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搾取令嬢は二度と騙されない ~嘘を見抜く左目で、すべてを取り戻します~  作者: 第三ひよこ丸


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第004話 執事もメイドも真っ白すぎて、我が家の帳簿が『夢の国』になっています

 誕生日パーティーに紛れ込んだ不埒な輩を、五歳児という無垢な仮面を被って排除し続けてきた翌日の事である。

 私は、込み上げる胃の痛みを堪えながら執務室を覗いて見た。しかし、そこで私の左目が捉えた光景は、先ほどまでの詐欺師たちとの攻防以上に、私の魂を絶望の淵へと叩き落とすものだった。


 重厚な扉の向こう、主の執務室に集まっていたのは、お父様を筆頭に、我がアデレイド伯爵家が誇る忠義の騎士団とも言うべき精鋭の使用人たちである。

 

 家令のバートラム、料理長のハンス、そして侍女長のマルタ。彼らは皆、この家に三代にわたって人生を捧げ、その忠誠心は金剛石よりも硬く、純白に輝いている。だが、その忠誠心が向かう方向が、あまりに致命的なまでに、そして救いようのないほどに間違っていた。

 

「バートラム、今月の小麦の仕入れ値が、先月の三倍に跳ね上がっているようだが、何か不測の事態でもあったのかい?」

 

 お父様の穏やかな問いに対し、白髪を端正に整えた家令は、一点の曇りもない聖者のような笑顔で、誇らしげに報告書を差し出した。

 

「はい、旦那様。仕入れ先の商人が、長雨による不作が続き、このままでは店を畳むしかないと涙を流して訴えてまいりました。私、その者の家族の行く末を案じまして、独断ではございますが、相場を大きく上回る支援価格で買い取らせていただきました。困窮する者を救う、それこそがアデレイド家の高潔なる家訓でございますものね」

 

「ああ、実に見事な判断だ、バートラム。我々の富は、領民や縁ある者を救うためにある。金貨の数枚で誰かの人生が救われるのなら、それは安いものだよ」

 

 お父様が感銘を受けたように深く頷き、その横では料理長のハンスが、肉厚な手を握りしめて感涙に咽んでいる。

 

「旦那様、さすがでございます! 私も、市場の片隅で痩せ細った牛を連れた老人が、病の妻のために金が欲しいと泣いているのを見かけましてな直ちに市場価格の五倍という破格の値を付けてまいりました。お肉の質は多少落ち、脂の乗りも悪いですが、そこには慈愛という最高の隠し味が加わりますわい!」


 

(た、助けて。……過呼吸。左目だけではなくて、肺の細胞一つ一つが過呼吸を起こして死滅しそうだわ!)

 

 私は、震える指先で壁を伝い、その光景を呆然と見守ることしかできなかった。彼らの頭上に浮かぶ吹き出しは、眩いばかりの純白と自己犠牲的な忠義に染まりきっている。彼らは一銭たりとも私服を肥やしてなどいない。ただ、主家の財産を『困っている人を救うための魔法の杖』か何かだと勘違いし、底の抜けた桶から水を注ぐように、外敵へ向かって垂れ流しているだけなのだ。

 

 前世の私、松瀬結衣が、どれほど数字の辻褄を合わせるために身を削ったか。売上の低下を個人の努力不足だと糾弾され、睡眠時間を削り、食事を削り、それでも足りない分を精神論で埋め尽くそうとして命を落とした、あの地獄の日々。

 

 帳簿上の数字は、ただの記号などではない。そこに住まう人々の命の灯火であり、領地の未来を担保する血の一滴なのだ。それを、あんな脂ぎった商人の嘘泣きに騙されてドブに捨てるなど、帳簿を愛する者として、そして死を乗り越えた者として、断じて容認できるはずがない。


 私は、おままごと用の小さな木製算盤を腕に抱え、ひたひたと執務室の円卓へと近寄った。

「お父様、バートラム。わたくし、最近覚えたばかりの計算で、とっても不思議で、とっても恐ろしいことを見つけてしまいましたわ」

「おや、セレスティーナ。計算のお勉強の成果を見せに来てくれたのかい? 感心だね、将来は立派な女主人になれそうだ」

 

 お父様がいつものように私を膝の上に乗せようとするが、私はその柔らかな誘いを冷徹に拒み、バートラムが机上に広げた帳簿の特定の数字の上に小さな指を突き立てた。

 

「バートラム。このお肉の代金、金貨十枚とおっしゃいましたわね? でも、わたくしが昨日、騎士団の詰め所で聞いたお話では、同じ牛さん一頭の正当な対価で、村の子供たちが一年間、毎日欠かさず美味しいパンを食べられるそうですわ」

 

 私は、あえて幼子らしい無垢さを装いながら、けれど瞳の奥には決して揺らがない確信を秘めて家令を見上げた。

 

「バートラム。あなたは、一人の悪い商人を助けるために、わたくしたちの領地に住む百人の子供たちのパンを、その手で奪ってしまわれたのですか? この金貨があれば、修繕が必要な井戸も、穴の開いた教会の屋根も、すべて直せましたのに」

 

「な……、奪うだなんて、滅相もございません、お嬢様!私は、ただ、目の前で困窮する者を救うことが、アデレイドの誇りだと信じて……」

 

「バートラム、その商人の『本音』……いえ、お顔をよくご覧になりませんでしたの?」

 

 私は、家令の目を見つめ、前世で無能な上層部を正論の刃で沈黙させた時の、あの凍てつくような光を瞳に宿した。

 

「その商人は、あなたが差し出した慈悲の金貨を、新しいお店を建てる資金にするのではなく、そのまま王都で一番大きな賭博場へと運んでいくでしょうね。わたくしには、バートラムが優しさで差し出したはずの金貨が、不潔な酒と博打の煙の中に消えていくのが想像できますもの。あなたの優しさは、神様のためではなく、悪の喉を潤すために使われてしまったのですわね。これでは、優しさではなく、悪行への加担ではございませんこと?」

 

 バートラムの頭上の吹き出しが、一瞬にして衝撃の白から絶望の灰色へと変色し、激しく震え始めた。

 

【お嬢様が仰ることは、もしや真実なのか……?私は、旦那様の慈愛を体現し、忠義を尽くしたつもりで、実は家計を破綻させ、悪党を肥え太らせる手助けをしていたというのか!?】

 

「お父様、わたくし、とっても悲しいですわ。このままでは、わたくしが大人になる頃には、このお屋敷の立派な屋根も、騎士様たちが誇る鋭い剣も、全部バートラムたちの底なしの優しさという名の穴に落ちて、影も形もなくなってしまいますわ。わたくし、雨漏りする冷たいお部屋で寝るのは、死んでも嫌ですわ!」

「セレスティーナ……」

 

 お父様の表情が、初めて武門を司る当主としての、真剣な色彩を帯びた。お父様は、私の小さな手が怒りと悲しみで震えているのを見て、自らの甘慢な慈悲が、愛する娘にどれほどの不安と将来の危機を与えていたかを、痛切に悟ったのだろう。お父様の吹き出しが、研ぎ澄まされた氷のような蒼色へと変貌していく。


 【……わが愛しき娘に、ここまで将来の危惧を抱かせるとは。私の独りよがりな慈悲が、家族の、そして領民の未来を食いつぶす害毒となっていたのか。アデレイドの当主として、これ以上の醜態は先祖に対しても許されぬ】

 

「……バートラム、ハンス。セレスティーナの言う通りだ。我々の善意は、それを正しく享受すべき、慎ましく生きる領民のためにこそある。悪意を持って近づく者に与えるのは、慈悲ではなく、断罪の鉄槌であるべきだった。これより、家計におけるすべての取引を精査し直す。今すぐ、あの商人を連れ戻せ。アデレイド家を、ただの壊れた貯金箱だと思わせたままでは、騎士団の栄光が泣くぞ」

 

 お父様の下知に、使用人たちは雷に打たれたように直立不動となり、深く深く頭を垂れた。

 

「申し訳ございません、旦那様、お嬢様!この老いぼれ、盲目的な忠義に溺れ、真の正義を見失っておりました。今すぐ、不当に掠め取られた金貨を、相応の報いと共に回収してまいります!」

 

 私は、執務室を疾風のように飛び出していく使用人たちの背中を、夕闇に溶けるまで見送り、ようやく深く長い溜息を吐いた。

 

 窓の外には、黄金色に染まるアデレイドの豊かな大地が広がっている。けれど、その平和は決して天から降ってくる幸運などではないのだ。前世で理不尽な搾取の果てに倒れた私が、今世で手に入れたのは、聖母のような無償の愛ではない。泥を被り、盾を構え、数字という名の鎧を纏って、守るべき尊厳を死守するための、血の通った冷徹さなのだ。

 

(……まったく。お父様もお母様も、もう少しだけ疑う心を持ってほしいものですわ。私が、このお家を真に健全な、誰もが安心して働ける場所へと再構築するまで、休んでいる暇なんて一秒もありませんわね)

 

 私は木製の算盤を大切に抱き直し、夕影が落ちる廊下を、一歩ずつ、けれど確かな足取りで踏みしめて歩き出す。

 これから始まるのは、ただの華やかな令嬢としての生活ではない。数字という最強の武器を手に、降りかかるすべての悪意を薙ぎ払い、愛する家族を本物の幸福へと導くための、終わりのない監査の道なのだ。

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