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搾取令嬢は二度と騙されない ~嘘を見抜く左目で、すべてを取り戻します~  作者: 第三ひよこ丸


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第058話 カーテン越しの断罪は音もなく、算盤の響きは傲慢な貴族を平民へと突き落としますわ

 夜明けの光は、勝利の福音ではない。

 暗闇の奥底で肥え太り、国の髄を啜っていた腐敗を白日の下に晒し、その喉元を断つために振り下ろされる処刑人の白刃。


 財務局の一階大ホール。

 かつては帳簿を繰る乾いた紙の音と、官吏たちの控えめな足音だけが支配していた実務の聖域は、醜悪な欲望と獣じみた罵声が渦巻く泥沼の戦場と化した。

 二階の回廊から、意図的なリズムを刻みながら中央の階段を降りる。

 一歩。また一歩。

 大理石に響く規則正しい靴音は、狂乱するホールに峻烈なメトロノームとして介入した。音が響くたびに、怒号を上げていた貴族たちの視線は、氷水を浴びせられたように私へと釘付けになる。


 鞘を払われた剣の林が不吉な輝きを放つホールの中央、孤立無援で立ち尽くしていたクライン局長の真横に並び立った。


 間近で見る局長は、拳を白くなるまで握りしめ、背中を巨大な岩盤のように強張らせている。

 左目が、隣に立つ彼の微細な呼吸の乱れ、肌を伝い落ちる汗が失わせる熱量を至近距離で感じられる。


【セレスティーナ、君は本当に、この国の全権力を敵に回すつもりか】


 隣に並び、肩を並べたからこそ、彼の皮膚の下で鳴り響く本音が共鳴するように伝わる。

 財務官としての脆い矜持と、代々続いてきた貴族社会という暴力への根源的な恐怖。巨大な圧搾機の狭間で、彼の精神は悲鳴を上げ、磨り減っているようだった。


【……いや、君は最初から確信していたのだな。この国を救うには、この膿を出し切るしかないと。たとえそれが、王国の半分を切り捨てるに等しい暴挙であっても】


 局長が、眼前に突きつけられた数多の剣の切っ先の震えを逃げずに見据える。


【だが、見ろ。これがこの国の支配者と称される者たちの正体だ。私腹を肥やす権利が少し脅かされただけで、隣国へ富を流した国賊としての罪さえも忘れ、恥知らずに吠え立てる群れ。醜い。あまりに醜いではないか】


 至近距離で聞こえる局長の速い鼓動。恐怖を乗り越えようとする、武人のそれにも似た激動。

 彼が今この瞬間、死を覚悟し、刺し違えても一歩も引かぬと決めたことが、床を踏みしめる足の親指の僅かな力の入り方で理解できた。


【私がここで一歩でも退けば、王国は内側から腐り落ち、明日を待たずに消滅する。ならば、私は局長として、君の敷いたこの断崖を歩むしかない。たとえ、この命がここで塵となって潰えようとも】


 

 その覚悟、しかと隣で受け取った。

 局長の横で静かに、優雅な所作で、使い込まれた銀の算盤を高く掲げる。

 窓から差し込む朝陽を背負い、逆光の中で影となって彼らを見据えた。

 左目が捉えるのは、貴族たちの表面的な怒りではない。裏側に張り付いた損得勘定という名の醜い数式、崩壊していく家門への逃げ場のない絶望。


「朝早くから、騒がしいことですわね。皆様、それほどまでに『無価値な数字』に戻った資産が惜しいのかしら?」


 研ぎ澄まされた鋭利な声が、淀んだホールの空気を一文字ずつ切り裂く。


「貴様、セレスティーナ! よくもノコノコと降りてきたな! その小賢しい算盤で我らの命脈を計れると思っているのか! 今すぐ凍結を解除しろ! さもなくば、その生意気な首を、今ここで床へ叩き落としてくれる!」


 先頭に立つバルフォア侯爵が、形振り構わず私に向けて剣を突き出した。

 距離、わずか数レム。

 私はその凶刃を道端の石ころのように無視し、局長の隣で、算盤の玉を一つ人差し指で弾き上げた。


 パチリ。


 乾燥した小さな音が狂乱の怒号を制圧し、貴族たちの鼓膜を直接打ち抜く。


「侯爵。貴方の剣よりも、貴方の帳簿に刻まれた隣国への不当送金の記録の方が、よほど鋭利に貴方の首を狙っておりますわ。局長、これ以上、この者たちの価値なき咆哮を聞き続けるのは、職務時間の浪費ですわね。そろそろ、わたくしが昨夜からお招きしていた『お客様』に、すべてを見ていただきましょう」


 合図とともに、ホール上方の回廊を覆っていた真紅の重厚なカーテンを左右に開かせた。

 昨夜のうちに、隣国の経済破綻データという甘美な手土産をもって秘密裏に招請しておいた王国の最高権力者。

 国王陛下が、玉座を思わせる椅子に深く腰掛け、射貫くような眼差しで、無言のまま眼下の群衆を見据えていた。


 瞬間、ホールは墓場のような死の静寂に包まれる。

 剣を抜き放っていた貴族たちは、雷に打たれたかのようにその場で固まり、震える手から剣が滑り落ちた。

 石畳に響くガランという金属音は、彼らの家門の終焉を告げる断罪の鐘に聞こえる。


「……陛下!? な、なぜ、このような場所に……」


 陛下は厳しい眼差しを湛え、逆賊たちを一人ずつ、その魂の奥底まで暴き立てるように射貫いた。


「財務官セレスティーナより、国家存亡の危機に関する緊急の報告を受けた。バルフォアよ。余に忠誠を誓ったその口で、隣国の詐欺師に国富を差し出していたというのか。彼女の算盤が弾き出したのは、余の臣下たちの、救いようのない裏切りの合計金額であったぞ」


 陛下が立ち上がり、重厚な足取りで回廊の端へ歩み寄る。


【……この娘の報告には、銅貨一枚のミスも、瞬き一つの嘘もなかった】


 階上から降り注ぐ、逃げ場のない陛下の重圧。

 王としての深い孤独、長年信じていた臣下に裏切られた血を吐くような怒りが、左目を通じて数字の奔流となり、脳内に流れ込む。


【余が王宮の奥、甘言と追従に満ちた心地よい場所に座っているだけでは、決して見えなかったであろうな】


 陛下が、眼下に立つ私の手元、銀の算盤に鋭い視線を落とした。


【彼女の言う通り、ここで腐った肉を切り落さねば、王国に明日の朝日は来なかった。余は今、この幼き番犬に、国を救われたのだな】


 陛下の心に広がる、臣下への底知れない失望。

 それを凌駕するほどに巨大な私という怪物への畏怖がみてとれる。


【……いや、余もまた、彼女の算盤の上で踊らされていたに過ぎんのか。すべては彼女の掌の上か】


 それを確認し、局長の隣で最後の一打ちとして再び算盤を叩いた。

 パチリ、パチリ。

 断罪の冷たい音が、逃げ場のないホールの隅々にまで染み渡る。


「皆様。陛下がお見えになった以上、言い逃れという不純な計算式は成立いたしません。今ここで、隣国の甘い毒に目が眩み、自らの延命のために王国の未来を売り渡そうとした全二十三家。そのすべての資産を接収し、爵位を剥奪することを、財務官として陛下に進言いたしますわ」


「待て、待ってください! 我々は騙されていたのです! 再考を、どうか再考を!」


 先ほどまでの傲慢さは消え失せた。

 石畳に膝を突き、額を擦りつけ、無様に命乞いを始める貴族たち。

 私は彼らの流す涙を、一銭の価値もない不純物として無慈悲に切り捨てた。精密な計算式に、慈悲などという不安定で非論理的な変数は、最初から存在しない。


「騙されていた、という言葉は、己が行った悪行を免じる魔法ではありません。財務官たるわたくしが求めているのは、感情による許しではなく、奪われた国富の完全なる埋め合わせ。さぁ、陛下。この者たちの資産を接収すれば、王国の外債は即座に完済され、民の税を来期、二割下げることが可能ですわ」


 私の宣告は、貴族たちにとっては死の宣告。

 王国にとっては、新しい時代の産声。


「この国は、彼らという巨大な負債を取り除くことで、初めて真の豊穣を手にするのです」


 陛下は重厚に頷き、断罪の命令を全空間が震えるほどの声で響かせた。


「セレスティーナ。余の番犬よ。お前の計算通りに、すべてを精算せよ。裏切り者どもを、一人残らず連れて行け! その汚れた衣服を剥ぎ、二度とこの王都の土を踏ませるな!」


 王宮近衛騎士団が怒濤の勢いでホールになだれ込み、絶望に叫ぶ貴族たちを次々と引きずり出していく。

 嵐が去った後、隣で呆然と立ち尽くしていたクライン局長が、信じられないものを見るような目で私を見下ろした。

 

 至近距離、その唇が小刻みに震えている。


「セレスティーナ……。君は、陛下さえも自分の算盤の上で動かしていたというのか」


【……君の目に映る世界には、一体どれだけの数字が並んでいるんだ】


 局長を見上げ、ほんの少しだけ口角を上げた。

 

「あら、局長。王国の最高の資産である陛下を、最も効果的な場所で運用するのは、財務官として当たり前のことですわ。さぁ、片付けを始めましょう。ゴミを片付けた後は、その後に残る莫大な富を、いかに厳格に動かすか。わたくしの算盤は、まだ止まることを許してくれませんの」


 銀の算盤を静かにドレスの帯へと戻した。

 窓から差し込む朝陽は、財務局の床を、没収した金貨の輝きのように黄金色に染め上げていたのだった。

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