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搾取令嬢は二度と騙されない ~嘘を見抜く左目で、すべてを取り戻します~  作者: 第三ひよこ丸


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第057話 偽りの豊穣は骸の山、左目が暴くは貴族らが耽る架空投資の地獄ですわ

 深夜の財務局執務室。窓外には死にゆく月が不気味なほどに蒼白な光を投げかけ、室内では数本の蝋燭が、酸素を奪い合うように細く、頼りなく揺れている。

 空気は肌を刺すほどに冷え切り、そこには古い羊皮紙と乾いたインクの、肺を灼くような特有の臭いが重く立ち込めていた。舞踏会の華やかさはもはや遠い過去の幻影に過ぎず、この四方の壁に囲まれた空間だけが、王国の存亡を左右する唯一の現実となっていた。


 私の前で膝を突き、震える指先で真実の帳簿を差し出したヴィクトール・アシュベリー卿。その背後から、クライン局長が鉛を引きずるような重苦しい足取りで机の端へと歩み寄り、差し出された紙束を、忌々しげに、そして恐れを孕んだ瞳で睨みつけた。

 局長の喉が小さく鳴り、その額には深い皺が刻まれる。彼は知っているのだ。この紙束の一枚一枚が、王都の平和を根底から覆す爆薬であることを。


 私は、その帳簿の海へと没入する。そこに並ぶのは、隣国の言語で記された、極めて美しく、そして救いようのないほどに()()()()()数字の群れであった。数字というものは、正しくあるときほど、どこかに(いびつ)な空白を生むのだ。


「……ほう。隣国の国家予算から『外交機密費』の名目で支出されたこの莫大な金貨。その流転先を辿れば、今、王都で流行している『配当金』の出処と、銅貨一枚の誤差もなく一致いたしますわね」


 私の唇から漏れた、氷の破片のようなその言葉を聞いた瞬間、クライン局長の眉間が、雷雲を孕んだかのように深く歪んだ。彼は耐えきれぬように、震える手で自身の額を押さえる。


「セレスティーナ、待て。……それは今、王都の貴族たちが、己の先祖伝来の私財を投げ打ってまでこぞって投じている、あの異常な利回りを謳う投資先のことか」


 局長の声は微かに震えていた。


「元本を保証し、月ごとに五分という狂った配当を出し続けている、あの悪魔の誘いか……!」


【まさか、あの投資話そのものが、隣国の財政破綻という名の巨大な空穴を埋めるための、吸い上げ装置だというのか? もしそうなら、この国の貴族たちの資産は、実体のない砂の城に積み上げられていることになる。そんな事実が公になれば、王国の経済は、明日にも、いや、数刻後には瓦解するぞ。国家そのものが不渡りを出したに等しいではないか】


 クライン局長の内心に渦巻く、胃を灼くような焦燥と、自国を愛するがゆえの悲鳴。私はそれらすべてを無感情に受け流し、使い込まれた銀の算盤に細く、しなやかな指を添えた。

 パチリ、と。深夜の静寂に、一打の音が断罪の鐘のように響き渡る。


「局長。数字に慈悲や情緒を期待してはなりませんわ。それは財務官としての死を意味します」


 私は、感情を削ぎ落とした声で告げた。


「いいですか。我が国の貴族たちが受け取っている高額な配当の正体は、隣国の税金、その血肉を削り取った残滓ですのよ。彼らは自国の破綻を先延ばしにするために、我が国の貴族から『投資』という名目で現金をかき集めた」


 私は一拍おき、絶望に身を震わせる特使を見据えた。


「その現金を国庫の補填に回し、足りない配当分は、また新たな投資家から集めた金で賄う……。典型的な自転車操業、それも、国境を越えた大規模な詐欺ですわ」


 ヴィクトール卿が、血の気の引いた顔を幽霊のように上げ、喘ぐように声を漏らした。


「……そうだ。我が国の金庫は、軍備の拡張と放漫な財政によって、とっくに底を突いている。十日後には、配当は完全に止まる」


 男の独白を聞きながら、私の脳内では算盤の玉が火花を散らすほどの速さで弾き出されていた。暗記していた貴族名簿、各家が抱える負債の推移、そして現在の資産価値。王都でこの毒に手を出している家系は、優に百を超え、その総額は王国の年間予算の三割という、背筋の凍るような数字に達している。


「そうなれば、担保として設定された貴国の貴族たちの領地の権利は、契約書の文言通り、法的に我が国の差し押さえ対象となる……。我々は、戦わずしてこの国を食い破るつもりだったのだ」


「局長、お分かり? これは投資などではありません。隣国が仕掛けた、我が国の貴族階級を丸ごと債務地獄へ引きずり込むための、経済侵略。十日後、配当が止まった瞬間に、王都の貴族の三割が自己破産し、彼らの領地は自動的に隣国の掌中に落ちる」


 私は、微動だにせず突きつける。


「剣も魔法も使わず、ただの紙切れ一枚で、この国の国土の三割が奪われるところでしたのよ」


「そんな馬鹿なことが許されるか! 国家規模の詐欺、いや、宣戦布告なき侵略ではないか!」


 クライン局長が机を激しく叩き、燭台の炎が大きく揺らぐ。だが、私は、その混乱の渦中から、唯一無二の精算方法を導き出していた。


【この娘……。貴族たちが、友人が、あるいは知人が破滅する凄惨な未来を、まるで帳簿の誤字を見つけたかのような、揺るぎない眼差しで眺めている。恐ろしい。彼女にとって、人の人生も、爵位の重みも、歴史ある家門の誇りも、すべては収支報告書の上の一行、処理されるべき不純物に過ぎないのか。彼女の心には、算盤の玉と同じ硬い石しか詰まっていないのか】


 局長の畏怖と戦慄を背に受けながら、私はふわりと、羽毛が舞うような軽やかさで立ち上がった。濃紺のドレスが月光を吸い込み、私は闇そのものを纏った、人の世の倫理を超越した断罪者のように、ヴィクトール卿を見下ろす。


「ヴィクトール卿。貴方はこの不純な金の循環の責任者として、わたくしの共犯者になっていただきますの」


 突き放すような私の宣言に、特使が顔を上げた。


「……いえ、これは命令です。拒否権など、貴方の国が発行する不渡り手形よりも価値がありませんわ」


「共犯……? 一体、何をさせる気だ。この期に及んで、我が国をどう利用しようというのだ」


「簡単なことですわ。明日の朝、この投資話に関わる全口座を、我が財務局が『敵国資本の不当介入』を理由に強制凍結、および接収いたします」


 流れるように、私は破滅の数式を言葉にしていく。


「隣国が我が国の貴族から集めた現金は、すべて不法な侵略資金として国庫へ没収。……もちろん、配当に目が眩んで、国を売るような真似をした愚かな貴族たちの元本も、一切返却いたしませんわ。彼らには、己の強欲の重さを、銅貨一枚も残さず味わっていただきます」


 クライン局長が、息を呑んだまま私を凝視している。その顔は驚愕で引き攣っていた。


「セレスティーナ、それでは被害を受けた貴族たちが黙っていないぞ! 全財産を奪われた連中が暴徒化すれば、王都は火の海だ! 陛下への責任はどうする!」


「あら、局長。彼らは『敵国に資金を提供した反逆者』として絞首台に登るか、あるいは『無知ゆえに全財産を失った憐れな道化』として路頭に迷うか、二つに一つしか選べませんわ」


 私は、微塵の揺らぎもない笑みを浮かべた。


「わたくしが欲しいのは、彼らの私腹を肥やしていた汚れた金が、清らかな国家予算へと姿を変え、この国の歪んだ天秤が再び均衡を取り戻す。その美しい精算の結果だけですの」


 私は、震えるヴィクトール卿の前に、一点の汚れもない誓約書を突きつけた。


「さあ、狐さん。貴方はこの計略の主犯として、わたくしの描く筋書き通りに、我が国の貴族たちを告発なさい。貴方の証言一つで、彼らの財産は合法的に私の算盤の下へ集められる。さあ、選びなさい」


 銀の算盤を特使の目の前で鳴らす。


「貴国の破綻を今すぐ全世界へ宣言し、貴方の家族もろとも、数字の底に沈むか。それとも、私の飼い犬として、この国を掃除する手伝いをするか。わたくしを待たせないで。計算の合わない不毛な時間は、わたくしにとって、万死に値する苦痛なのですから」


 銀の算盤が、月明かりの下で葬送の旋律を奏でるようにパチリ、パチリと鳴り響く。

 深夜の財務局。

 そこには、欲望に溺れた貴族たちの末路を、一銭の誤差もなく計算し終えた番犬の、峻厳で、どこまでも美しい笑みだけが残されていた。私の視界には、もはや人間としての特使の姿はなく、ただ整理されるべき莫大な不良資産という名の記号が並んでいるだけなのだ。

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