第024話 財務局の執務室は、親友の壊滅的な計算能力と妃の座をチラつかせる王子の熱視線に占拠されています
財務局という場所は、本来、王国の血税という名の生きた金が、わたくしの弾く算盤の音に合わせて脈動する、鉄とインクの聖域である。
十歳の時にこの場所に放り込まれて以来、わたくし、セレスティーナ・アデレイドにとって、数字こそが唯一裏切らない友であり、不確かな世界を正しく記述するための唯一無二の厳格な言語なのだ。
この規律に守られた部屋で、わたくしは膨大な紙の海を泳ぎ、一厘の誤差も許さぬ峻厳な秩序を築き上げてきた。
だが今、わたくしの神聖なる執務室は、学院という温室で甘やかされた非効率極まりない悲鳴と、熱に浮かされた王族の吐息によって、その厳格な規律を粉々に打ち砕かれようとしている。
目の前の光景を論理的に分析しようとするたび、わたくしの左目は、あまりに不規則で、あまりに筋の通らない、感情という名の忌々しいノイズを捉えて止まないのだ。
「あぁぁぁぁ! もう嫌ですわ! どうして図形の面積を求めるのに、こんなにややこしい数式の階段を登らなきゃいけないんですの!? これ、絶対わたくしの脳を中から沸騰させて殺そうとする、呪いの魔導書に違いありませんわ!」
親友であるエルメリンダ・ロートレックが、執務室の床に、まるで激しい戦闘で力尽きた敗残兵のように突っ伏していた。
彼女がぶちまけた答案用紙には、学院の初歩的な算術への絶望が、無様な涙の染みとなって刻まれている。
十四歳という、淑女として最も輝くべき時期を、彼女はあろうことか算術の赤点という、名誉ある貴族令嬢にあるまじき不名誉に怯えて過ごしているのである。
わたくしは、愛用の黒檀の算盤をパチンと一回、鋭く弾いた。
「エルメリンダ、無駄な叫びで酸素を浪費するのはおやめなさい。その熱量を、一秒でも早く勉学という名の自己研鑽に割り当てるべきだわ。貴女の脳細胞が、理解力の欠如という底なしの沼に沈んでいる現状を、わたくしは親友としてこれ以上見過ごせないもの。この定式一つを頭に収める労すら惜しむというなら、貴女のロートレック領の行く末も、将来は取り返しのつかない破滅に沈むことになりますわよ」
わたくしの言葉は、彼女を救うための厳格な吟味であり、慈悲深き更生である。
だが、問題はこの悲劇的な学習現場の特等席に陣取っている、もう一人の闖入者だった。
レナート・ド・カスティエール殿下。
この国の次期国王という、最大級の価値と責任を背負うはずの御方は、今、わたくしの執務机の端を、慈しむような、それでいて火傷しそうなほどに熱い眼差しで見つめていらした。
その視線は、わたくしが手に持つ羽ペンの先から、迷いなく数字を刻む指先、そして計算に集中するため、無防備に晒されたうなじに至るまで、深い感嘆と恋慕を湛えて離れない。
「いい、実にいいぞ、セレスティーナ。君のその氷のように研ぎ澄まされた、一点の曇りもない正論の刃……。その言葉で迷える民を、あるいはこの私を正しく導いてほしい。……なあ、エルメリンダ。君もそう思うだろう? 彼女が妃となって私の隣に座れば、君のその絶望的な算術の成績も、王家の特権を行使して、歴史の闇に葬ってやることもできるのだが。それどころか、君がセレスティーナとの縁を繋ぐ誠実な仲介者となってくれるというなら、ロートレック領への新たな公的支援を、王家直轄の蔵から惜しみなく捻出する用意すらある」
殿下の瞳は、政略結婚という冷たい枠組みを提示してはいるが、その奥底には、わたくしという一人の女性の魂を心から尊び、共に困難な治世を歩みたいと願う、切実で純真な情熱が宿っている。
わたくしの左目が捉える彼の頭上には、一点の曇りもなく、それでいて胸を突くほどに真っ直ぐな、恋心の吹き出しが明滅を繰り返している。
【愛している。言葉に尽くせぬほど、君に惹かれているのだ、セレスティーナ。君が羽ペンを走らせる真剣な横顔を見るたび、私の胸は高鳴り、このまま君を生涯守り続けたいと願わずにいられない。君のその鋭い知性と妥協を許さぬ気高さこそが、私の暗い王宮に灯る唯一の希望の光だ。どうか私の隣に。君という至宝と共に、この国の未来を築かせてほしい】
エルメリンダは、あろうことか殿下のその不穏なまでに甘い提案に、パッと顔を輝かせて身を乗り出した。
先ほどまでの絶望はどこへやら、彼女の瞳には親友の幸福と、それによって得られる安寧という果実への期待が灯っている。
「殿下、それは名案ですわ!セレスティーナ様、お聞きになって?殿下の隣に座ってくだされば、わたくしはもう、この悪魔の数字に怯える日々から解放されるんですのね!親友の未来を祝い、我が領地の未来を盤石にするために、ここは一つ、王妃という名の巨大な誓約に応じていただけませんか!?殿下の真実の想いは、どんな公約よりも確実な救済になりますわよ!」
親友ですら、今や殿下の忠実な協力者だ。
彼女は、自分の平穏と領地の繁栄という目先の利のために、わたくしを『レナート殿下の妃』という、一生を添い遂げる重い約束へと売り渡そうとしている。
わたくしが十歳の時から積み上げてきた、この財務局における絶対的な権威。
それを、彼らは情愛と友情という名の、移ろいやすく、それでいて抗いがたい巨大な熱量で塗り潰そうとしていた。
この執務室に充満する熱気は、数字を扱う者の脳を惑わせ、思考を麻痺させる、香油のように濃密で甘美な毒だ。
「……殿下、エルメリンダ。勘違いしないでいただきたいわ。わたくしの人生という目録に、王家の血筋という、政争の火種だらけの不安定な要素を組み込む予定は、現時点では一厘もございません。殿下、その熱視線は公共の秩序を著しく乱す振る舞いだわ。わたくしへの想いを語る暇があるなら、王領の税の仕組みを整える策でも練りなさいな。そしてエルメリンダ、貴女は黙って次の図表を、一分以内に解きなさい。……一秒遅れるごとに、居残りの時間は、雪だるま式に増えていくものと承知することね。貴女たちの非論理的な相談に付き合わされる時間は、わたくしの業務効率を著しく低下させていますの」
わたくしが冷たく言い放ち、算盤の珠を激しく弾く。
その金属的な鋭い音が、エルメリンダの『ヒェェェェー!』という、淑女とは思えない絶叫を掻き消した。
彼女は再び、呪いの魔導書と化した教科書にかじりつき、震える手で数字を書き殴り始める。
そしてレナート殿下は、わたくしのその峻厳な拒絶を、まるで最高級の贈り物でも受け取ったかのように、愛おしげに目を細め頷いた。
「ああ……厳しいな。だが、それこそが私が心から愛したセレスティーナだ。君のその容赦のない拒絶、迷いのない判断力……それこそが、私の生涯とこの国の命運を預けるに足る、鉄の意志の証明だ。もっと私を叱咤し、君の正しき導きの下に置いてくれ。言葉を交わすたび、君と共に生きたいという願いが募っていくのを、私はこの上ない幸せに感じているのだから」
不規則に脈打つ、あまりに人間的な感情。
理屈の通らぬ、執念にも似た情熱。
わたくしの緻密な計算式を根底から狂わせるこれら不条理な存在に囲まれながら、わたくしは、これまで出会ったどんな強欲な者よりも、この二人を扱うことの難しさに内心で深いため息をついてしまう。
王国の未来という巨大な物語に、この二人という予測不能な変数をどう組み込むべきか。
だが、逃げ出したりはいたしませんわよ!
わたくし、セレスティーナ・アデレイド。
この不毛な愛と友情の包囲網すら、いつか必ず、わたくしの算盤が弾き出す勝利の形の一部に変えてみせますわ。
夜の帳が財務局を包み込もうとしても、わたくしの執務室だけは、算盤の音と消えぬ情熱の余韻、そして逃れられない再計算の予感で、いつまでも熱く燃え続けるのであった。
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