第043話 祝祭の夜を彩る真の灯火、算盤の音色でその喉元を締め上げますわ
「放せ! 無礼者共め、この私を誰だと思っている! 私はレナート殿下の第一の側近であり、この学園祭の全権を任されたバルテザール侯爵だぞ! その汚い手をどけぬか!」
騎士たちに両脇を抱えられ、泥を啜るようにして連行されていくバルテザール侯爵の背中は、先ほどまでの威張り散らした姿が嘘のように小さく、情けないものであった。しかし、その往生際の悪さは、もはや滑稽を通り越して、見るに堪えぬ醜態を晒している。
彼は、自らの足が石畳を擦る音さえ聞こえぬほどに、狂ったように叫び続けていた。その声は、祭りの華やかな音楽を掻き消し、夜の静けさを汚泥で塗り潰すかのように響き渡る。
「殿下! レナート殿下! 見ておいでですか! この財務局の小娘が、殿下の御名に泥を塗ろうとしております! 私が集めた金、私が築いたこの祝祭は、すべて殿下の輝かしい未来のため! この国の栄光のためのものにございます! それを奪い、私を捕らえようとするこの女こそ、殿下を追い落とそうとする真の逆賊! 今すぐ、今すぐその口を縫い合わせ、処刑台へ送ってやりなさいまし!」
彼はなおも、自分が民から盗み出した金を『殿下の利益』という名の盾にすり替え、自らの保身のために主君の威光を泥靴で踏みにじるような真似を続けていた。その剥き出しの欲にまみれた叫びが響くたび、会場を埋め尽くす学生や貴族たちの間には、言葉を失った軽蔑と、吐き気を催すような冷たい空気が波紋のように広がっていた。
抵抗を続ける彼の体から、最高級の絹で仕立てられた上着が引きちぎられ、床に無惨に転がった。彼が最期まで手放さなかった高い杯からは、真っ赤な葡萄酒が溢れ、冷たい石の床の上で虚しく広がっている。その赤い染みは、彼がこれまで自分の私欲のために踏みにじってきた多くの人々の涙のようであり、また、彼という権力者が流す終わりの血のようにも見えた。その広がりは、もはや拭い去ることのできぬ、彼の人生に記された消えぬ汚点そのものだ。
「黙れ、バルテザール! 貴様の腐った口から、二度と私の名を出すな!」
レナート殿下の一言は、冬の深い夜風よりも鋭く、侯爵の狂った叫びを根元から断ち切った。その声には、裏切られた者としての怒り以上に、己の威光を悪用されたことへの深い失望と、罪人への情け容赦ない裁きが宿っている。
その重みに圧し潰されたように、侯爵は口を金魚のようにパクパクと動かし、やがて言葉にならない情けない悲鳴を上げながら、暗い夜の闇の向こうへと、ゴミのように引きずられていった。
遠ざかっていく彼の泣き言が完全に消えると、会場には言葉にできないほどの、重苦しくもどこか清らかな空気が戻ってきた。
あまりに一瞬の、そしてあまりに劇的な没落劇に、その場にいた誰もが瞬きすることさえ忘れ、ただ呆然と立ち尽くしている。華やかなはずの祝祭の会場は、まるで時間が魔法で止められたかのような、不思議な静まりかえりに包み込まれていた。
私は、手に持っていたペンをゆっくりと、指先に残る痺れを確かめるようにして直し、大きく一つ深い息を吐き出した。
指先から心臓まで張り詰めていた怒りの熱が、夜の冷たい空気と一緒に、一気に引いていくのを感じる。
胸の中にあった巨大な鉄の塊を、ようやく下ろしたような感覚。けれど、まだ私の魂の一部は、次の数字を、次の不正を、暴き出すための鋭いリズムを求めている。
会場の人々が、ようやく眼の前で起きた歴史的な断罪を理解し始めると、あちこちからさざ波のような驚きの声と、深い安堵の溜息が漏れ聞こえてくる。
私の周りだけ、まるで目に見えない不可視の壁で仕切られたかのような、不思議な聖域の輪ができていた。皆、私という存在が弾き出した数字という名の真実の恐ろしさと、一文の狂いもなく下された裁きの鋭さに、ただ圧倒されていたのだ。
「セレスティーナ! 本当にお見事でしたわ!」
真っ先にその輪を突き破り、風のように駆け寄ってきたのは、やはりエルメリンダであった。
彼女は、まるで自分が悪い者を退治したかのように顔を輝かせ、私の両手をぎゅっと、壊れ物を包むように握りしめた。
彼女の手は微かに震えていたが、そこからは彼女の真っ直ぐな心が、熱い拍動となって私の冷えた肌に伝わってくる。
「貴女がいきなりあんなに厳しい顔で、死神のように現れるから、何が始まるのかと肝を冷やしましたけれど……。あの嫌味な侯爵が、わたくしたちの殿下の名前を汚れた手で掴もうとして、そして無様に崩れ落ちる姿。生まれて一番胸がすく思いでしたわ! わたくしたちの大事な学園、わたくしたちの青春を、あんな汚れた金の洗濯場になどさせませんわ! 守ってくださって、本当に、本当にありがとうございます!」
エルメリンダの瞳には、嘘も飾りもない真っ直ぐな感謝の光が、宝石のように宿っている。
彼女の温かな手のひらの感触に、数字ばかりを追いかけて冷え切っていた私の心まで、少しずつ解きほぐされていくようであった。
それまで私の左目に映っていた、人々のどす黒い欲や嘘の数字が、彼女の持つ純粋な光によって浄化され、視界が晴れ渡っていくのを感じた。
「セレスティーナ。君には、また返しようのないほど大きな借りができてしまったな」
エルメリンダの隣に立つレナート殿下が、威厳に満ちた歩みで私の方へと近寄ってきた。
殿下は、会場を囲んでいた騎士たちに短く目配せをして下がらせると、私を労うように目を細めた。その立ち振る舞いは、王家としての重みを決して崩さぬまま、私に対しては一人の友人としての、心からの温かさを保っている。
「あの男が、私の名前を盾にしてこれほどの悪さを働いていたとはな。連行される間際まで私の名を口にし、己の罪を隠そうとする様には、心の底から吐き気がしたよ。君の算盤が、君の勇気がなければ、私は気づかないうちに、この国を背負う者としての資格を、泥棒の共犯者として失っていたかもしれん。君が、私のすぐ側にいてくれる。そのことが、どれほど私の支えになり、心強いか。今、改めて思い知らされたよ」
殿下の言葉は、お世辞でも王族としての義務でもなく、心の一番深い場所、魂の根源から溢れ出した真実の響きを持っていた。
この国の未来という、あまりに重い荷物を背負う彼が、私という一人の計算役に向けてくれたその信じる気持ち。それは、この世の何万枚の金貨よりも重く、何よりも尊いものである。
私という人間を、単に数字を弾くだけの便利な道具ではなく、一人の人間として、そして共に正義を歩む者として見てくれていること。それが何よりも誇らしく、熱いものが胸に込み上げてきた。
「殿下、もったいないお言葉ですわ。わたくしはただ、自分の算盤を狂わされるのが、生理的に我慢ならなかっただけですもの。それに、この学園はわたくしにとっても、二度と戻らぬ大切な青春の場所ですから。それを汚そうとする者がいれば、相手が誰であれ、どんな尊いお名前を叫ぼうとも、わたくしがこの算盤ですべてを粉砕して差し上げますわ」
私が少し照れくさくなって視線を外すと、エルメリンダがクスクスと、鈴を転がすような楽しそうな笑い声を上げた。
彼女は私の腕に、当たり前のように自分の腕を絡め、甘えるように顔を近づけてくる。
「まぁ、セレスティーナったら。そんな風に強がってばかりでは、可愛げがありませんわよ? でも、そんな貴女だからこそ、わたくしも殿下も、これほどまでに頼りにしてしまうのでしょうね。本当は、誰よりもこの国を、そしてわたくしたちを大切に思っている癖に」
彼女の言葉に、殿下もまた、声を上げて笑った。その笑い声は、夜空に響き渡り、人々の心を解かしていく。
悪い者が去った後の会場には、先ほどまでの凍りつくような緊張感など、どこにも残っていない。
人々は再び、音楽に合わせて踊り、笑い、残されたお祭りの時間を惜しむように、本当の輝きの中で楽しみ始めている。
空を見上げれば、お祭りの終わりを告げる最後の大きな火花が、夜空いっぱいに花開いた。
赤、青、金。色とりどりの光が降り注ぎ、私たちの顔を、そして取り戻した正義を明るく照らし出す。
それは、汚れた金で買われた見せかけの火遊びではなく、私たちが自分たちの力で守り抜いた、本当の祝祭の輝きであった。
私の隣で笑うエルメリンダと、穏やかな顔で見つめてくれる殿下。
この二人と過ごす、たった一度きりの青春の夜。
その価値は、たとえこの国のすべての宝を積み上げたとしても、決して買い取ることはできない。
私は、自分の胸の中で答えが出たその幸せという名の絶対的な数字を、誇らしげに、永遠に色褪せぬよう心に刻んだのだ。
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