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搾取令嬢は二度と騙されない ~嘘を見抜く左目で、すべてを取り戻します~  作者: 第三ひよこ丸


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第039話 特進クラスの着せ替え人形は、官吏の皮を脱ぎ捨てた少女の真実で構成されていますわ

 「番犬と呼ばれたままでは、わたくしの気が済みませんわ!」

 

 エルメリンダのその宣言は、もはや宣戦布告に近い響きを持っていた。先ほどまでの論理による断罪劇で、私の喉は確かに乾いていたが、彼女が用意した口直しは、一杯のお茶などという生温いものではなかった。

 

 私は、逃げる間もなく特進クラスの奥に設けられた更衣室へと押し込められた。そこは、石造りの冷たい学び舎の一角とは思えないほど、甘い花の香りと、色とりどりの柔らかな布地で埋め尽くされていた。


 「待ちなさい、エルメリンダ。私は財務局の官吏よ。制服は私の職務の誇りであり、このようなひらひらした布の塊を纏う理由はどこにもありませんわ!」

 

 「いいえ、ありますわ! 今の貴女には、鉄の鎖ではなく、春の陽だまりが似合うことを証明しなければなりませんの。マリエル、そちらの靴を! 他の皆様は髪飾りを準備して!」


 私の抵抗など、春の嵐に舞う木の葉のようなものだった。マリエルたち三人の令嬢が、まるで熟練の職人のような手つきで、私の制服のボタンを一つずつ外していく。

 

 十歳の春から、私の身を包んできたのは、汚れを知らぬ白シャツと、濃紺の厚い生地。

 それは、情を捨て、数字の世界で戦うための鎧であった。その鎧が剥がれ、肌に触れたのは、驚くほど滑らかで、それでいて心許ないほど薄い絹の感触だった。

 幾重にも重なるレースの波が、私の身体を優しく、けれど確実に飲み込んでいく。


 「……首が、寒いですわ」

 

 「それは、貴女がいつも重すぎる荷物を背負っているからですわ。今はただ、この柔らかさを楽しんでくださいな」


 エルメリンダが、私の眼鏡に手をかけた。

 世界を正確に、そして【本音】を透かし見るための道具が取り去られる。視界がふわりと広がり、ぼやけた色合いの中で、私の髪をきつく縛り上げていたピンが次々と抜かれていく。頭皮を締め付けていた緊張が解き放たれ、背中に重いほどの髪の流れを感じた瞬間、少女たちの手がピタリと止まり、更衣室を濃密な沈黙が支配した。


 「……嘘」

 

 マリエルが、小さく息を呑む音が聞こえた。エルメリンダさえも、言葉を忘れたように私を見つめている。

 

 鏡の前に立たされ、私はようやく、彼女たちが絶句した理由を知った。そこに映っていたのは、私が知る”セレスティーナ・アデレイド”ではなかった。

 

 月光をそのまま糸にして織り上げたような、輝く銀の長髪。それは、夜の帳が降りる前の空の色にも似て、見る者の心を捕らえる。眼鏡という檻から放たれた瞳は、夜明け前の空よりも深く、吸い込まれそうなほど澄んだ青色を湛え、瞬くたびに星々が宿るかのようだった。


 財務局の激務で削げたと思っていた頬は、実際には繊細な彫刻のような美しさを描き、柔らかな絹のドレスから伸びる首筋は、触れれば折れてしまいそうなほどに白く尊い。

 

 「これが……私……?」

 

 指先で鏡に触れる。そこにいる少女は、今にも涙をこぼしそうなほど、脆くて美しい。それは、数字でも、論理でも説明がつかない、圧倒的な事実だった。


 「これこそが、わたくしたちが見たかった貴女の真実ですわ。財務局の番犬ではなく、この国で一番美しい、わたくしの自慢の親友」


 エルメリンダが誇らしげに胸を張り、更衣室のカーテンを開け放った。少女たちに導かれ、祝祭の広場へと足を踏み出す。その瞬間、祭りの喧騒が、まるで魔法にかけられたように止まった。

 風の音さえ吸い込まれて消え去ったかのような、絶対的な静寂。私という存在が、たった一人で、広場を満たすすべての音をかき消してしまったのだ。


 その場にいた数百人の若者たちが、一斉に石像のように固まった。

 彼らの視線の中心にいる私は、ただ静かに立っているだけであったが、その存在感は祭りの華やかな飾りをすべて色褪せさせるほどに強烈だった。

 令息たちは、各々の店番の手を止め、あるいは友人との会話を中断し、その場に縫い付けられたように動かなくなった。彼らの瞳は、驚愕と、深い羨望の色を宿している。


 

 【なんてことだ。今まであの財務局の鉄仮面の下に、こんなにも恐ろしいほどの美しさが隠されていたなんて。まるで月の女神が降り立ったようだ。今すぐ、彼女に求婚したい。家門を懸けても惜しくはない!】

 

 【彼女の視線が一度でも私に向くなら、私は自分のすべてを差し出しても構わない。あんなにも冷たく、あんなにも美しい瞳があるなんて】


 

 耳慣れない【本音】の波が、私という存在を起点に、波紋のように広がっていく。

 先ほどまで私を蔑み、汚れた舌で嘲笑っていた他学部の令嬢たちは、そのあまりの神々しさに言葉を失い、幽霊でも見たかのように青ざめて立ち尽くす。彼女たちの手にあった扇が、乾いた音を立てて石畳に落ちたが、その音にさえ誰も気づかない。


 

 【嘘でしょう? あの鉄くずのような女が、こんなにも美しいなんて。私たちの格式とやらが、まるで道端の石ころのようだわ。今まで彼女を侮辱した言葉が、今、何倍にもなって自分に返ってくる。恥ずかしくて、もう顔を上げることさえできないわ】

 

 【ああ、彼女の前に跪きたい。私たちは、彼女と同じ土俵にさえ立っていなかったのね】


 

 広場を支配したのは、賞賛の嵐ではなく、静かすぎて耳が痛くなるほどの沈黙。その中を、私は一歩、また一歩と進む。

 

 私の周囲だけが、時間の流れから切り離されたかのように澄み渡っている。

 視線の先には、人混みの最前線で目を見開いたレナート殿下がいた。不敵な微笑みも、余裕のある構えも、今の彼にはなかった。ただ一人の男として、心を奪われた者の顔で、彼は私を凝視している。


 【本音】を見るまでもない。殿下の周囲の空気が、熱く、激しく、私を求める情熱で渦巻いているのが分かった。

 王族として育てられ、美しきものなど見飽きているはずの彼が、今、息をすることさえ忘れたかのように立ち尽くしている。


 「……レナート殿下。何か、私の顔に汚れでも付いているかしら」

 

 私の静かな問いかけに、殿下はようやく喉を鳴らし、一歩前へ踏み出した。


 「汚れなど……あるはずもなかろう。其方、自分が今までどれだけの宝を隠してきたのか、理解しているのか?」

 

 その声は、微かに震えていた。鉄の乙女が仮面を脱ぎ捨て、その美しさという唯一無二の力で、学園を、そして王子の心を支配した瞬間。私の孤独な帳簿には、どんな計算式も太刀打ちできない、あまりに鮮やかな青春の一頁が綴られたのである。


 エルメリンダが、そっと私の隣に並び、私の腕を優しく取った。

 

 「ご覧になって、セレスティーナ。貴女は今、この学園のすべての視線を独占していますわ。これが貴女の持つ、本来の輝きなのです」

 

 彼女の誇らしげな声が、凍りついた広場に波紋を広げる。

 

 私を『番犬』と蔑んでいた者たちは、もはや声を出すことすら叶わず、ただその場に平伏するかのように視線を落とすしかなかった。

 

 圧倒的な美とは、それ自体が暴力に似た力を持つ。

 理屈を並べ、正論で武装していた先ほどの私よりも、ただ一房の銀髪を揺らし、青い瞳で見据える今の私の方が、はるかに残酷なほどに周囲を圧倒していた。

 

 私は、自分がこれまで避けてきた『無駄』という名の贅沢が、これほどまでに他人を狂わせるものであることを知った。

 

 レナート殿下が、私の前に立ち、大きな手を差し伸べる。

 

 「セレスティーナ、このまま其方を誰の目にも触れぬ場所へ連れ去ってしまいたい。……だが、今は。私の隣で、この祝祭を共に歩いてはくれないか?」

 

 彼の言葉には、王子の命令ではなく、一人の青年の切実な願いが込められていた。

 私は、その手の温もりに、どう答えるべきか立ち尽くす。

 計算外の事態。

 予測不能の展開。

 けれど、私の心臓は、財務局の壁の中では決して奏でることのなかった激しい調べを刻み始めていた。

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