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搾取令嬢は二度と騙されない ~嘘を見抜く左目で、すべてを取り戻します~  作者: 第三ひよこ丸


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第051話 殿下の執着と伯爵の称号、その二重の鎖でわたくしの運命を縛りますわ

 王城の最上階。金細工が血管の如く細密に這わされた重厚な扉の向こう側で、時間は完全にその流動を止めていた。

 

 私が突きつけた一枚の紙片。

 ハミルトン侯爵の横領と反逆の動かぬ証拠は、御前会議という名の神聖なる法廷において、この国の古い秩序を根底から叩き潰す鉄槌となった。


 円卓を囲む重臣たちは、かつて自分たちが王宮の良心と崇めた男の正体が、国庫を啜り、私設兵を養い、簒奪の機を伺っていた害獣であったという事実に戦慄し、脂汗を流しながらただ立ち尽くしている。その沈黙は、まるで処刑台へ向かう囚人たちが共有する絶望の通奏低音のようであった。


 膝を突き、項垂れていたハミルトン侯爵。その肩が不気味に震え始めたのは、絶望が限界を超えたからではなかった。彼の内側から溢れ出すのは、もはや聖人の言葉などではなく、ドロドロとした泥のように濁った絶望と、私に対する狂気じみた殺意、そして築き上げた砂の城が崩壊したことへの呪詛だった。


「……ク、ククク。精算だと? 小娘が……。たかが財務局の、計算しか能のない人形の分際で、この国の未来を、我が高潔なる理想を語るか! 其方のような血の通わぬ冷ややかな数字の化身に、何が分かると申す! 我が目を盗み、これほどの証拠を揃えるなど、人の成せる業ではない。万死……万死に値する!」


 吐き出された叫び声は、もはや人間のそれではない。長年繋がれていた鎖を食いちぎった獣が放つ、汚濁に満ちた咆哮だった。

 ハミルトン侯爵が、弾かれたように跳ね起きた。その右手が、儀礼用として帯帯を許されていた細身の剣へと伸びる。抜剣の禁じられた御前を、真っ赤な殺意で塗りつぶす大逆の徒。銀色の閃光が、窓から差し込む朝の光を真っ二つに割り、一直線に私の喉元を貫こうと迫り来る。


 あまりの速度に、周囲の重臣たちは悲鳴を上げることさえできない。死の刃が私の肌に触れ、鉄の冷たい感触が伝わる――そう確信した次の瞬間。

 金属と金属が激しくぶつかり合う、耳を突き刺すような高音が広間に炸裂し、大気を震わせた。


「……そこまでだ、ハミルトン。私の前で、彼女に触れようなどと」


 私の鼻先を掠めるように割り込んだのは、レナート殿下だった。

 殿下は自らの剣を抜くことさえせず、鞘のまま、侯爵の死物狂いの一撃を完膚なきまでに叩き落としたのだ。衝撃の余波で私の髪が激しくなびき、火花が視界に散る。殿下の動きには一切の淀みがなく、そのまま流れるような所作で、重厚な鞘の先端を侯爵の鳩尾へと深く、重く叩き込んだ。


「が、はっ……!」


 肺から全ての空気を無理やり引きずり出されたような無惨な苦鳴。

 侯爵の体はくの字に曲がり、真紅の絨毯の上を十メートル近くも虚しく滑って弾け飛ぶ。間髪入れず、四方の壁際に影のように控えていた近衛騎士たちが、鋼鉄の鎧を鳴らしながら一斉に動き、床に転がった侯爵を組み伏せた。数人の騎士がその四肢を無慈悲に押さえつけ、首筋には冷たい石突が突き立てられる。


「其方、陛下を前に何を……! 控えよ、大逆人!」


 騎士の怒号が響き、侯爵の手から離れた剣が乾いた音を立てて床を滑り、虚しく弾け飛ぶ。

 最奥に鎮座していた国王陛下が、ゆっくりと歩いてくる。その一歩ごとに空気が物理的な重圧を伴って凝縮され、呼吸が困難になるほどの威厳が満ちていく。陛下の黄金色の瞳には、もはや一滴の慈悲も残っていなかった。


「ハミルトンよ。余の信頼を裏切り、国庫を食い潰し、挙句にこの場で抜剣までしてみせるとはな。其方の罪を数え上げる時間は、もはや一秒たりとも惜しい。衛兵! この膿を今すぐ地下牢へ叩き込め! 全財産没収の上、一族郎党、連座の刑とする。二度と余の視界に、その醜い面を入れるな。其方の名前そのものを、この国の記録から消去してやる」


 かつての巨人が、狂ったように呪詛を吐き散らしながら、近衛兵たちに引きずられていく。その背中を見送りながら、私は一つ深く息を吐き、乱れた髪を指先で整えた。

 

 私の背後で、レナート殿下が鞘を払い、私を庇うように、あるいは独占するように一歩前へ出る。その背中からは、先ほどまでの穏やかさを完全に塗り潰すほどの、黒く濁った執着と殺気が漏れ出していた。


【ハミルトン……お前、最後の一線を超えたな。私の目の前で、彼女の命を散らそうとしたこと、地獄の底で後悔させてやる】

 

【私のセレスティーナに刃を向けた罪、その命一つでは到底足りない。地下牢で、死さえも贅沢に思えるほどの苦痛を、その身に刻み込んでやろう】

 

【彼女を傷つけようとする者は、たとえ誰であろうと私の手で、最も残酷な方法で精算してやる。君を守るためなら、私は喜んでこの国を血で染め、修羅にでもなってみせよう】

 

【セレスティーナ、大丈夫だ。君を脅かすものは、もう指一本分も残さない。君は、私の隣という最も安全で、最も逃げられない場所で輝き続けるだけでいいんだ。君のすべてを、私という黄金の檻に閉じ込めてしまいたい】


 殿下の内に渦巻く、独占欲という名の暗い熱が、重い空気と共に私を包み込む。


  国王陛下は、私の目の前で足を止めた。王の放つ威圧感は、ヴィンセント殿下を処断した時とは比べものにならないほど重く鋭利だ。


「セレスティーナ・アデレイドよ。其方がこれまでになした働き、余はすべてこの目で確認した。第一王子の放蕩を止め、国庫を救い、騎士団の汚職をなぎ倒し、ついにはこの巨大な裏切りにまで終止符を打った。……もはや、一介の官吏として遇するには、其方の才はこの国にとってあまりに大きすぎる。其方をこのまま低位に留めておくことは、王国の損失であり、余の怠慢だ」


 陛下が私の肩に、その分厚い掌を置いてきた。それは賞賛であると同時に、王という名の巨大な支配が私を捕らえ、逃走経路を完全に断った瞬間でもあった。


「其方の忠義と、数字を操るその類まれなる力を称え、本日この場をもって、其方を『伯爵』に叙することとする。叙爵の儀は後日、国を挙げて盛大に行うが、今日この時から、其方は伯爵として、余の言葉を代弁し、不浄を正す者となれ。その身を飾るは、栄誉ではなく国家という名の重い鉄鎖だ」


 その宣言がなされた瞬間、御前会議の場は、爆発したような驚愕と沈黙が混ざり合った異様な熱気に包まれた。文官から、一足飛びに高位貴族である伯爵へ。それは王国の歴史を根底から塗り替えるほどの異例な沙汰。もはや、誰も口を挟むことなどできない。私という存在が、この国の新たなルールとなったのだ。


 その喧騒の只中、円卓の一角に座していた財務局長ゼノス・ヴァン・クライン伯爵が、感極まった様子で立ち上がった。彼は長く私の直属の上司として、私の苛烈な仕事振りを最も近くで見守ってきた男だ。


【おお、なんと誇らしいことか! 我が財務局から、王国の帳簿を塗り替える真の怪物が、ついに伯爵として並び立つとは!】

 

【セレスティーナ、君こそが財務官吏の至宝だ。これまで周囲の雑音から君を庇い続けてきた苦労が、今、最高の形で報われた】

 

【これで財務局の地位は盤石。いや、それ以上に……君がこの国の全権を握る姿を見られるとは、長生きはするものだ。これからは同格の伯爵として、共にこの腐れ果てた貴族どもの懐を、完膚なきまでに暴き立てようではないか!】


 ゼノス局長の心中から溢れ出す、狂喜にも似た高揚感が私の左目に鮮やかに映る。彼は震える手で自身の髭を撫で、周囲の狼狽える重臣たちをせせら笑うかのような、愉悦に満ちた眼差しを私に向けていた。


「さらには、国家財務の全権監査権を其方に付与する。王族であろうと、大臣であろうと、其方の算盤が『否』と弾いた支出は、すべて余への反逆とみなす。其方が引く赤線は、王の意志そのものだ。其方は今日から、この国の帳簿を守り、害悪を喰らい尽くす唯一の番犬だ」


 私は差し出された言葉の重みを、首にかけられた新しく、そして二度と外れない黄金の鎖のように感じていた。伯爵位。それは栄誉などではなく、より広大な範囲を精算し、より多くの怨嗟を背負うための、逃げ場のない檻そのものだ。


「……身に余る光栄にございます、陛下。頂いたその爵位、不正を働く者たちを跡形もなく押し潰すための、新たな重石として活用させていただきますわ。一文の無駄も、一分の甘えも、わたくしの前では許されません。この国そのものを、一点の曇りもない完璧な帳簿へと仕立て直してみせます。……そこに慈悲の入り込む隙間など、毛頭ございません」


 私は最高に冷ややかな、しかし誰をも魅了する美しい微笑を浮かべて、深く一礼した。

 隣でレナート殿下が、私の手を強く取り、満足そうに、そしてどこか凶悪なほど深く目を細めている。


「おめでとう、セレスティーナ伯爵。……これで、君を縛るものがまた一つ増えたね。君が望む自由なんて、この爵位という鎖がすべて断ち切ってくれる。もうどこにも逃がさないよ。一生、私の側で数字を弾いていればいい」


「あら。殿下のその不吉な喜びも、後ほどたっぷりと『精算』させていただきますわよ? 覚悟しておいてくださいませ。伯爵となった私の算盤は、以前よりもずっと重いのですから」

「それは、怖いなぁ。アハハハ」


 

 十五歳の春。

 私の算盤が奏でる旋律は、伯爵という新たな盾と剣を得て、より一層、非情で甘美な音色を響かせていく。王宮の膿は落ちた。だが、その後に広がるのは、より深く、より逃げ場のない黄金の闇だった。新しい歴史のページが、今、猛烈な勢いで捲り始められたのだ。

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