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搾取令嬢は二度と騙されない ~嘘を見抜く左目で、すべてを取り戻します~  作者: 第三ひよこ丸


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第038話 わたくしを番犬と蔑むその喉笛に、特別監査という名の逃げられぬ首輪を嵌めて差し上げますわ

 石造りの学び舎を包み込むのは、いつもの厳格な静寂ではない。空を裂くような祝祭の鐘の音と、何百もの若者たちが吐き出す熱気が、学び舎の空気を、物理的な重さを持って歪めていた。

 特進クラスの店に流れる温かな空気は、不意に訪れた冷ややかな影によって、一瞬にして凍りついた。


 現れたのは、色とりどりのドレスを纏いながらも、その瞳にどす黒い蔑みを宿した他学部の令嬢たち。彼女たちは、学校に通わぬ私がこの場にいることを、まるで神聖な庭を汚す泥靴のように指差した。


 「あら、失礼。ここは学びを尊ぶ若人の園。数字と鉄の匂いしかしない()()()()()()が、どの面を下げて紛れ込んでいるのかしら。エルメリンダ様も、お家の格のためにこれほど無粋な女に媚びを売らなければならないなんて、同情いたしますわ」


 鼻を突くのは、彼女たちが振り撒くきつい香水の匂いと、言葉の端々に混じる悪意の腐臭。

 呼吸をするたびに肺の奥まで侵食してくるのは、百花繚乱の温室が吐き出したあの甘美な蜜の香りではなく、排他的な特権意識が生み出した粘りつくような毒気だった。

 彼女たちの放つ、汚れた言葉の刃。その左目が教える【本音】は、私の立場に対する嫉妬と、自分たちの理解を超えた存在を排除せんとする、醜い心に塗れていた。


【生意気な小娘。学校にも来ないで王宮でふんぞり返っているなんて。私たちがどれだけ礼儀作法に苦労していると思っているの。あんたみたいな可愛げのない数字の化け物は、一生暗い部屋で紙でも食べていればいいのよ。その細い指先も、ペンだこで汚れた手のひらも、高貴な私たちが触れるべきものではないわ】


 私にとって、このような嘲笑は日常の雑音に過ぎない。

 税金を納めぬ者たちの遠吠えなど、帳簿の端に書き込まれた塵のようなもの。言い返す価値もないと無視を決め込もうとしたその時、私の腕を掴んでいたエルメリンダの手のひらに、かつてないほど強い力が込められた。

 隣に立つ親友の肩が、怒りで小さく、けれど激しく震えている。


 「……お黙りなさい! わたくしの親友を、これ以上その汚れた言葉で辱めることは許しませんわ!」


 エルメリンダの鋭い声が、お祭りの喧騒を切り裂いて響き渡る。

 私の左目が捉えた彼女の【本音】は、噴火する火山の如き鮮烈な紅に染まっていた。


【なんて醜い方たちかしら。セレスティーナがどれほど孤独な戦いを続け、この国の屋台骨を支えているかも知らずに。わたくしがようやく彼女をこの光の中へ連れ出したというのに、その大切な場所を土足で汚すなんて絶対に許さない。わたくしの誇りにかけて、彼女の心に一筋の傷もつけさせはしないわ!】


 彼女の【本音】は、怒りで真っ赤に燃え上がりながらも、私を守れなかった自分への悔しさで震えていた。

 マリエルたち三人の令嬢もまた、迷うことなく私の前に立ち塞がり、盾となって不当な攻撃を跳ね返す。


 「そうですわ。セレスティーナ様は、わたくしたちの大事なお客様です。貴女方のような、人の努力を笑うだけの方々に、この場所を汚される筋合いはございません! 学問を志す者が、他者を貶めることで己の価値を証明しようとするなど、なんと浅ましいことか!」


 いつもは守られる側であったはずの、か弱き少女たち。

 私が財務局という断崖に立った日から、決して手に入らないと諦めていた『もしも』の時間の中で、彼女たちが、私という一人の少女のために、自分たちの立場を賭けてまで戦おうとしている。

 その理屈に合わない、熱すぎる友情を前に、私の心の中の算盤は、これまでにないほど激しく弾け飛んだ。


 感情を優先させるのは、財務局の官吏としては失格だ。

 論理的ではない。効率的でもない。

 けれど、友の目に涙を溜めさせておきながら、平然と計算を続けるほど、私の心は鉄板でできているわけではない。


 「下がっていなさい、エルメリンダ。……皆様。私の人生という帳簿に、他人の無知による雑音を書き込む余白はございません。ですが、私の大切な友人の心を傷つけたその代償は、銅貨一枚の誤差もなく、言葉という名の利息を乗せて支払っていただきましょう」


 私は静かに一歩前へ踏み出し、騒ぎを聞きつけて足を止めた見物人たちの前で、令嬢たちの装いを冷たく見据えた。


 「貴女。その扇に施された細かい刺繍、そしてその首に光る青い石。それらは、昨年の通商交渉において、財務局が他国との関税を調整したことで、ようやく国内に入ってきた貴重な品々のはず。私の働きを『無粋』と切り捨てながら、その恩恵だけを無意識に享受するその姿、いささか滑稽が過ぎるのではないかしら?」


 相手の令嬢は、顔を真っ赤にして口をパクパクと動かした。

 私はさらに、彼女たちが隠したかった【本音】の裏にある、歪んだ帳簿を暴くように言葉を重ねる。


 「ついでに申し上げれば、貴女方のお家が先月の納税を延期しようと、見苦しい嘆願書を送ってきたことも記憶に新しいわ。遊び呆ける暇があるのなら、まずは国民としての義務を果たすよう、お父様に進言して差し上げたらどうかしら? その方が、よほど貴女方の()()とやらに相応しい行いだと思いますわよ。ああ、そうだったわね。先ほど貴女、私のことを()()と呼んだかしら?」


 私はあえて歩みを緩め、震える彼女の耳元に、氷の刃のような冷たさを湛えた声を落とし込む。


 「番犬である私の仕事は、主の財産を守ること。つまり、貴女方のような寄生虫が、不当に国の富を食い潰さぬよう監視することでもあるの。次に私をその汚れた舌で呼ぶときは、自らの家の帳簿が一点の曇りもなく清廉であるか、よくよく確認してからになさいな。もし不安があるのなら、今この場で、私が直々に特別監査の令状を発行して差し上げてもよろしくてよ? その場合、貴女が今日身に付けているその美しい装飾品も、差し押さえの対象になる可能性があるけれど」


 令嬢たちは、あまりに具体的で逃げ場のない正論と、背筋を凍らせるような宣告に、幽霊でも見たかのように青ざめて後退りした。


 「……な、なんて不躾な! 行きましょう、皆様! こんな可愛げのない女と話していても、時間の無駄ですわ!」


 捨て台詞を残して逃げ出す彼女たちの背中を、私は冷ややかに見送った。

 鉄の乙女が初めて数字を捨て、言葉を剣として振るう時。

 それは、失われたはずの青春の渦中で、私が初めて『誰かのために戦う』という、計算外の熱情を知る瞬間だった。


 「セレスティーナ! すごいですわ、今の! まるで伝説の騎士様が剣を振るうようでしたわ!」


 エルメリンダが私の手にしがみつき、さっきまでの怒りも忘れて目を輝かせる。

 その手の温もりが、ペンを握り続けて硬くなった私の指先に、かつてない柔らかな衝撃を伝えてくる。

 マリエルたちも、頬を染めて私を囲んだ。

 

 ……計算外だ。

 こんな、ただ自分の矜持を守るための反撃が、これほどまでに彼女たちを喜ばせるとは。


 「……騒がせてしまったわね。エルメリンダ、お菓子の続きをいただいてもいいかしら。少しばかり、喉が渇いてしまったわ」


 私が少し照れくささを隠してそう言うと、背後から低い笑い声が聞こえた。

 振り向かなくてもわかる。レナート殿下だ。


 「見事な捌きだったな、セレスティーナ。其方の言葉という名の刃、私ですら肝を冷やしたぞ。だが、これでお祭りの主役は決まったようだ。この騒ぎの落とし前、どうつけるつもりだ?」


 殿下の【本音】は、愉快さと、そしてもっと深い、捉えどころのない情熱で満ちている。


【計算通りだ。其方が友のために牙を剥く瞬間を、私はずっと待っていた。これで其方は、もうただの数字の化け物には戻れまい】

 

 算盤の音のない午後。

 けれど、私の胸の中には、どの教本にも載っていない新しい調べが響き続けていた。


 友を守るために振るった言葉。

 それが、私の孤独な帳簿に、消えない黄金の一行を書き加えたのである。

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