第070話 精鋭騎士の食糧計画は破綻し、私の算盤が旅費を救済いたしますわ
王都を出発してから、まだ半日も経っていない。隣国との国境までは、このまま順調に進めば五日ほど。護送隊にとっては、何の問題もない旅のはずだった。
少なくとも、私が荷馬車の帳簿を確認するまでは。
「セレスティーナ卿、何か問題でも?」
隣を進んでいたカシアン騎士団長が、馬上からこちらを見下ろした。
「ええ。大問題ですわ」
「大問題?」
「食糧が足りません」
その一言で、近くにいた騎士たちの顔が一斉に強張った。
「……足りないとは? そんな筈は」
「そのままの意味ですわ。予定通り進めば、三日後には騎士団の食糧が底をつきます」
「アッハッハ、まさかぁ」
若い騎士の一人が笑った。
「我々は五日分どころか、余裕を見て七日分を積んでいるはずです」
「その認識が間違っておりますわ」
私は手元の帳簿を開いた。
「騎士四十六名。従者六名。御者八名。合計六十名。さらに護送対象のヴィクトール卿が一名。馬は三十七頭。これが今回の一行ですわね?」
「その通りです」
「では、食糧係が作成したこちらの表をご覧くださいませ」
私は帳簿をカシアンへ差し出した。騎士団長は馬上から身を乗り出し、表を確認する。
「一日あたりの食糧が……六十七人分?」
「ええ、その通りですわ」
「人数は六十一人だが?」
「そこですわ」
私は指先で数字を叩いた。
「一日六十七人分。つまり毎日六人分以上の食糧を余計に消費する計画になっております」
「しかし、それなら余裕があるのでは?」
「ありません」
「なぜです?」
「食糧の積載量そのものが、六十七人分を基準にしていないからですわ」
「つまり?」
「帳簿の上では七日分。しかし、実際に積まれている量は五日と少し。そのうえ一日の消費量は予定より多い。これでは三日目の夜には不足いたしますわ」
私の言葉に周囲の騎士たちが騒めき始める。
「そんな馬鹿な」
「食糧係に確認させろ!」
「何かの間違いだろう」
私は騒ぐ騎士たちを眺めながら、小さく息を吐いた。
(数字は嘘をつかないというのに、なぜ人間は数字を確認する前に大声を出すのでしょう。声の大きさで食糧が増えるのであれば、国庫の赤字などとっくに消えておりますわ)
「食糧係を呼んでくださいませ」
「すぐに呼びます」
カシアンが指示を出すと、しばらくして一人の騎士が慌てた様子でやって来た。
「お呼びでしょうか!」
「食糧の積載について、セレスティーナ卿から指摘があった」
「食糧ですか? 問題はないはずですが……」
「では質問いたしますわ」
私は帳簿を閉じた。
「一人あたり一日に必要なパンの量は?」
「ええと……」
「答えられませんの?」
「……決められた量を積んでおります」
「質問に答えてくださいませ」
「それは……」
騎士の顔から血の気が引いていく。
「では別の質問ですわ。現在、馬一頭につき一日に必要な飼料は?」
「規定量を与えております」
「規定量とは何キロですの?」
「……」
「お答えくださいませ」
「……分かりません」
「なるほど」
私は帳簿に何かを書き込んだ。
「これで原因が判明いたしましたわ」
カシアンが困ったように尋ねる。
「原因とは?」
「誰も計算していないことです」
「……」
「食糧係なのに食糧の量を知らない。馬の世話をする者なのに飼料の量を知らない。それでどうして五日間の旅ができると思っていたのか、私には理解できませんわ」
若い騎士が反論した。
「ですが、今まで問題なく遠征できていました!」
「今まで?」
「はい!」
「では、今までの遠征では食糧が不足しなかったのですか?」
「それは……途中の町で買い足していました」
「今回も買えばよい、とそう仰るのかしら?」
「そうです」
私は街道の先へ目を向けた。
「隣国へ向かう今回の旅では、途中に大きな町は三つしかありませんわ」
「ならば、その三つで――」
「最初の町まで二日。次の町までさらに一日半。その次は国境の手前です」
「……」
「そして、この時期は商人の往来が増えております。食糧の値段も上がっていますわ」
「そこまで分かるのですか?」
「当然ですわ」
私は当然のように答えた。
「財務局で十年分の物価記録を見ておりますもの」
カシアンが帳簿を覗き込む。
「しかし、買い足せば済む話では?」
「済みません」
「なぜです?」
「今ここで買い足せば、予定していた旅費を大きく超えます」
「……いくらほど?」
「このまま何も変えなければ、国庫から追加で金貨二十八枚ほど必要になりますわ」
「二十八枚……」
騎士たちの間から、低い声が漏れた。
「ですが、食糧が必要なら仕方がないでしょう」
「いいえ」
私はきっぱりと言った。
「必要なのではなく、無駄にしているのです」
「無駄?」
「騎士団の皆様、毎朝どれほどの食糧を残していますの?」
食糧係が黙り込む。
「答えてくださいませ」
「……パンが、少し」
「どれくらいですの?」
「一日で二十個ほど」
「二十個?」
私は目を細めた。
「それを五日続ければ百個。百個のパンが捨てられている計算になりますわ」
「……」
「さらに肉も余っていますわね?」
「なぜ、それを……」
私は一枚の紙を取り出した。
「帳簿に残っていますもの。御覧なさいな。先月の遠征記録ですわ。肉の購入量と消費量が合っておりません。余った肉は処分されたとありますが、処分費まで計上されています」
「……」
「つまり、食べ残したうえに、捨てるための金まで払っているわけですわ」
カシアンが頭を抱えた。
「これは……かなり酷いな」
「酷いどころではありませんわ」
私は馬車の方へ視線を向けた。
「今から食事量を改めます。必要な分だけ配り、余った食糧は保存する。馬の飼料も一頭ごとに記録する。これだけで追加費用の大半は消せますわ」
「ですが、騎士たちから不満が出るのでは?」
「出るでしょうね」
「よろしいのですか?」
「問題ありませんわ」
私は笑った。
「不満では腹は膨れませんもの」
「……確かに」
カシアンが苦笑した。
その時、檻馬車の中から声がした。
「おい、セレスティーナ」
「何ですの、ヴィクトール卿」
「俺にも食事量を減らすつもりか?」
「当然ですわ」
「俺は囚人だぞ?」
「だから何ですの?」
「いや……普通、囚人にはもっと……」
「ヴィクトール卿」
「なんだ?」
「あなたは証人ですわ。証言台に立つまで健康を維持していただく必要があります」
「……」
「したがって、必要な栄養は確保いたします。ただし、余計な菓子や酒などは一切認めません」
「酒まで駄目なのか!」
「当然ですわ」
檻の中から深いため息が聞こえた。
「俺、あんたに捕まってから人生がどんどん細くなっていくんだが……」
「余計な部分が削れているだけですわ」
「それを普通は人生が細くなったとは言わない!」
騎士たちの何人かが吹き出した。カシアンまで口元を押さえている。
「笑っている場合ではありませんわ」
私は全員を見渡した。
「この旅は遊びではありません。食糧も馬も、すべて国のお金で用意されています。必要なものを必要なだけ使う。それ以上でも、それ以下でもありませんわ」
「……承知しました」
カシアンが背筋を伸ばした。
「食糧計画はすべて見直しましょう」
「よろしい判断ですわ」
私は帳簿を閉じた。
「それから、もう一つ」
「まだ何か?」
「宿泊先ですわ」
「宿?」
「予定していた宿の費用が高すぎます」
「……」
「今夜の宿泊費、騎士団全員で金貨十二枚とありますわね?」
「ええ」
「半分以下にできます」
「そんな宿が?」
「ありますわ」
私は街道の先を指差した。
「三里ほど先に、商人がよく利用する宿場町があります。そこなら馬の世話も含めて、予定の半額程度で済みますわ」
「なぜ、そこを知っているのです?」
「商人の帳簿を調べれば分かります」
「……財務局というのは、そこまで調べる場所なのですか?」
「調べるのではありませんわ」
私は馬車へ向かって歩き出した。
「数字が教えてくれるのです」
その時だった。街道の向こうから、一台の荷馬車が近づいてきた。積まれているのは、大きな木箱。
私は何気なく目を向けた。荷札には、隣国の商会名が記されている。だが、その文字の下に書かれた品名を見た瞬間、私は足を止めた。
「……妙ですわね」
「どうしました?」
カシアンが尋ねる。私は荷馬車を見つめたまま、静かに目を細めた。
「この商会、三年前に廃業しておりますわ」
「何?」
「なのに、どうして今も荷物を運んでいるのでしょうね」
街道を進む荷馬車の車輪が、乾いた音を立てる。私は手帳を開き、新たな数字を書き始めた。
隣国へ向かう旅は、まだ始まったばかり。それなのに、どうやら私はまた、面倒な帳簿を見つけてしまったらしい。
(……まったく。どうして旅先まで数字の方から私を追いかけてくるのでしょう。ですが、廃業した商会の名を使って荷を運ぶのであれば、そこには必ず理由がありますわ。さあ、今度はいくらの不正が隠れているのかしら)
私は荷馬車が消えていった街道の先を見つめた。
「カシアン騎士団長」
「はい」
「あの荷馬車を追いますわ」
「……やはり、そうなりますか」
「ええ。旅費の計算より、面白そうな数字が見つかりましたもの」
私は微笑んだのだが、カシアン騎士団長の顔は引きつっていたのだった。
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