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搾取令嬢は二度と騙されない ~嘘を見抜く左目で、すべてを取り戻します~  作者: 第三ひよこ丸


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第048話 仮面の裏の泣き言は、王宮の番犬が噛み砕くべき最高の馳走ですわ

 王宮の廊下を支配しているのは、石造りの冷厳な静寂ではなく、粘りつくような絶望の残り香だった。

 窓から斜めに差し込む朝陽は、磨き抜かれた大理石の床に長い影を落とし、浮遊する微細な塵さえも、まるで処刑を待つ者たちの魂のように白く浮かび上がらせている。

 

 バルトス伯爵が財務局の地下深き尋問室へと引き立てられてから、まだ数刻。昨夜までの華やかな祝祭の余韻は、今や見る影もなく、代わりにどす黒い権力の腐臭が王宮の隅々まで行き渡っていた。


 財務局次席としての執務室へ向かう私の行く手を阻んだのは、かつて社交界の頂で咲き誇り、私を『数字に憑かれた気味の悪い女』と嘲笑っていた令嬢たちの群れだった。

 彼女たちは、泥に汚れたドレスの裾も気にせず、私の足元に折り重なるようにして跪いている。

 かつては高価な香油を振りまいていた彼女たちの肌からは、今や脂汗と、隠しきれない死への恐怖が滲み出していた。化粧が崩れ、涙の筋が走るその顔は、権力という後ろ盾を失った人間が最初に見せる、醜悪で、かつ動物的な生存本能そのもの。


「セレスティーナ様、どうか……! ああ、神に誓って、私たちは何も知らなかったのです!」


 先頭に立ち、私のスカートの裾を必死に掴んできたのは、バルトス伯爵の長女、エルーゼだった。

 昨夜の祝宴では、誰よりも煌びやかな宝石を身に纏い、レナート殿下の寵愛を勝ち取ろうと、必死に色香を振りまいていた彼女。それが今は、捨てられた仔犬のような瞳で私を見上げ、哀れな被害者を完璧に演じている。


「父の罪は、父一人のもの。どうか、ご慈悲を。家門を潰し、私のような非力な女を路頭に迷わせるなんて、あまりに酷い仕打ちですわ! 昨夜、貴女様はあんなに隙を見せておられたではありませんか。あれほど無防備に、私たちを安心させてくださったあのお姿は、すべて嘘だったとおっしゃるのですか!」


 震える声。溢れる涙。

 周囲で様子を伺っていた役人や騎士たちの中には、その痛々しい姿に同情の色を浮かべる者も現れ始めていた。

 彼女は、私が酔ったふりをして隙を見せていたあの姿を、勝手に自分たちへの油断や親愛だと解釈していたらしい。強者は弱者に対して常に寛容であるべきだという、身勝手な貴族の論理。

 だが、私の左目は、彼女の完璧な悲劇のヒロインという仮面の裏側を、容赦なく暴き出していた。


【この血も涙もない化け物め。よくも私の輝かしい未来を台無しにしてくれたわね!今すぐその喉笛を掻き切ってやりたいわ。でも今は我慢よ、同情を引いてこいつの懐に潜り込み、寝首を掻く機会を伺うの】

 

【昨夜、あの女が酒に溺れて無防備に笑っていた時、私は確信した。あれは私たちを油断させるための『罠』だったのよ!ああ、忌々しい。あの時、私たちが話していたことをすべて聞いていたに違いないわ】


 ドロリとした、腐った泥のように渦巻く復讐心。

 向けられる純粋な憎悪。それを、私は極上の馳走でもてなされたかのように、深く、深く味わう。

 

 昨夜の私を優しかったと? 噴飯ものですわね。私は一度たりとも、彼女たちに救いの手を差し出すような、無意味で非論理的な言葉を吐いた覚えはありません。私が差し出したのは救いではなく、ただの死に場所だというのに。


 

 私の左目が捉えたのは、彼女の脳内に渦巻く言葉だけではなかった。

 彼女が私に縋り付こうと腕を伸ばした際、左の袖口だけが、重力に逆らうように不自然に固く保たれている。

 左の視神経に突き刺さるのは、その袖口から放たれる、ある種の封蝋が放つ独特の匂いと、それを必死に隠し通そうとする強烈な焦燥の熱線だ。


【見つかってはならない。この機密文書の写しさえ殿下に届ければ、セレスティーナの横領を捏造してでも、父様の汚名を雪げる】

 

【彼女が昨夜、酒に酔ったふりをして貴族を騙し、不当に情報を集めた証拠もここにあるのだから。王族や高位貴族を欺くような狡猾な振る舞いは、王家への不誠実。殿下だって、騙されていたと知れば彼女を疎むはずよ。不敬罪として訴えてやるわ!】


 なるほど。彼女たちは、私が酔ったふりをして情報を集めたことを、王家や貴族社会に対する不敬や不誠実な裏切りとして告発するつもりのようだ。

 王族の前で偽りの姿を見せることは、この国の法典では重罪になり得る。彼女たちはその一点に、自身の家門の命運を賭けているわけだ。


 私は、彼女の顎を扇の先でくいと持ち上げた。

 その指先から伝わる彼女の震えを楽しみながら、美しい仮面の下にある醜悪な真実を見つめ返す。


「あら、素敵な泣き言ですこと。ですが、お芝居はそこまでになさい。エルーゼ様」


「……セレスティーナ、様……?何を仰って……」


「わたくしが、優しかった? ……うふふ、聞き捨てなりませんわね。わたくしは、数字と事実以外のものに価値を見出したことはございません。ましてや、貴女方のような不確定要素に、情けという名の誤差を振りまくような無意味な真似はいたしませんわ」


 エルーゼの顔から、一瞬にして表情が消え失せた。


「貴女がその左袖の裏側に忍ばせた書類……、わたくしが『酔ったふりをして王族を欺き、不当に情報を集めた』と訴え、わたくしを不敬罪に問うための証拠を殿下に届ける計画を、私の目の前で実行なさるおつもりですの?」


 彼女は自分の左袖を無意識に押さえ、信じられないものを見るかのように目を見開く。


「な……ぜ。なぜ、それを。私が、隠し場所を……」


「貴女の【本音】が、あまりにも饒舌に語りかけてくるものですから。それに、バルトス伯爵の私邸を差し押さえた際、書斎の奥から見つかるはずの予備の印章が、たった一つだけ足りないことも、すでに調査済みですわ。……お馬鹿さん。貴女が大切に抱え込んでいるその紙束は、救いの糸ではなく、貴女自身の首を絞める絞縄に過ぎないというのに」


 視界の中にある彼女の思考は、もはや言葉をなさず、真っ黒な絶望の色へと変色していく。


【なぜ!?なぜバレているの!? 誰にも見られていないはずなのに】

 

【こいつ、やはり人間じゃない。私の頭の中を覗いているのか!?】


「殿下を欺いたという告発? 残念でしたわね。わたくしが昨夜、どのような作戦で動くかは、事前に殿下へ報告済みですのよ。わたくしの行動はすべて王命に基づいた精査の一環。殿下も、わたくしの演技力に感銘を受けていらっしゃいましたわ。不敬どころか、忠義の証ですわね」


 私は彼女の耳元に唇を寄せ、周囲には決して聞こえない至近距離で、猛毒のような囁きを落とした。


「慈悲を乞う声の裏側にある、その猛毒。それこそが、王宮の番犬たる私が最も好む刺激ですわ。……さあ、地獄へ堕ちる前に、その毒をすべて私に捧げてくださるかしら? 貴方たちの絶望が、私の算盤をより正確に弾かせてくれますもの。……汚れた金も、汚れた心も、余さず吐き出しなさい!」


 私が扇を離すと、エルーゼは糸の切れた人形のように、力なく床に崩れ落ちた。

 

 私は一度も振り返ることなく、周囲に控えていた部下たちに、冷淡な合図を送った。

 

「この者たちをすべて別室へ。家宅捜索で出た証拠品との照合を行いなさい。一文字、一銅貨の誤差も許しませんわよ」


 廊下に響き渡るのは、令嬢たちの絶望的な叫びと、連行される際の衣擦れの音。

 私は執務室の重厚なマホガニーの扉を開け、いつもの主の椅子に腰を下ろした。


「ふふふ……。やはり、不純物の混じった本音を噛み砕くのは、最高の気分ですわ」


 私は算盤を手に取り、最初の一珠を、弾いた。

 乾いた硬質な音が、静かな部屋に小気味よく響く。

 昨日までの祝祭の熱は、もうどこにもない。

 ここにあるのは、純粋な数字と、動かしがたい事実、それだけだ。


 ふと、廊下の喧騒が急に止んだ。

 重厚な扉の向こう側から、令嬢たちの悲鳴さえも呑み込むような、圧倒的なまでの存在感を放つ足音が近づいてくる。

 計算機のように正確なリズム。だが、そこには今の私を揺るがすに十分な、成人したばかりの男特有の熱が孕んでいた。


「……計算の邪魔をして済まない。だが、これだけは今すぐ伝えなければならなくてね」


 ノックも待たずに開かれた扉の先に立っていたのは、琥珀色の瞳を熱く、そしてひどく危うげに歪ませたレナート殿下その人だった。

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