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搾取令嬢は二度と騙されない ~嘘を見抜く左目で、すべてを取り戻します~  作者: 第三ひよこ丸


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第062話 親友の隣を汚す不浄は、数字という名の断頭台でその虚飾を剥ぎ取られますわ

 王都の表通りは、活気に満ちあふれていた。

 石畳を叩く馬車の蹄の音、露店から漂う香ばしい焼きたてのパンの香り、そして行き交う人々の晴れやかな笑い声。

 私にとっての休日は、山積した帳簿の海から一時的に逃れ、唯一無二の親友であるエルメリンダと穏やかな時間を共有するための、何物にも代えがたい宝物である。

 彼女の銀髪が陽光に透け、真珠のような輝きを放つ様を見ているだけで、日々の過酷な演算業務で凝り固まった脳の芯が、少しずつ解きほぐされていくのを感じる。


(たまには、数式や統計の呪縛から離れて、こうして季節の移ろいを感じるのも悪くない)


 しかし、運命というものは往々にして、平穏な瞬間にこそ悪意に満ちた毒を混ぜ込むものらしい。

 色鮮やかな花々が飾られた広場の噴水へと差し掛かったところで、私たちの前途を遮るようにして、二つの影が躍り出た。

 一人は、身の丈に合わない豪勢な外套を羽織り、髪をこれでもかと香油で塗り固めた男。

 もう一人は、その背後でいかにも太鼓持ちといった風情を隠そうともせず、卑屈な笑みを浮かべている追従者。

 彼らが放つ、安価な酒と強い香水の混ざり合った不快な臭気が、春の柔らかな空気を無残に汚していった。


「これはこれは、眼福というべきか。このような場所で、これほどまでに美しい真珠を見つけることができるとは。俺の運勢も捨てたものではないな」


 外套の男が、品性の欠片もない視線でエルメリンダを執拗になめ回す。

 エルメリンダは不快そうに眉を寄せ、私の斜め後ろへと身を引いた。

 彼女の繊細な指先が、私の衣服を微かに掴む。

 その小さな震えが、私の胸の内に静かな、しかし確実な怒りの火を灯した。


(不浄な輩が。その薄汚れた指先で、わたくしの唯一無二に触れるなど、万死に値する無礼ですわ。今すぐその腕を、算盤の珠のごとく弾き飛ばして差し上げたいところですが……。まずは、貴方たちの存在がいかに虚無であるかを、明白な数字で突きつけて差し上げましょう)


 私は一歩前に出ると、エルメリンダを庇うようにして男たちの前に立ち塞がった。

 感情を排除し、ただひたすらに事実のみを見定めるための瞳で、男の全身を端から端まで、一分一厘の狂いもなく走査していく。

 私にとって、目の前の男はもはや人間ではない。

 解かれるのを待つばかりの、欠陥だらけの不細工な数式に過ぎなかった。


「お引き取りを。私共は、貴方方のような方と語らう時間は一秒たりとも持ち合わせておりません」


 私の声は、春の陽気とは正反対の温度で響き渡ったはずだ。

 しかし、男はそれをただの拒絶として捉えず、むしろ興味を惹かれたかのように下品な笑いを深めた。


「そう邪険にするな。俺たちはこれでも、この界隈では名の知れた資産家の息子でね。将来を約束された身だ。君のような美しい花には、もっと相応しい場所があるはずだ。どうだ、俺と一緒に来れば、金に不自由させることはないぜ?」


 資産家という言葉を聞いた瞬間、私の脳内の演算回路が、かつてない速度で火花を散らしながら回転を始めた。

 資産という言葉を、これほどまでに安易に口にする不遜。

 その言葉の裏側に潜む実態を暴くことなど、私にとっては呼吸をするよりも容易なことだった。


「……ふむ。資産家の息子、ですか。その自信に満ちた物言いには、一体どれほどの裏付けがあるのか、少しばかり拝見させていただきましょう」


 私は男の外套の襟元を凝視した。

 そこに施された刺繍の糸のほつれ。

 さらには、袖口に見える目立たない擦り切れ。

 情報の断片が、脳内の広大な海から引き揚げられ、瞬時に一つの絵を完成させていく。


「まず、貴方が纏っているその外套。一見すれば東方の高級な絹織物に見えますが、繊維の密度が本来の規格より一割ほど低い。これは、廃材を再加工した二級品を、高額な特級品に見せかけた紛い物です。さらに、その胸元で輝く勲章のような飾り。金の色味が不自然に明るいですね。これは真鍮に薄い金メッキを施しただけの玩具。表面の僅かな傷から、既に地の金属が顔を出しています。そして何より、その靴。底の摩耗具合が尋常ではありません。特定の方向に極端に削れているのは、高価な馬車を雇う余裕がなく、毎日長距離を徒歩で移動している動かぬ証拠。それも、足取りが覚束ないほどに心身が疲弊しているようですね」


「な、なんだ貴様は……。女のくせに、一体何をぶつぶつと言っているのだ」


 男の顔が、苛立ちと底知れぬ恐怖で青ざめていく。

 だが、私の言葉は止まらない。

 ここからが、この醜悪な数式の解答を導き出す本番だからだ。


「計算は既に完了しました。貴方の年間所得は、精々が銀貨四十枚程度。王都の最下層の官吏よりも低い水準です。対して、その身なりの維持と、分不相応な遊興に費やした負債の総額は、累積で金貨十五枚に達している。これを現在の市場における平均的な利息、年率十八パーセントで複利計算すれば、貴方が今後一生をかけて働き続けたとしても、完済は物理的に不可能です。……つまり、貴方はこの場に立つ通行人の中で、最も『価値のない』、負の遺産そのものなのですよ」


「な……っ!?なぜ、なぜそれを、俺の借金の額まで……!」


 男は絶句し、膝を震わせた。

 その隣にいた追従者も、既に腰が抜けたのか、地面に這いつくばるようにして震えている。

 私はとどめを刺すべく、一切の慈悲を捨てて宣告を下した。


「貴方が今日、その偽物の外套を纏ってまで虚勢を張っているのは、次なる借財のあてを探すためでしょう。そのような空虚な数字の塊で、私の親友の尊い時間を買おうなどと。……万死に値する無礼、と申し上げましたが、訂正します。貴方の命には、死を賜るほどの価値すら残されていません。今すぐ立ち去りなさい。さもなくば、貴方の全債権者に対し、現在の居場所と、返済能力が完全に破綻しているという私の署名入り精査報告書を、今この場で代筆して送り届けますが?」


 男たちの顔から、完全に表情が消失した。

 彼らにとって、私はもはや少女という形をした人間ではなく、人生そのものを無に帰す、逃れられぬ断罪の機械に見えたことだろう。


「ひ、ひぃぃっ!化け物だ!この女、正気ではないぞ!」


 男たちは、まるで焦熱の地獄から逃げ出す亡者のような形相で、涙目になりながら石畳を蹴り、路地裏へと逃げ去っていった。

 彼らが去った後には、ただ安っぽい香水の残香だけが、虚しく漂っている。

 私は大きく溜息をつき、乱れた呼吸を整えた。

 周囲の野次馬たちが、私を恐れと好奇の入り混じった視線で見ているが、そんなことは瑣末な問題に過ぎない。


(ふむ。少し計算を急ぎすぎたかしら。これでは折角の休日が台無しですわ。ですが、あの程度の塵芥にエルメリンダを汚されるくらいなら、私の評判などいくらでも投げ捨てて差し上げますわ。……それにしても、あの靴の減り具合。借金よりも先に、栄養失調で倒れる確率の方が高いのではないかしら?)


 隣を見れば、エルメリンダが呆れたように、しかしその瞳には深い信頼を宿して私を見つめていた。


「……セレスティーナ、貴女という人は。あそこまで徹底的に詰めなくともよろしいでしょうに。男たちの顔、まるでお化けでも見たかのようでしたわよ」


「事実を述べたまでですわ、エルメリンダ。数字は決して嘘をつきませんし、忖度もいたしません。彼らの存在は、この街の健全な経済循環において、ただの不必要なノイズでしかありませんでしたから」


「ふふ、相変わらずですわね。でも、助かりましたわ。ありがとう、わたくしの誇り高き騎士様」


 エルメリンダは私の腕を優しくとり、再び歩き出した。

 彼女の指先の温もりが、私の冷え切った計算回路を穏やかに溶かしていく。

 私たちは再び、春の光が溢れる王都の街並みへと足を進めた。


 歩き出した私たちの背後に、長く伸びる二つの影。

 私は無意識のうちに、すれ違う人々の身なりから、この区画の平均的な家計収支と、来期の消費動向を予測し始めていた。

 職業病、という言葉が脳裏をよぎるが、それを口にするのは無粋というものだろう。


(……おっと。これでは仕事をしているのと変わらないな。今はただ、この安らかな時間を享受するとしましょうか)


 石畳を叩く私たちの足音が、心地よいリズムを刻みながら、王都の喧騒の中に溶けていったのだった。

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