけが、あった。
「アレク」俺は、静かに言った。「お前は、何も見ていなかった。俺が、何をしてたのかも。仲間が、どう支え合ってたのかも。お前は、ぜんぶ、自分の手柄だと思い込んで、足元を支えてた俺を、無能だと嗤った」
アレクの肩が、震えた。
「でも、もう、終わったことだ。俺は、お前を恨んじゃいない。恨む価値もないからだ。――ただ、一つだけ言っておく」
俺は、アレクに背を向けた。
「お前が今、こうなってるのは、俺のせいじゃない。お前が、人を見る目を、持たなかったからだ。それだけだ」
※
アレクたちは、衛兵に引き渡された。
中央でも、辺境の町を襲撃した罪は重い。勇者の称号は剥奪され、銀翼の剣は正式に解散。アレクは、指名手配の罪人として、その名を歴史に刻むことになった。
かつて、栄光の頂にいた勇者は――こうして、底まで墜ちた。
それは、自業自得だった。誰のせいでもない。ただ、自分が見下していたものの価値に、最後まで気づけなかった、一人の男の、当然の末路だった。
「……これで、よかったの?」
連行されるアレクの背中を見送りながら、フレアが、そっと尋ねた。
「あいつ、ミストのこと、あんなにひどいことしたのに……ミスト、全然、嬉しそうじゃないね」
「ああ」俺は、頷いた。「あいつをやり込めても、何も、すっきりはしない。過去は、変わらないからな」
俺は、空を見上げた。
「でも――一つだけ、分かったことがある」
「なに?」
「俺は、もう、あいつらのことを、どうでもいいと思える。恨みも、未練も、ない。――それは、ここに、本当の居場所が、できたからだ」
俺は、傍らの仲間たちを見た。フレア。エルザ。ヴァナ。羅睺。そして、影の中の、名もなき存在。
過去に俺を捨てた連中より、今、隣にいてくれる、こいつらの方が、ずっと大切だ。だから、もう、過去なんて、どうでもいい。
「さあ、帰るぞ」俺は言った。「世界の異変を、止めなきゃならない。俺たちには、やることがある」
「ええ!」エルザが、胸を張った。
過去の因縁は、これで、終わった。
ここから先は――未来の、戦いだ。俺が何者なのか。世界の異変を、どう止めるのか。その答えを探す、本当の戦いが、待っていた。




