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搾取令嬢は二度と騙されない ~嘘を見抜く左目で、すべてを取り戻します~  作者: 第三ひよこ丸


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第046話 成人の熱は論理を溶かし、重なる手のひらに愛おしい誤差を刻みますわ

 眩いばかりの光の洪水が、視界を白く染め上げる。

 王宮の大広間。見上げるほど高い天井に吊るされた巨大なシャンデリアから降り注ぐのは、宝石を砕いたような輝き。壁一面に施された金細工がその光を反射し、空気中を舞う微細な塵さえも、まるで夜空を彩る星の欠片のように輝かせている。

 

 今夜は、この国の成人の祝宴。

 会場を埋め尽くす貴族たちの熱気と、高価な香油、そして極上のワインが混ざり合った匂いが、大広間の空気をじっとりと重く、熱くさせていた。


 私は会場の隅で、冷めた紅茶を口にするような冷静さを保ちながら、扇の隙間から会場の動向を観察していた。

 私の頭の中では、常に算盤が弾かれるような音が響いている。誰が誰と繋がり、どの派閥が勢力を伸ばそうとしているのか。飛んでくる視線の鋭さ、交わされる言葉の裏側にある意図。情報の破片を一つずつ整理し、論理の城を完璧に築き上げる。それが私の、この戦場での立ち回り方だった。


 だが、その秩序は、彼の一歩によって脆くも崩れ去ることになる。


 広間の向こう側、王族の席から立ち上がった人影が、迷いのない足取りでこちらへと歩み寄ってくる。

 

 レナート殿下。

 今日、正式に大人としての洗礼を受けたばかりの彼は、漆黒の生地に金糸で刺繍を施した、重厚な正装を完璧に着こなしていた。かつて私の後を追い、どこか頼りなげに袖を引いていた少年の面影は、もうどこにもない。肩幅は広くなり、歩き方一つ取っても、一国の主としての風格を漂わせている。


 その歩みに合わせるように、周囲を埋め尽くす令嬢たちが、一斉に期待と羨望の混じった溜息を漏らした。

 その瞬間、私の左目は、彼女たちが扇の陰に隠した醜悪な本音を、鮮やかな色彩と共に暴き出していった。


【見て、あの凛々しいお姿。成人の儀を経て、あの方の価値は跳ね上がったわ。何としても今夜、私の美貌で殿下を捕まえてみせる。あんな不気味なセレスティーナになんて、絶対に渡さない】

 

【殿下は私を選ぶべきよ。私の家門が持つ軍事力があれば、あの方を支える盾になれる。セレスティーナなんて、ただの理屈っぽい小娘じゃない。殿下に寄り添う資格なんてないわ。早くあの席から引きずり下ろしてやりたい】

 

【殿下、こちらを見て。私のドレスは今夜、誰よりも輝いているはず。あんな氷のような女ではなく、もっと温かい私の胸に飛び込んできてくださるはずよ。殿下も、あの冷たさには飽き飽きしているに違いないわ】


 色とりどりの欲が渦巻く本音の波。それは、私がこれまで何度も見てきた、吐き気を催すほど見飽きた光景だ。

 彼女たちはレナート殿下という存在そのものではなく、彼が持つ権力や、彼を所有することで得られる地位、そして彼を屈服させることで満たされる自身の優越感だけを追い求めている。

 だが、そんな汚泥のような思考の飛沫を、彼は一瞥だにしない。

 彼の琥珀色の瞳には、最初から私一人の姿しか映っていないようだった。


 私の目の前で、レナート殿下の足が止まった。

 周囲の視線が針のように私を刺し、空気が張り詰める。彼は優雅な所作で、しかし一人の男としての、逃げ場を許さない力強さを込めて、静かに右手を差し出した。


「セレスティーナ、私と踊ってくれるか」


 その声は、広間の喧騒を真っ向から突き抜け、私の心臓に直接届いた。これまでのように私を頼る甘えも、縋るような弱さも含まれていない。そこにあるのは、自らの意志で私を隣に立たせようとする、確固たる決意。

 

 私は、自分の中の算盤が弾き出す数多の選択肢を、一瞬で一つに絞り込む。断る理由などどこにもない。いや、この差し出された手を取らなければ、私は自身の築き上げてきた論理さえも裏切ることになる。

 私は淑女としての完璧な所作で膝を折り、その熱を帯びた掌に、自分の指先を重ねた。


「……喜んで、殿下。お誘いいただき、光栄に存じます」


 導かれるまま、私たちは広間の中央へと進み出た。

 これまで一度も、彼と手を取り合って踊ったことなどなかった。幼い日の彼がどれほどせがもうと、私は常に『まだ時期ではありません』『練習不足でございます』と理由をつけて、それを回避し続けてきたのだ。ダンスという、互いの呼吸を預け、隙を晒し合う行為。それは、自分を完璧に律していたい私にとって、最も警戒すべき儀式の一つだったから。


 初めて触れる彼のリードは、想像を遥かに超えて誠実で、かつ淀みがなかった。

 楽団が奏でる緩やかな旋律。最初の一歩を踏み出した瞬間、私は彼の腕の中に完全に閉じ込められたことを悟った。私の動きを優しく見守りつつも、決して離さないという強い意志で私を支える力強い腕。


 私は、左目に意識を集中させた。

 視界の端がわずかに揺らぎ、今度は目前のレナートの内側から溢れ出す感情の濁流が、言葉となって私の脳裏に直接流れ込んでくる。


【今日、ようやく君をこうして抱き寄せることができた。君はいつも一人で戦い、私を寄せ付けようとはしなかったけれど、もう逃がしはしない。この国の王として、確実に君の隣に立つ資格を証明してみせる。セレスティーナ、君がどれほど計算を積み上げようと、私はこの手の温もりで、そのすべてを溶かしてみせる。君という存在を、私は一生かけて守り抜きたいのだ。この鼓動の速ささえ、君に伝わればいいのに】


 心臓が、耳障りなほど激しく鼓動を打った。それが自分のものであるのか、彼のものであるのかさえ、もう分からなくなる。

 伝わってくるのは、先ほどまで見せつけられていた令嬢たちの自分勝手な欲とは、全く異なる熱。私という人間をありのままに敬い、その孤独さえも分かち合いたいと願う、あまりにも切実で、純粋な祈り。

 その熱は、私がこれまで自分を守るために築いてきた、氷のように硬く、冷たい論理の壁を容赦なく炙り出していく。


「……殿下、リードがお上手ですのね。驚きましたわ」


 私は、震えそうになる声を精一杯の微笑みで覆い隠した。初めて踊る相手をここまで完璧に導くには、どれほどの修練を積んだのだろうか。

 彼は少しだけ誇らしげに目を細め、私の腰をさらに引き寄せた。二人の距離が、さらに密着する。


「君に相応しい男になると決めたのだ。これくらいは当然だろう。君が歩む険しい道の隣に、私は立ちたい。そのためなら、どんな努力も、どんな犠牲も惜しまない。今の私は、もう君に守られるだけの子供ではないのだから」


 言葉の裏側に、一点の曇りもない。

 私の左目は、彼がこの日のためにどれほどの時間を費やし、どれほど自分の弱さと向き合ってきたかを、まざまざと突きつけてくる。

 

 計算と理屈。損得と合理性。

 それだけで構築してきた私の世界に、彼の体温が侵食してくる。それは私が最も恐れていた、そして心のどこかで焦がれていた愛おしい誤差だった。


 周囲の貴族たちは、私たちが奏でる完璧なダンスに、嫉妬と驚きを隠せずにいる。だが、今の私には、彼と重なる手の感触、そして耳元で囁かれる誓いの声以外のすべてが、遠い世界の出来事のように思えた。

 

 十五歳の春。初めて繋いだその手から伝わる、大人としての第一歩を踏み出したレナート殿下の熱い決意は、私の心に、決して消えることのない鮮烈な痕跡を刻みつけていく。


 ダンスの終わりを告げる曲が流れる。

 離れるのが惜しい。そう感じてしまった自分に、私は激しい恐怖を覚えてしまった。

 私は彼の手を離し、再び隙のない令嬢としての仮面を被り直す。


「素晴らしいダンスでしたわ、レナート殿下。改めて、御成人、心よりお祝い申し上げます」


 私が深く頭を下げると、彼は満足げに頷き、そして別れ際に私の手を一度だけ、壊れ物を扱うかのように優しく、それでいて強く握り締めた。

 一度触れてしまったその温もりは、もう私の内側から消えることはないだろう。


 王都の夜空に響く祝祭の鐘の音。

 私は、自分の中の何かが決定的に壊れ、そして新しく生まれ変わったことを悟っていた。

 彼という熱を孕んだ誤差。それが、これからの私の完璧なはずの物語を、どこへ導いていくのか。

 私は、逃げることのできない予感に震えながら、夜の闇へと消えていく彼の背中を、いつまでも眺めていた。

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