↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
搾取令嬢は二度と騙されない ~嘘を見抜く左目で、すべてを取り戻します~  作者: 第三ひよこ丸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
88/92

第084話 番犬の恋心を見抜いた親友は、逃げ道を塞ぎますわ

 私は執務机に積み上げられた帳簿を一冊ずつ処理し、銀の算盤を弾きながら数字の整合性を確認していた。三十七頁の支出額と四十二頁の決済額にわずかな差がある。数字そのものは小さなものだが、こういう小さな差を放置すれば、やがて大きな穴になる。私は差額の原因を確認するため、担当者へ照会書を回した。


 その直後、机の端に置かれた別の書類へ目を移す。ベルナール公爵家から提出された税務関連の報告書だった。何気なく名前を確認した瞬間、私の指がぴたりと止まった。アレクサンドル・ド・ベルナール。その名前を見ただけなのに、あの夜のことが鮮明に蘇る。転びかけた私を支えた腕。落ち着いた声。そして、言葉と考えていることが同じだった、あの不思議な青年。私は小さく息を吐き、書類へ視線を戻した。仕事に集中すればいい。それだけの話なのに、なぜか胸の奥が少しだけ落ち着かなかった。


「……ベルナール公爵家からの提出書類ですか」


「はい。納税額の確認だけですので、処理自体は難しくありませんわ」


 声をかけてきた財務局員へ答えながら、私は書類の内容を確認した。数字に問題はない。記載にも不備はない。いつもならそこで終わるはずだった。ところが、担当者が書類を持って戻ろうとしたところで、私はなぜか呼び止めてしまった。


「お待ちなさい。ベルナール公爵家の提出者は、どなたでしたの?」


「え? 確か、公爵家の家令だったと思いますが」


「そう……ですの」


 それだけ確認して、私は再び帳簿へ目を落とした。何を確認したかったのか、自分でも分からない。アレクサンドル本人が提出したわけではない。それなら、この質問に意味などないはずだった。なのに、彼の名前が書かれた紙を見た瞬間、私は彼がここへ来る可能性を考えてしまった。


 もし本人が来たら、何を話そう。財務の話なら自然だ。公爵家の資産管理について聞いてもいい。あの夜の礼を改めて伝えてもいい。そこまで考えたところで、私は算盤を弾く手を止めた。仕事中に、どうしてこんなことを考えているのか。私は自分の思考を整理するように、珠を一つだけ弾いた。パチリと乾いた音が執務室に響く。数字なら、原因を探せば答えが出る。ところが今の私の胸にあるものは、どれだけ考えても帳簿のようには整理できなかった。


「まあまあ。ずいぶん楽しそうですわね、セレスティーナ」


 

 昼過ぎ、財務局の扉が開き、エルメリンダが顔を覗かせた。両手にはいつもの差し入れがある。私は彼女を見て、安心してしまう。彼女なら仕事の邪魔をせず、私の休憩時間もきちんと守ってくれる。そう思った直後、エルメリンダの視線が机の上へ移った。ベルナール公爵家の書類。彼女はそれを一瞬見ただけだった。それから私の顔へ視線を戻し、何も言わずに微笑んだ。その笑顔が妙に気になり、私は眉を寄せた。


「何ですの、その顔は」


 エルメリンダは以前から、妙に勘が鋭かった。人が隠そうとした小さな変化を見つけるのが得意で、声の調子がほんの少し変わっただけでも、相手が何かを隠していると察してしまう。しかも、それは単なる思い込みではない。彼女は私が何も言わなくても、疲れている日には休ませようとし、何か悩んでいるときには誰より早く気づいてくれた。財務の数字なら私のほうが遥かに強い。だが、人の感情や表情の変化を読み取ることについては、エルメリンダのほうが一枚上手だった。だからこそ私は、彼女がこちらを見て微笑んだとき、妙な胸騒ぎを覚えた。

 

「別に何もありませんわ。ただ、セレスティーナが珍しく一枚の書類を眺めながら、ずいぶん長い時間を使っていましたから」


「確認事項が多かっただけですわ」


「アレクサンドル様の書類?」


「……そうですわ」


「名前を見ただけで嬉しい?」


「嬉しくありませんわ」


「会えたら嬉しい?」


「……それは」


「もう一度会いたい?」


「…………」


「お話ししたい?」


「……少しは」


「もっと知りたい?」


「……そう、ですわね」


「では、好き?」


「そこまでは」


 私は言葉を止めた。エルメリンダは満足そうに頷いている。完全に逃げ道を塞がれた気分だった。普段の彼女なら、ここまで一気に質問を重ねることはない。だが、今日ばかりは違ったらしい。私は誤魔化すように紅茶へ手を伸ばしたものの、彼女は容赦なく次の質問を投げてくる。


「会うと緊張します?」


「少し」


「名前を呼ばれると?」


「……気になりますわ」


「他の殿方に同じことをされたら?」


「別に何とも思いませんわ」


「アレクサンドル様なら?」


「…………嬉しい、ですわ」


「恋ですわね」


「まだ決めていませんわ!」


 思わず声が大きくなり、近くで仕事をしていた財務局員たちがこちらを振り返った。私は慌てて咳払いをし、何事もなかったように帳簿へ視線を戻す。


 エルメリンダは肩を震わせながら笑っていた。まったく、親友というものは恐ろしい。数字の不正なら、証拠を積み上げて追い詰めればいい。だが、感情については証拠を突きつけられる側になるらしい。


「……以前、レナート殿下のことを考えていた時とは違いますわね」


 エルメリンダの声が少しだけ柔らかくなる。私は黙って紅茶を見つめる。レナート殿下を大切に思っていることに変わりはない。共に国を支える仲間として、信頼している。それでも、今の私の胸にある感情は、あの頃とは違っていた。殿下に対して感じていたのは、支えてくれる人への安心だった。アレクサンドルに対して感じているのは、もっと知りたいという気持ち。そして、もう一度会いたいという願いだった。そんな願いを抱くこと自体が、私には新鮮だった。


「……私、どうしてこんなことを考えているのでしょう」


「好きだからではありませんの?」


「簡単に結論を出しすぎですわ」


「では、帳簿のように計算してみます?」


「できるものなら、そうしたいですわ」


 私がそう答えると、エルメリンダは楽しそうに笑う。

 私は銀の算盤を手に取り、珠を弾く。数字はいつも通り、正しい場所へ収まる。それなのに、胸の奥だけはどうしても計算が合わない。アレクサンドルの名前を思い出すだけで嬉しくなる。会えると分かれば、少しだけ楽しみになる。もっと話したいと思う。そして、彼がどんな人なのか、もっと知りたいと思ってしまう。その事実を一つずつ並べていけば、答えはもう見えているのかもしれない。


「まぁ、いいですわ」


「何がですの?」


「今はまだ、セレスティーナが認めなくても」


「何をですの?」


「恋ですわ」


「……エルメリンダ」


「なぁに?」


「その顔をやめなさい!」


 私は頬が熱くなるのを感じながら、帳簿へ視線を落とした。


 すると、その日の夕方、一通の封書が財務局へ届いた。差出人はベルナール公爵家。次回の財務協議について、アレクサンドル本人が代理として出席する旨が記されている。私はその一文を読んだ瞬間、胸の奥が小さく跳ねるのを感じてしまう。


 会える。


 その事実だけで、今日一日の疲れが少し軽くなってくる。私は封書を机の上へ置き、誰にも見られないように小さく息を吐いた。


 仕事だから会う。

 それだけのこと。


 そう自分に言い聞かせながらも、次に彼と会ったら何を話そうかと考えている自分を、もう止めることはできなかった。

ブックマーク、評価をお願い致します。

レビュー、感想等もお待ちしております。

誤字、脱字等がありましたらご報告をお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。