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搾取令嬢は二度と騙されない ~嘘を見抜く左目で、すべてを取り戻します~  作者: 第三ひよこ丸


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第050話 王宮の膿は一枚の紙片へと変わり、私の筆先が明日を裁きますわ

 深夜の財務局執務室を支配しているのは、石造りの壁が放つ底冷えするような静寂と、古びた紙の束が放つ微かな埃の匂いだけだった。机の上に置かれた唯一の燭台が、限界まで短くなった芯を震わせ、不規則に揺れる炎で壁に巨大な、そして歪な影を落としている。私は、レナート殿下から極秘に手渡されたバルトス伯爵の『真の最終帳簿』を前に、最後の一片を嵌めるための計算に没頭していた。


 指先が、氷のように冷たく硬質な算盤の珠を弾く。

 パチ、パチ、という乾いた音だけが、私の呼吸と同期するように暗い部屋に響き渡る。

 昨夜、あの傲慢なエルーゼから奪い取った捏造書類の数々。そして、バルトス伯爵の隠し金庫の奥底から、私の騎士たちが文字通り命懸けで引きずり出してきた、血の通わぬ送金記録の原本。

 

 それまでバラバラに散らばっていた数字の断片が、計算という名の魔術によって一本の細い糸となり、王宮の最深部、決して光の届かぬ場所へと伸びていく。


 私の左目が、紙面に浮き彫りになった()()()()()を示す隠し紋章を捉えた瞬間、脳内の回路が激しく火花を散らし、視界が真っ赤な警告色に染まった。


「……ありえませんわ」


 吐き出した独り言が、冷え切った空気の中で白く濁る。


「この数字の帰結先が、よりにもよって『彼』だなんて」


 帳簿の奥底に隠されていた署名。それは、王宮で最も慈悲深く、高潔な人格者として知られるハミルトン侯爵のものだった。

 彼はレナート殿下の後見人であり、王国の良心とまで謳われた男。私とはこれまで接点らしい接点もなかったが、その温厚な老人の胸の内に潜む感情が、私の左目にドロドロとした黒い泥のように流れ込んできた。


【ようやく、あと一歩だ】

 

【この国の腐った財政を一度全て破壊し、私の手で再構築する】

 

【バルトスのような小悪党を駒に使い、愚かな令嬢たちに泥を啜らせるのも、全ては新しき秩序のため】

 

【セレスティーナ、君という最高の計算機が、私の理想を完成させる最後の手駒なのだよ】

 

【君の左目が見通す未来は、私の掌の上でこそ、最も美しく輝くのだから】


 

 心臓を、鋭利な氷の刃で直接撫でられたような不快感が背筋を駆け抜ける。

 ”聖人”という仮面の裏側にあったのは、王国を救うという大義名分を盾にした、傲慢極まる破壊と再生の欲望。彼が私に向けていたあの慈愛に満ちた眼差しは、単に使い勝手の良い精密機械を検品する商人の冷ややかな視線に過ぎなかったのだ。


 

 私は、震えそうになる指先を強く握り締め、再び算盤に手をかけた。感傷に浸る時間は、一秒たりとも残されていない。私は今、この瞬間からハミルトン侯爵を王国を蝕む膿と再定義した。


「ハミルトン侯爵。貴方の描く理想郷の予算案には、致命的な欠陥がございますわ」


 彼がどれほど精巧に帳簿を偽装しようとも、金貨という物質が移動する際に生じる不自然な歪みまでは消せない。三年前の救援物資、昨年の軍備増強費……。それらが網の目のように絡み合い、最終的に彼の私設私兵を養うための黒い資金に化けている。その総額、三億四千万ゴルド。国家予算の一割強が、彼の私欲という底なし沼に消えていた。

 

 私は算盤の珠を、一度全て中央に寄せ、再び最初から並べ替えた。カチ、カチ、カチ……。規則正しく響くその音は、罪人を奈落へと誘う断頭台の足音のようだった。

 

「貴方は私に、人の心の温かさこそが国を救うと説いた。ならば、その温かな心で、この冷徹な数字の羅列を説明していただきたいものですわ」


 私の筆先が、ハミルトン侯爵の名の下に、真っ赤な精算の線を引く。

 皮肉な話。

 彼が掲げた偽りの理想が、今、彼自身の首を絞める絞縄へと変わる。


 ふと、背後の暗闇に重厚な気配が揺れた。振り返らなくてもわかる。焦がれるような熱を孕んだ、私を射抜くような気配。


「……判明したのか、セレスティーナ」


 レナート殿下の声が、深夜の闇に溶け込むように届く。私は黙って、完成した告発状を彼の方へと向けた。殿下がその名前を目にした瞬間、彼の琥珀色の瞳が激しく揺れ、歪んだ。信頼していた後見人の、あまりに無惨な裏切り。

 

 殿下は私の背後に立ち、震える私の肩を抱き寄せようとして、その手を途中で止めた。だが、彼の内側から漏れ出す感情は、止めることなどできなかった。


【ハミルトン……お前までもが、私の大切な彼女を利用しようとしていたのか】

 

【万死に値する】

 

【セレスティーナを傷つけ、道具として扱おうとする者は、たとえ私の親代わりであっても生かしてはおかない】

 

【セレスティーナ、君がもし絶望し、一人で抱えきれずに涙を流すなら、その涙ごと私が君を飲み込んでしまいたい】

 

【君の痛みも、君の絶望も、全て私のものにしてしまいたいんだ】


 

 殿下の【本音】が、重く、粘つくような殺意と執着を纏って私を包み込む。ハミルトン侯爵という巨大な毒を排除したとしても、私の隣には、それ以上に危うく、制御不能な熱を持った若き王が控えている。私は、自分の首元を締め上げるような殿下の視線を正面から受け止め、最高に冷ややかな微笑を浮かべた。


「殿下。夜明けと共に、王宮の膿を全て精算いたしますわ」


 

―――― 

 夜明け。王城の最上階、金細工が施された重厚な扉が開かれ、私は御前会議の場へと足を踏み入れた。

 円卓の最奥、玉座に鎮座するのは、この国の絶対的な支配者、国王陛下である。その鋭い眼光は、側近たちが息を呑むほどの威厳を放っていた。


「……セレスティーナ次席官。余の眠りを妨げるに足る理由を示せ」


 国王の地響きのような声が謁見の間を震わせる。そのすぐ側には、何食わぬ顔で微笑を浮かべるハミルトン侯爵が立っていた。


「陛下、此度は王国の根幹を蝕む『害獣』の捕獲に成功いたしました。その証拠として、三億四千万ゴルドの使途不明金に関する報告書を提出いたします」


 私がその書類を広げた瞬間、ハミルトン侯爵は鼻で笑った。


「セレスティーナ。あまりに数字に没頭しすぎて、幻でも見たのかね? その額の資金移動は、三年前の北域開拓のための予備費として、既に処理済みのはずだ」


「あら、侯爵。その予備費の領収書、裏付けとなる穀物ギルドの帳簿と一銅貨の狂いもなく一致すると、本気でおっしゃるのですか?」


 私は一歩踏み出し、別の紙片を突きつける。


「開拓地の人口推移に対し、算出された食糧購入費が三割も多い。この差額は、一体どこの誰の腹に収まったのでしょう?まさか、侯爵の領地で増築された、あの不自然なほど巨大な武器庫の建材費ではないでしょうね?」


 侯爵の眉が僅かに跳ねた。


「……言いがかりだな。建築資材の高騰は周知の事実。君の狭い視野では、国際情勢の変化までは読み取れなかったか」


「情勢の変化、ですか。では、その高騰した資材の購入先が、侯爵の遠縁が営む幽霊商会であり、支払われた金貨がそのまま貴方の私設私兵の軍服代に化けている事実は、どのような『情勢の変化』で説明されるのかしら?」


 周囲の重臣たちがざわつき始める。侯爵の【本音】が、焦燥と共に黒く濁り始めた。


【この小娘、そこまで調べ上げたというのか!】

 

【だが証拠はないはずだ。原本は全て処分させた!】


 

「証拠なら、ここにありますわ。貴方が処分したはずの原本……その複写を、バルトス伯爵が弱みとして握りしめておりましたの。娘のエルーゼ様が、必死に隠し持っておられたものを、わたくしが頂戴いたしました」


 私が掲げた紙片に、侯爵の顔から完全に血の気が引いた。


「……陛下! これは罠です! この娘はレナート殿下と共謀し、私を陥れようとして……!」


「黙れ! ハミルトン」


 国王の重厚な一喝が、侯爵の言葉を断ち切った。王は私の提出した書類を凝視し、そのの瞳に怒りを宿している。


「……三億四千万。余の信頼を、これほどの端金で売ったか」


「陛下……!」


「ハミルトン侯爵、貴方の負けですわ。貴方が積み上げた偽りの理想を、私は数字という真実で上書きいたしました」


 私は最後の一珠を脳内で弾き、絶望に染まる男の顔を眺める。

 一枚の紙片が、一人の巨人を、そして王国の古い秩序を、音を立てて奈落へと突き落としたのだった。

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