第089話 他の令嬢には隠す本心が、私には見えてしまいますわ
いつもなら、こうしたパーティーへの招待など、迷うことなく断っている。財務局の仕事に関係するわけでもなく、私が出席したところで国家予算が増えるわけでもない。貴族の子息や子女が集まり、互いの家柄や財産、将来の縁談を探る場所など、私にとっては時間を使う価値のない催しなのだった。
それでも今回は、招待状を手にしたまま少し考えたあと、参加することにした。理由は一つしかない。アレクサンドル様が来ると聞いたからだ。別に会いたいわけではない。ただ、以前助けていただいた礼を改めて伝えてもいいと思っただけ。そう自分に言い聞かせていたのに、馬車が会場へ近づくにつれて、胸の奥が妙に落ち着かなくなっていた。
「……少しくらい、お話しできればよろしいのですけれど」
会場へ入ると、私はすぐにアレクサンドル様の姿を探した。広間の中央近くに、すぐ見つけることができた。公爵家の嫡男ともなれば当然なのだろうが、彼の周囲にはすでに何人もの令嬢や子息が集まっている。華やかな衣装を身につけた令嬢たちは楽しそうに笑い、子息たちも彼との会話を楽しんでいるようだった。
私は少し離れた壁際へ移動し、給仕から果実水を受け取る。私の周囲には誰も来ない。財務局の番犬と呼ばれている私に、わざわざ近づこうとする貴族などいないらしい。寂しいとは思わなかった。むしろ好都合だ。私は壁際で果実水を飲みながら、誰にも邪魔されずアレクサンドル様を眺めることができた。
「……婚活のようなものですわね」
そんな感想が自然に漏れた。令嬢たちは皆、普段の社交よりも熱心に男性へ話しかけている。子息たちもまた、将来の縁談につながりそうな相手を探しているように見えた。
王族は参加していない。つまり、ここにいる者たちは皆、家同士の結びつきや本人たちの意思によって将来を決めていくのだろう。私はそんな光景に興味を持てず、ただ一人の男性だけを目で追っていた。
アレクサンドル様は、令嬢から話しかけられるたびに穏やかな笑顔を浮かべ、相手の話を遮ることなく丁寧に耳を傾けている。その姿だけを見れば、誰とでも気さくに会話を楽しめる人にしか見えなかった。
私は何気なく左目へ意識を向ける。すると、令嬢の言葉に対するアレクサンドル様の本心が浮かび上がった。
【また家柄の話か。本人の話がほとんどないのに、よくこれだけ長く話せるものだ】
私は危うく果実水を吹き出しそうになってしまう。
アレクサンドル様は、いつも通り穏やかな笑顔を浮かべている。
「まあ、アレクサンドル様は本当に素敵な方ですのね。どちらのパーティーでも、皆様からお声をかけられていると伺いましたわ」
「ありがとうございます。皆様にそう言っていただけるのは光栄です」
【褒めているようで、さっきから全部同じ内容だな。私は一体、何人に同じ返事をすればいいんだ】
私はグラスを持ったまま固まり、思わず、彼の顔を見る。
「……」
口元には完璧な笑みが浮かんでいるが、本心はかなり辛辣だった。
少し面白くなってしまった私は、そのまま観察を続けることにした。
今度は別の令嬢が近づいていく。
「アレクサンドル様は、どのような女性がお好みなのですか?」
「そうですね。穏やかで、一緒にいて安心できる方でしょうか」
【初対面の相手に好みを聞くのか? しかも、答えたところで何をするつもりなのだろう】
「まぁ。では、私のような女性はいかがでしょう?」
「もちろん、素敵な方だと思いますよ」
【まだ会って数分なのに、どう判断しろというのだ】
私はとうとう、口元を手で隠した。
「くっ、ふふ……」
笑ってはいけない。そう思うのに、どうしても笑いが込み上げてくる。
アレクサンドル様は、決して失礼な態度を取らない。相手を傷つける言葉も口にしない。誰に対しても礼儀正しく、相手が話し終わるまできちんと聞いている。その姿だけを見れば、非常に人当たりのいい男性だ。
ところが、その内側では思った以上に容赦がない。
さらに別の子息が話しかけると、アレクサンドル様は笑顔で応じた。
「なるほど。それは大変興味深いお話ですね」
【まったく興味がない。だが、ここで興味がないと言うほど私は無神経ではないがな】
「……なるほど」
私は小さく呟いた。
そういう方だったのだ。
そして、その事実を知ったことで、私は一つの疑問を抱いた。
私と話しているときは、どうなのだろう?
以前、二人で話したときには、左目に映った本心と彼の言葉が一致していた。あれは偶然だったのだろうか。私はずっとそう思っていた。
そこで、もう一度だけ彼の姿を左目で捉える。
【そろそろ、この輪から抜けたい。だが、皆を置いていくわけにもいかないな】
やはり違う。口では笑顔を崩さず、相手を気遣う言葉を選んでいるのに、本心では早くこの場を離れたがっている。
「……私のときは、違いましたわね」
私と話すとき、アレクサンドル様は本心を隠していなかった。
では、なぜ?
私は果実水を一口飲みながら、遠くの彼を見つめた。そのとき、アレクサンドル様がこちらを向き、バチッと目が合う。すると彼は少し驚いたような表情を浮かべたあと、周囲の子女たちへ何かを告げ、こちらへ歩いてきた。
「セレスティーナ嬢。こんばんは」
「こんばんは、アレクサンドル様」
彼が近づいてきただけで、先ほどまでとは違う緊張が胸に生まれる。私はそれを悟られないよう、手にしたグラスへ視線を落とした。
「ずっとこちらにいらしたのですか?」
「ええ。皆様がアレクサンドル様の周囲に集まっておりましたので、私が入る隙間などありませんでしたわ」
ほんの少しだけ嫌みを込めて言ってやった。
「申し訳ありません。私も、あれほど大勢の方が集まるとは思っていませんでした」
【申し訳ありません。私も、あれほど大勢の方が集まるとは思っていませんでした】
同じだ。
私は思わず彼の顔を見つめた。
「……本当に、そう思っていらっしゃいますの?」
「はい。本当に申し訳ないと思っています」
【はい。本当に申し訳ないと思っています】
また同じ。
先ほどまでとは明らかに違う。
他の子女へ向けていた言葉には、本心とは違うものが含まれていた。それなのに、私へ向ける言葉には、余計なものが何もない。
「アレクサンドル様は、皆様とお話しするのがお好きなのかと思っておりました」
「いえ。正直に申し上げますと、少し疲れていました」
【いえ。正直に申し上げますと、少し疲れていました】
「まぁ」
「何かおかしかったでしょうか?」
【何かおかしかったでしょうか?】
「いいえ。少し意外だっただけですわ」
「そうですか」
【そうですか】
またまた同じ。
この人は、私には嘘をついていない。
そう思った瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「それに、私はセレスティーナ嬢と話しているほうが楽しいです」
【それに、私はセレスティーナ嬢と話しているほうが楽しいです】
「……そうですの」
「はい」
【はい】
何度も同じだ。
いつの間にか、私はグラスを持つ指に少しだけ力を込めていた。
どうして、こんなにも嬉しいのだろう?
他の人には隠している本心を、私には隠さない。
それだけのことなのに、胸の奥が満たされていく。
私は今まで、人の言葉を簡単には信じなかった。信じる前に疑い、疑ったあとで確かめる。それが私にとって当たり前だった。
なのに、この人だけは違う。
確かめても、言葉と本心が同じなのだ。
「……不思議な方ですわね」
「私が、ですか?」
【私が、ですか?】
「ええ。とても」
私はそう答えながら、アレクサンドル様を見上げた。
もっと話したい。
もう少し、この人のそばにいたい。
そんな気持ちが、いつの間にか胸の中で大きくなっている。私はまだ、それを恋だとは認めない。
ただ、今日このパーティーへ来てよかったと、初めて素直に思ったのである。
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