第095話 正妃様は、二度目の叱責を受けることになりましたわ
王宮の中央棟、その最上階にある国王陛下の執務室へ向かう廊下を、私は一人で歩いていた。夕刻を過ぎた王宮は昼間よりも人の気配が少なく、窓の外には薄紫色へ変わり始めた空が広がっている。私は歩きながら、先ほどセレスティーナと交わした会話を何度も思い返していた。
あの娘は頑なだった。財務局で働き続けたいという意思も、自分の人生を自分で決めたいという考えも、少しも揺らがなかった。私は、それならば王家直属の立場を用意すればいいと思ったのだ。
王命ではない。
婚姻を強制するわけでもない。
王家へ迎えれば、彼女の才能をもっと大きな場所で生かせる。それは王国にとっても、彼女自身にとっても悪い話ではないはずだ。そう考えているうちに、私は執務室の前へ着いていた。扉の向こうにいる陛下へ、私はこれから自分の考えを理解してもらうつもりだった。
「入れ」
扉を叩くと、すぐに返事があった。私は静かに扉を開け、室内へ入る。執務机には決裁を待つ書類が積まれ、窓際には夕暮れの光が差し込んでいた。
陛下は書類へ目を落としていたが、私の姿を確認すると筆を置いた。私は机の前まで進み、深く一礼する。こうして陛下と向き合うと、さすがに緊張が胸へ広がった。それでも、今日話すことに迷いはなかった。セレスティーナを王家へ迎える。それが今後の王国にとって必要だと私は信じている。レナートが婚姻を諦めたとしても、それで話を終わらせる必要はない。王家と財務局の間に新しい立場を作ればいい。私はそう考えていた。
「陛下、お話ししたいことがございます」
「セレスティーナのことか」
先に名前を出され、私は少しだけ目を見開いた。
「……はい」
「何を考えている」
「私は、あの娘を王家の近くへ迎えるべきだと考えております。レナートとの婚姻を強いるという意味ではございません。財務局での仕事を続けながら、王家直属の財政顧問という立場を」
「ヘレナ、その話は、もうやめろ」
「陛下、どうか最後までお聞きください。私は王命を使うつもりはございません。本人が選べる形を用意すれば、セレスティーナも」
「本人が選べる? お前は、本気でそう思っているのか?」
「はい」
「では、本人は何と言った」
私は答えようとして、口を閉じた。セレスティーナの顔が浮かんだ。あの娘は、自分の人生を自分で決めたいとはっきり言った。私はその言葉を知っている。それでも私は、自分の考えを曲げようとはしなかった。
「……王家には入りたくない、と」
「それが答えではないのか!」
突然、陛下の声が執務室に響いた。机の上に置かれていた書類が大きく揺れ、私は思わず肩を震わせてしまう。陛下が立ち上がり、怒りを隠さず私を見据えている。その表情を見た瞬間、胸の奥が冷たくなった。これは説得ではない。陛下は本気で怒っている。
「お前は何を聞いていたのだ、ヘレナ!」
「陛下……」
「本人が王族になりたくないと言っている。それを聞いてなお、今度は別の方法で王家へ入れようとしているではないか!」
「私は、あの娘の才能を考えて」
「才能の話ではない! 人間の人生を、お前の都合で配置するな! 一度目は王命を持ち出した。あの娘がどれほど追い詰められたのか、お前は分かっているのか! 王国を出ると言わせるほどまで追い込んだのだぞ!」
「ですが、私はもう王命を使うつもりは」
「それなら別のやり方なら許されるのか! 役職を与える。権限を与える。王家に必要だからと説得する。言葉を変えれば、あの娘の意思を無視しても構わないとでも思っているのか!」
「違います! 私は、本当に王国のことを考えているのです。セレスティーナほど財政を理解している人間は他におりません。王家の近くに置くことが、国にとってどれほど大きな意味を持つか、陛下もお分かりのはずです」
「分かっている! だからこそ、私はあの娘を自由にさせろと言っている! セレスティーナが財務局で働くなら、それでいい。王家へ来たくないなら、それでいい。レナートと結婚したくないなら、それも本人の意思だ。お前が決めることではない!」
「……」
「お前は王国のためだと言う。だが、その言葉を盾にして、あの娘の意思を押し潰しているだけではないのか!」
私は反論したかった。
王国の財政を守るため。
王家を支えるため。
優れた人材を失わないため。
そのどれも間違ってはいない。私は本当にそう思っていた。それなのに、なぜ言葉が出てこないのだろう。
私はセレスティーナへ何を求めている?
王家に必要だから、ここへ来てほしい。
レナートの妻になれば、王家も安泰になる。
財務の才を生かせば、国も豊かになる。
そう考えてきた。でも、それは全部、私が決めた未来だった。
「……私は、……セレスティーナにとって、それが一番良いと思っていました」
「お前が?」
「はい」
「本人がそう言ったのか?」
「……いいえ」
「ならば、それはお前の望みだ」
「私の……望み?」
「そうだ。お前が思い描いている王家の未来に、セレスティーナを置きたいだけだ。優れた財務官を王家の中へ取り込み、レナートの隣に立たせ、王国を支える存在にする。それがお前の理想なのだろう。それを王国のためと呼んでいるだけだ」
「……」
「一度目の叱責で分からなかったのか。あの娘がどれほど強く拒絶したのか、見ただろう。それでもなお、お前は自分の考えを捨てなかった。レナート本人が身を引いた後も、お前だけがまだ続けようとしている」
その言葉を聞いたとき、胸の奥で何かが崩れ始めて来た。
レナートは、自分の気持ちを残したまま、それでもセレスティーナの意思を尊重すると決め、諦めた。
私には、それができなかった。
「……私は、セレスティーナを幸せにしたいと思っていたのかもしれません」
「ならば、本人に幸せを選ばせろ。本人が財務局で働きたいと言うなら、そこで働けばいい。平穏に生きたいと言うなら、その道を選ばせればいい。誰を好きになるかも、どこで生きるかも、誰と人生を歩むかも、すべて本人が決めることだ」
「……はい」
「王家が必要とする人間だからという理由で、その人生まで王家の都合に合わせさせるな! ヘレナ! お前は一度ならず二度までも、あの娘の人生を自分の手で決めようとしたのだぞ!」
「……申し訳ございません」
「余に謝るな!」
「……」
「謝るなら、セレスティーナに謝れ。だが、それすらお前の判断で勝手に済ませるな。まず、あの娘の意思を尊重しろ」
「はい」
「本当に分かったのか!」
「はい!」
陛下はしばらく私を睨んでいたが、やがて大きく息を吐いた。
「私は、お前が王国を思っていることを知っている。だからこそ、ここで止める。これ以上、あの娘を追い詰めるな」
「……はい」
私は頭を上げられなかった。胸の奥に、これまで自分が正しいと思っていたものが残っている。そのすべてを一度に捨てられるほど、私は器用ではない。それでも、今までとは違う疑問が生まれていた。
私は王家を守りたい。
王国を支えたい。
そのために必要だと思ったものを、手元へ集めようとしていた。だが、人間まで同じように扱ってはいけない。
セレスティーナは財務局の才能だけで生きているわけではなく、一人の女性として、自分の人生を持っている。それを私は忘れていた。
「……陛下」
「何だ」
「私は、もうセレスティーナへ何かを決めつけることはいたしません」
「当たり前だ」
「本人が望むなら、王家との関わり方を考えます。望まないなら、それ以上は求めません」
「それでいい」
私は一礼し、執務室を出た。扉が閉まったあとも、陛下の怒声が耳の奥に残っていた。廊下の窓から見える王宮の庭園には、夕暮れの光が細く残っている。私はその場に立ち止まり、胸の前で手を重ねた。
私は、セレスティーナを王家へ迎えたいと思っていた。今も、その気持ちが完全になくなったわけではない。それでも、もう自分の願いを”王国のため”という言葉で包んで、彼女へ押しつけることはできない。
あの娘が選び、私は、それを待つしかない。
「……私も、変わらなければならないのね」
今度こそ、セレスティーナの人生を私の理想へ合わせるのではなく、彼女が選んだ人生を、そのまま受け入れなければならない。
それが王家を守ることより難しいとしても、私は逃げてはいけないことなのだろう。
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