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搾取令嬢は二度と騙されない ~嘘を見抜く左目で、すべてを取り戻します~  作者: 第三ひよこ丸


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第007話 王宮の奥底に住む、怖い顔のおじ様。数字の海で戦う、新しいお仲間ですわ

 大広間で繰り広げられた、侯爵令嬢イザベラとの一幕。

 私が彼女の差し出した扇を『色がバラバラで、お城の空気を嫌がっている』として遠ざけたとき、会場に走った緊張感は、単なる子供同士の諍いを超えていた。

 

 王宮の結界という、この国で最も神聖で厳重な防護網。

 その波形を乱すような不純物が、名門侯爵家の令嬢の持ち物から見つかったという事実は、即座に国家の危機として文官たちの間を駆け巡ったのだ。


「セレスティーナ・アデレイド様。先ほどの一件、財務局長クライン伯爵が、あなたの発見について詳しく話を伺いたいと申しております。同行願いたい」

 

 現れたのは、感情を削ぎ落とした鉄の仮面のような表情を浮かべる、王宮の書記官たちだった。

 お父様が心配そうに私の肩を抱き寄せようとしたが、私はその手を優しく握り返し、大丈夫だという意思を瞳に込めて、彼らについていくことにした。


 華やかなシャンデリアの光が届かない、地下へと続く長い螺旋階段。

 一段下りるごとに、空気は次第に乾燥し、独特のインクと古い紙の匂い、そして限界まで酷使された人間が発する特有の澱んだ空気が支配する空間へと変わっていく。

 

 辿り着いたのは、窓一つない”財務局・特別執務室”。

 そこは社交界のきらびやかさとは無縁の、この国のあらゆる富が数字へと置換され、インク一滴で領地の運命すら左右される、真の心臓部である。


 巨大な黒檀の机の向こうに座っていたのは、銀縁の眼鏡の奥で、氷のように静かな瞳を光らせる男、ゼノス・ヴァン・クライン伯爵。

 王国の財政を三十年にわたり一手に管理し、そのあまりの厳格さから『鉄血の財務官』と恐れられる人物である。

 

 私の左目が捉える彼の頭上には、これまで見てきた誰よりも巨大で、そびえ立つような漆黒の吹き出しが浮かんでいた。

 だが、その漆黒の縁取りには、私だけが識別できる、過労と神経衰弱による火花が、絶え間なく散っている。


「アデレイド伯爵家の小さな監査役殿か。七歳の女の子が、侯爵令嬢の持ち物のわずかな違和感を指摘し、あまつさえ彼女の隠し持っていた毒を白日の下に晒した。この報告を受けて、私は君の背後にある数字を洗わせてもらったよ」

 

 クライン伯爵は顔を上げないまま、ペンを動かして冷たい声を響かせた。

 そのペンの持ち方、肩の凝り方、そして書類をめくる指先の微かな震え。

 私は即座に理解した。

 この男は、私と同じ、こちらの側の人間だ。

 組織の歪みを数字で埋め合わせ、限界を超えて走り続ける、報われないタイプの過重労働者である。


「その扇に使われていた素材は、王宮の警備予算で買い上げられたはずの貴重な魔石だ。本来は結界を強化するために使われるべきものが、なぜか侯爵家の私的な道具に化けていた。君がその不自然さを口にしなければ、この横流しは永遠に闇の中だったろう。なぜ、まだ魔法が使えないはずの君が、その石のすり替えに気づけた?」

 

「褒めていただき、光栄ですわ、クライン伯爵。ですが、魔力などわからずとも、本来あるべき場所にないものは、ひどく目立ちますわ。お水の中に油を垂らせば、そこだけ色が混ざらずに浮き上がるでしょう? わたくしには、あの扇だけが、お城の綺麗な空気の中でひどく汚れた色に見えた。ただ、それだけのことにございます」

 

 私は、一点の曇りもない淑女の微笑みを浮かべた。

 

 前世の私は、企業の金銭管理を司る経理の仕事に従事していた。

 来る日も来る日も山のように積まれた帳簿と格闘し、一文の狂いも許されない数字の海に身を投じていた。

 他人の使い込みや、巧妙に隠された不正な支出の証拠を暴き出すことだけが、唯一の私の居場所だった。

 その執念にも似た正確さが仇となり、他人の不手際まで押し付けられ、最期は過労で命を落としたのだ。

 そんな前世の経験から、不自然な備品のチェックは嫌というほど経験させられていた。

 ”一見普通に見えるが、内部に悪意ある細工を施されたもの”は、全体の流れの中で必ず不協和音を奏でる。

 それを私の左目は、吹き出しの色の乱れとして捉えていたに過ぎない。


「ほう。ならば、その眼でこれを見てごらん。この帳簿の中に混じった、一番大きな不純物を。十年の歳月をかけても、三代の会計士が特定できなかった、砂粒のような矛盾だ」

 

 クライン伯爵が初めて顔を上げ、私を値踏みするように睨んだ。


【どうせ子供の戯言だろうが、もし万が一にでもこの泥沼から救い出してくれるなら、私は魂を悪魔に売ってもいい】


 彼の心は、飢えた期待に揺らいでいた。

 彼は一枚の、古びた羊皮紙を私の前に滑らせた。

 並ぶ数字は、執念すら感じるほど緻密に整理されている。

 だが、私の左目は、その完璧な美しさの中に隠された、意図的に埋もれさせられた矛盾の死骸を逃さなかった。


(呆れてしまいますわ。この計上方法、前世で経営不振を隠蔽するために、無関係なところへ赤字を飛ばしていた、あの悪徳企業のやり口と全く同じじゃない!)

 

 私は、お父様が持たせてくれた金色の算盤を取り出し、それを机に置くこともなく、片手で弾き始めた。

 パチパチという硬質な音が、静寂に包まれた地下室に、開戦の狼煙のように鳴り響く。


「クライン伯爵。百年前の大きな川を作るためのお金の計画が、まだこの端っこに残っていますわね? 十年前にもう返し終わっているはずなのに、どうして今月も、少しずつ管理費として引かれているのかしら? しかも、その送金先は、現在は地図にも載っていない廃村の名前だけの倉庫組合。あなたが仰る誤差とは、複利計算を逆算すれば、実際には王都の半年分の運営費に匹敵する、侯爵家が管理する巨大な裏金への入り口ではありませんこと?」

 

 クライン伯爵の吹き出しが、一瞬で真っ白な驚愕に染まる。


【……馬鹿な! 三代にわたる専門家が束になっても辿り着けなかった、あの巧妙な偽装を一瞥で見破ったというのか!? この娘の脳内には、一体どれほどの巨大な計算機が詰まっているんだ!】

 

「そこまで、読み取ったというのか。たった数分で。十年の歳月を、君は一瞬で無価値にしたな」

 

「それだけではありませんわ。この裏金の流出先を黙認する代わりに、あなたは王様たちのわがままな借金を、この計算で埋め合わせるように命令されていますわね?お可哀想に。クライン伯爵は、自分が守ろうとしているこの国の人たちに、お仕事をゴミ箱のように扱われて、もう悲しくて仕方がないのでしょう?」

 

 私は、彼を包み込むように優しく見つめた。

 彼の漆黒の吹き出しが、ボロボロと崩れ落ちる。


【ああ、そうだ! 私はもう限界だったのだ! 馬鹿な貴族どもの尻拭いのために、数字を汚し、良心を殺し、独りで暗闇を走り続けることに疲れていた! 誰か、誰でもいいからこの地獄を止めてくれ!】


 そこには、誰にも『助けて』と言えなかった絶叫が溢れている。

 彼は一人で、みんなの贅沢や侯爵家の悪いことを隠しながら、国が潰れないように必死で数字を合わせていたのだ。


「伯爵様。わたくしに、お手伝いをさせてくださいませんか? わたくしは、自分の家族が住む平和なお庭を守りたいだけですの。そのためには、この国という大きなお家が、悪い虫に食い潰されては困りますわ」

 

 私は算盤の動きを止め、彼の手元に自分の小さな手を重ねた。


「この隠されたお金を、今度は王様や侯爵様たちの弱みを握るための貯金に作り直してしまいましょう。わたくしの算術を使えば、彼らを合法的に一文無しにして、威張れなくすることなんて簡単ですわ」

 

 クライン伯爵の瞳に、初めて希望のような、そして酷く歪んだ歓喜の光が宿った。

 彼は震える手で眼鏡を拭い、私に向かって、一人の共犯者として不敵な笑みを浮かべた。


「面白い。小さな監査役。君が提示するその地獄のような帳簿、ぜひ拝見したいものだ。この国の悪い膿を、数字の刃で根こそぎ抉り出してやろう」

 

 王宮の地下、インクの香りが立ち込める暗室で、最強の社畜二人が手を組んだ。

 それは、武力でも魔法でもない、一円の狂いもない精度で放たれる経済の断頭台が、腐敗した王都を粛清し始める合図であった。


(ああ、やっぱり。私の二度目の人生、のんびりお昼寝ができる日は、まだまだ地平線の向こうのようですわね)

 

 私は、クライン伯爵が出してきた山のような裏帳簿を見つめるのであった。

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