第079話 宰相の不正を暴く最後の一打、逃げ道は帳簿にもございませんわ
私が最後の一打を打ち込んだ瞬間、謁見の間から音が消えた。先ほどまで怒号を飛ばしていた重臣たちも、私の背後に立つヴィクトール卿も、玉座から立ち上がった国王陛下さえ、誰一人として口を開こうとしない。
正面に立つ宰相閣下だけが、青ざめた顔で私を睨みつけていた。左目に映る彼の心は、表情以上に激しく揺れている。
軍需商会の名義を複数に分け、同じ商品を何度も経由させることで価格を吊り上げ、その利益を自分の一族へ流していたことを隠したい。さらに、その不正によって生じた国家財政の穴を埋めるため、ヴィクトール卿に外国から資金を集めさせた。
それが今回の投資事業につながったのだろう。私は卓上に置いた帳簿へ指を添え、銀の算盤を一度だけ鳴らした。パチリ。その乾いた音が広い謁見の間へ響いたことで、ようやく国王陛下が震える声を出した。
「宰相。これは事実なのか?」
「陛下、あの資料には誤りがございます。外国の財務官が作った帳簿など、我が国の会計を正しく反映しているとは限りません」
「ならば、反論なさいませ」
私は宰相閣下へ視線を向ける。彼はすぐに何かを言おうとしたが、言葉が出てこないようだ。
私は机の上へ三冊の帳簿を並べる。
一冊目は軍需品の購入記録。
二冊目は商会から国家へ提出された請求書。
三冊目は王国から商会へ支払われた金額を記した財務記録。
それぞれ単独で見れば、大きな不自然さはない。問題は三冊を同じ日付と品目で照合したときに現れる。剣一千本の購入額と請求額が一致せず、その差額が別の商会への手数料として記録され、さらにその商会から別会社へ利益が移されている。そして最終的な受取人は、宰相閣下の親族が経営する商会だった。私は一冊目を閉じ、二冊目を開いた。
「では、こちらをご覧くださいませ。五年前に王国が購入した剣一千本の請求額は、金貨三万枚ですわ」
「それがどうした」
「ところが、製造元の記録では同じ一千本が金貨一万八千枚で納品されております」
重臣たちの間から、再びざわめきが広がった。私はその反応を聞きながら、三冊目の帳簿を開いた。
「差額は金貨一万二千枚。その金額が、仲介商会への手数料として支払われておりますわね」
「商取引には手数料が発生する。それだけの話だ」
「ええ。ですから、その仲介商会の所有者を確認いたしました。宰相閣下の弟君ですわ」
宰相閣下の顔が歪んだ。だが私はそこで止めなかった。彼が言い逃れをする時間を与えるほど、謁見の間にいる者たちはまた都合のいい説明を信じてしまう。
私は次の書類を重ねる。弟君の商会からさらに別の商会へ送られた金貨一万二千枚、その商会の所有者、そしてその人物から宰相閣下の一族が保有する土地会社へ流れた資金。すべての数字が一本につながっていた。偶然で片づけるには同じ金額が何度も現れすぎている。私は算盤の珠を順番に弾きながら、ゆっくりと説明した。
「軍需品の価格を水増しする。水増しした金額を仲介手数料として別会社へ送る。その会社から宰相閣下の一族へ利益を移す。こうして国庫から流れ出た金額を、合法的な商取引に見せかけていたのですわ」
「違う! 私は国家のために必要な商取引を承認しただけだ! 軍備を整えなければ、この国を守れない。多少の費用が掛かることなど当然ではないか!」
宰相閣下が初めて声を荒らげた。
「ええ。軍備が必要なことは否定しておりませんわ。問題は、必要な軍備費の中へ、ご自身の一族へ流す金額を混ぜたことでございます」
「証拠はあるのか!」
「ございますわ」
私は即答した。宰相閣下の顔から血の気が引いていく。私は最後の書類を机の中央へ置く。それは王国の支払い記録と、宰相一族の商会が受け取った資金を照合したものだった。日
付、金額、品目、送金先。そのすべてが一致している。しかも、ヴィクトール卿が我が国で集めた投資資金の一部と、この軍需契約の支払い日まで重なっていた。私はそこを指先で示した。
「こちらをご覧くださいませ。軍需契約への支払いが不足した月と、我が国から集められた投資資金が貴国へ送金された月が一致しておりますわ」
「……」
「つまり、軍備拡張によって膨らんだ国家支出だけではございません。軍需契約を通して国庫から流出した不正な利益まで、外国から集めた資金によって補填していたのですわ」
その瞬間、国王陛下がゆっくりと宰相閣下へ向き直った。玉座の前に立つ王の顔には、先ほどまでの威厳を保とうとする余裕が残っていない。私はその表情を見ながら、左目に映る心の変化を捉えた。
【私は何も知らなかった。こいつは国家のためだと言っていたはず。まさか、私の知らないところでこれほどの金を】
国王陛下の疑念は、すでに私へ向けられたものではなかった。私はそれを確認すると、算盤を卓上へ置いた。
「陛下」
「……何だ」
「ヴィクトール卿の罪について、私は先ほど明確に申し上げましたわ」
私は振り返り、彼を見る。ヴィクトール卿は苦しそうに俯いていた。
「彼は我が国の貴族を欺きました。危険な事業だと知りながら投資を勧め、外交官という立場を信用の道具として利用しました。そこについては、本人にも責任を負っていただきます」
「……当然です」
ヴィクトール卿が静かに答えた。
「ですが、それと国家財政の不正は別問題ですわ。ヴィクトール卿が罪を犯したからといって、宰相閣下の不正まで消えるわけではございません。逆に、宰相閣下が国家財政を食い潰していたからといって、ヴィクトール卿の罪が消えるわけでもありませんわ」
謁見の間が静まり返る。私は二人を同じ罪として扱うつもりはなかった。それぞれが自分の意思で行ったことを、それぞれの責任として切り分ける。そのうえで、二つの事件が一本の金の流れによって結びついていたことを示す。それが財務官としての私の仕事だった。
「陛下、わたくしが要求しているのは、貴国の降伏ではございません」
「では、何を求める?」
「帳簿の公開ですわ。軍需契約、国家予算、外交秘密資金、そして外国から集めた投資資金。そのすべてを照合し、どこから金が入り、誰が決定し、誰が利益を得たのかを明らかにしてくださいませ」
国王陛下が目を見開いた。
「それをすれば……」
「ええ。多くの方にとって、都合の悪い事実が出てくるでしょう」
次に、私は宰相閣下を見る。
「ですが、帳簿を閉じたままでは、国庫の赤字も、投資事業も、軍需契約の不正も消えませんわ」
「……」
「数字を隠せば借金になる。借金を隠せば破綻になる。そして破綻を隠せば、最後には国民がその代金を支払うことになりますもの」
国王陛下は長い沈黙のあと、玉座へゆっくり腰を下ろした。そして宰相閣下を見つめ、低い声で命じた。
「財務記録をすべて出せ」
「陛下!」
「すべてだ。五年間分の軍需契約、国家予算、外国資金の送金記録、そして宰相府が管理していた秘密資金も含めろ」
「それは……」
「拒むなら、今この場で職を解く」
宰相閣下は言葉を失った。私はその姿を見ながら、銀の算盤を手に取った。まだ終わってはいない。この国が本当にどれだけの金を失い、誰がそれを奪い、どれほどの借金を抱えているのかは、帳簿を開かなければ分からない。だが、少なくとも今まで閉ざされていた扉は開いた。私は算盤を鳴らした。
パチリ。
「それでは陛下。ここから先は、国王陛下ご自身の帳簿を拝見いたしますわ」
私は王へ微笑みかけたのである。
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