第047話 酔態という名の撒き餌は、不逞の輩の首を絞める絞縄となりますわ
祝宴の空気は、夜が更けるにつれて、より一層粘り気を増していく。成人の儀を終えたレナート殿下とのダンスという、今夜最大の見世物が終わった後、広間を支配しているのは、弛緩した空気と隠しきれない欲望の匂いだ。
私は、給仕が運んできた深紅の果実酒を手に取り、それをあえて衆人環視の中で何度も口に運んだ。この酒は、見た目の華やかさに反して、喉の奥を焼くような酒精を秘めている。一口啜るごとに、わざとらしく熱い吐息を漏らし、手にした扇を力なく動かした。
やがて、私は計算通りに大理石の壁に背を預け、手にしたクリスタルのグラスを危うげに揺らした。
意識して頬を赤らめ、視線を虚ろに彷徨わせる。普段の、隙一つ見せない王宮の番犬としての鎧を、お酒の力で脱ぎ捨てたかのように演じる。周囲の貴族たちにとって、これほど魅力的な獲物はないはずだ。
「おや、セレスティーナ次席。いささか飲み過ぎではありませんか?」
声をかけてきたのは、以前から財務局の運営に不満を漏らしていたバルトス伯爵だ。私はわざとらしく、「ふふ……。今夜は……あまりにおめでたい日……ですから」と、ろれつが回らないふりをして微笑んでみせた。手元が狂ったふりをして、ドレスにわずかに酒を零す。
それだけで十分だった。
彼らの目には、今の私が『成人のお祝いに浮かかれ、警戒を解いた世間知らずの小娘』と映ったはずだ。獲物が弱るのを待ち構えていた野犬のように、油断した貴族たちが私の周りに集まり、扇やグラスで口元を隠しながら、ひそひそと不穏な相談を始める。
私の左目は、彼らの薄汚れた笑顔の奥に渦巻く【本音】を、鮮明に映し出し始めた。
【はは、あの生意気な番犬も、酒一杯でこの有様か】
【いつもは正論ばかり吐きおって。だが好都合だ】
【今のうちに財務局の帳簿を書き換え、我ら一族の領地へ流れる金を確保しておかねばならん】
【明日には、あのご立派な次席様も、すべてを忘れて泥のように眠っていることだろう】
【今のうちに、彼女の地位を根底から揺さぶるための種を蒔いておくのだ】
【この国の金は、我ら貴族が享受してこそ意味があるのだからな】
脳内に直接流れ込んでくる情報の濁流。私は虚ろな瞳で手元のグラスを見つめながら、その汚らわしい計画のすべてを、頭の中に一字一句漏らさず記憶していく。
彼らが口にしているのは、王国を蝕む膿そのものだ。関わっている家門の名前、不当に掠め取ろうとしている利権の内容、そして不正な金を溜め込んでいる隠し口座の場所まで。彼らは私が聞き取れていないと確信しているからこそ、驚くほど饒舌に、そして無防備に自らの首を絞める情報を露呈させていく。
【あの小娘さえ失脚させれば、あとはレナート殿下を操るなど造作もないこと】
【殿下もあの年齢だ、扱いやすい女の一人でもあてがえば、我らの言いなりになるだろう】
【まずは明日の朝一番で、偽造した書類を紛れ込ませる】
【彼女が気づいた時には、すべてが手遅れというわけだ】
【彼女の父親である公爵も、娘の不祥事となれば黙るしかあるまい】
彼らが勝ち誇ったような笑みを浮かべ、祝杯を上げるたびに、私は心の中で彼らの破滅への秒読みを始めていた。
哀れな人たち。
お酒の力を借りて、守るべき大事な秘密を漏らしたのは、私ではなく貴方たちの方ですわ。
一国の財務を預かる者が、どれほど酒に酔おうとも、数字と悪意だけは見逃さないということを、彼らは失念している。私がこうして壁の花に成り下がっている間にも、私の網には、王国の大掃除を行うための完璧な処刑リストが出来上がっていく。
「……次席、大丈夫ですか?」
心配を装いながら、その実、早くこの場から立ち去れと願うバルトス伯爵が声をかけてくる。
「お顔が真っ赤ですよ。少しお休みになった方が……」
私は深々と頭を下げた。
「……失礼、いたします。少し、風に当たって、参りますわ」
足取りをふらつかせ、給仕の肩を借りるフリをしながら、私は広間を後にした。
背後で、勝ち誇ったような【本音】が聞こえてくる。
【ふんっ! 女のガキなど所詮この程度か】
それさえも今の私には、心地よい旋律に聞こえる。
テラスに出ると、夜の冷たい風が頬の熱を奪っていった。
先ほどまでの酔態はどこへやら。私は真っ直ぐに背筋を伸ばし、虚ろだった瞳に鋭い光を取り戻す。
酔ったふりをして見せたあの微笑みの裏で、番犬は誰よりも鋭く、その牙を研ぎ澄ませていた。
記憶の帳簿に刻まれた数字と名前は、もはや修正不能な彼らの死亡診断書だ。
夜会が終わる頃、空には冷ややかな月が昇っていた。
明日、太陽が昇り、王宮の門が開かれた時、そこに響き渡るのは祝祭の余韻ではない。
自らの愚かさによって奈落へと突き落とされる、不逞の輩たちの絶望に満ちた悲鳴になるだろう。
私は最後の一口、残っていた果実酒を喉に流し込み、空になったグラスを静かに手すりの上に置いた。
「お掃除の時間ですわね、皆様。……汚れた金は、すべて吐き出していただきますわ」
独り言は夜風に消えたが、私の足取りは、先ほどまでとは比較にならないほど確信に満ちていた。
――――
翌朝、王宮の財務局はいつも通りの静寂に包まれていた。だが、その静寂は長くは続かない。私は執務室に足を踏み入れるなり、待機させていた信頼できる部下たちに、矢継ぎ早に指示を飛ばした。
「昨夜、バルトス伯爵とその一派が接触したすべての家門の帳簿を差し押さえなさい」
「特に、西方の灌漑事業の名目で行われている資金移動、その全容を三刻以内に洗い出すこと」
部下たちは、私の豹変ぶりに目を見開いたが、すぐに軍隊のような規律で動き始めた。
午前十時。財務局の廊下に、慌ただしい足音が響き渡る。
顔を真っ青にしたバルトス伯爵が、私の執務室に怒鳴り込んできた。
「セレスティーナ次席!これは一体どういうつもりだ!」
「正当な手続きもなく、我が家門の商会に立ち入るとは何事か!」
私は、積み上がった書類から一度も目を離すことなく、冷淡に答えた。
「正当な手続き、ですか。……伯爵、貴方が昨夜、語っていた『帳簿の書き換え』に比べれば、私の手続きなど神聖な儀式のようなものだと思いませんか?」
伯爵の顔から、一気に血の気が引いていく。
「な……何を、言っている。昨夜の貴様は、あんなに酔って……」
「ふふ、お酒の味は確かに素晴らしかったですわ。ですが、私の計算機は、アルコール程度で狂うほど柔にはできておりませんので」
「さあ、伯爵。奈落へ落ちる準備はできていらっしゃいますか?」
私は、目の前に置かれた処刑リストに、最後の一筆を力強く加えたのだ。
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