第023話 没落寸前の夜会は、黄金の焼き菓子と跪く貴族たちの浅ましい強欲に支配されています
王都の社交界なんて、誰かが崖っぷちから落ちるのを指をくわえて待っている、性悪な見世物小屋みたいなものですわ。
今夜、その生贄として祭壇に並べられたのは、わたくし、エルメリンダ・ロートレックの一家でした。
会場の重たい扉が開いた瞬間、ぶわっと押し寄せてきたのは、お祝いの音楽なんかじゃなくて、肺の奥まで凍りつくような、嫌らしい笑い声の塊。
扇子で口元を隠した貴族たちが、腐った沼からポコポコ湧き出すガスみたいに、隠しきれない毒を吐き散らしているのが分かりました。
彼らが期待していたのは、手入れもされずに雑草がぼうぼう生えた庭の無惨な姿で、色褪せた壁掛けの裏側にこびりついたジメジメしたカビの臭いで、何より、何年も前の古臭いドレスを着て、恥ずかしくて顔も上げられないわたくしたちの惨めな姿だったんです。
でも、彼らがその目に焼き付けることになったのは、思いもよらない一切の無駄を剥ぎ取った美しさでした。
「……あら。ロートレック夫人、随分と思い切ったことをなさいましたのね」
侯爵夫人のお一人が、動揺を隠せないまま声を震わせました。以前なら、見栄を張るためにこれでもかと飾られていた派手な薔薇の代わりに、今、広間に咲いているのは、わたくしたちの領地の、誰も見向きもしないような荒野に咲く野花。それが、まるで緻密な計算式に則って並べられた宝石みたいな正確さで配置されて、凛と咲き誇っていたんです。
豪華な金糸の刺繍なんか全部捨てて、シュッとした細いラインのドレスを着たお母様は、マナー講師からの、あの吐きそうになるくらい厳しいお作法指導を耐え抜いて、背筋をピンと伸ばすだけで名門の意地を見せつけていました。物差しで測ったみたいな、一分の狂いもない、完璧で、それでいて相手を突き放すようなお辞儀。
「ええ。本当の品格っていうのは、余計な飾りを全部剥ぎ取ったあとの骨組みにこそ宿るもの。そう、アデレイド伯爵令嬢に教えていただきましたの」
壁際に立っているセレスティーナ・アデレイド様は、手元にある羊皮紙にびっしり書かれた、見ているだけで頭が痛くなるような数字の山に目を落としていらっしゃいました。
彼女の周りだけ空気がなくなったみたいに、耳が痛くなるほどのしんとした空間。あの、すべてをただの材料としてしか見ていないような左目が追いかけているのは、この会場に充満している悪意が『一体いくらの得になるか』っていう、血も涙もない計算に違いありません。わたくしには、彼女の頭の中から溢れ出す計算の嵐が、目に見える熱い光になって、周りの偽物を全部焼き払っているようにすら見えたんです。
【何なんだ、この堂々とした態度は。貧乏臭いはずなのに、どうしてこんなに気高く見えるんだ? ロートレック家は本当に潰れかけているのか? この余裕はどこから来るんだ。まさか、俺たちが掴んでいた噂は全部、この小さな死神が仕組んだ嘘だったのか!?】
みんなの動揺が、目に見える黒い塊になって会場の空気をぐにゃりと歪め始めました。
セレスティーナ様の作戦通り、最初のステップ……『足りないことを洗練されていると思い込ませて、敵の価値観をめちゃくちゃにする作戦』は、完璧に決まりました。
次に必要なのは、彼らの飢えを『どうしても手に入れたいっていう狂った欲望』に変えてしまう、逃げ場のない一撃。
わたくしは、あばら骨を突き破って外に飛び出しそうな心臓の音を必死に抑えて、銀のお盆を抱えて真ん中へ進み出ました。そこには、形は不格好だけど、ロウソクの火を吸い込んで黄金色にギラギラ光る、あの焼き菓子が山盛りになっています。
「皆様、本日はよくお越しくださいました。これはわたくしの領地で、冬を越す薪を買うお金も、明日食べるパンの欠片もなかった領民たちを集めて、一粒一粒、心を込めて……いえ、わたくしたちを馬鹿にした連中への意地を、蜂蜜と一緒に練り込んで焼き上げた特別なものですわ」
わたくしの声が震えたのは、もう緊張のせいなんかじゃありません。セレスティーナ様に昼も夜もなく、魂を削るみたいに叩き込まれた価値の吊り上げ方っていう、恐ろしいほどの重圧。そして、自分のこの不器用な手が、ただの泥を黄金に変えてしまったっていう、生まれて初めて知る、頭がしびれるような全能感のせいです。
(セレスティーナ様の言った通りだわ! これを食べれば、王都の連中なんてみんな、わたくしたちの言いなりになる。見ていなさい、この泥の中から這い上がった黄金が、あんたたちの薄っぺらい誇りを粉々にして、ひれ伏させてやるんだから!)
焼き菓子が配られた瞬間、会場の空気が、まるで重力が何倍にもなったみたいに重苦しく、劇的に変わりました。一口食べた貴族たちの目が、まるで雷に打たれたみたいに、あるいは絶対に見ちゃいけない秘密に触れたみたいに、カッと見開かれたんです。
花の香りが鼻の奥をひっぱたくみたいに通り抜けて、領民たちが文字通り命を懸けて崖から取ってきた、濃すぎるくらいの蜂蜜のコクが、彼らのふんぞり返った五感を根本から叩き起こしたんです。
「な……何なの、この味は! 今まで食べてきたどんなお菓子よりも、生きる力が湧いてくるみたい! 飲み込む瞬間の、この体が熱くなるような満足感。これはもう食べ物じゃなくて、魂に直接効く薬じゃないの!?」
「蜂蜜のキレが信じられない。後味が、まるで最高級の聖水みたいに透き通っている……。まさか、こんなすごい特産品を隠し持っていたのか!? ロートレック領には、俺たちの知らない金のなる木でもあるっていうのか!? 潰れるなんてデマを流したのはどこのどいつだ!」
会場に満ちているのは、もう馬鹿にするような空気じゃありません。手に入らないものを、たとえ友達を裏切ってでも、親戚を蹴落としてでも奪い取ってやろうっていう強欲そのものの狂った熱気でした。
そこへ、セレスティーナ様が、群がる貴族たちの間を縫うように、まるで海を割って進む聖者みたいな迫力で歩み出ました。その姿は、獲物を追い詰める猟犬のようでもあり、あるいは天国に行けるかどうかを秤にかける情け容赦ない審判官のようでもありました。
「この焼き菓子。材料を集めるのが大変すぎて、たくさん作るなんて無理なんです。だから、週に一度、あらかじめわたくしたちの事業を助けてくださる維持協力金をくださった本当のお友達にだけ、特別にお分けするつもりですの。お店には一切出しませんわ。ロートレック家の揺るぎない信頼を勝ち取った方以外にはね」
それは、借金返済っていう名の逃げられない鉄の檻へ、自分から喜んで飛び込ませて、黄金の首輪をはめさせるための、甘い毒を塗った招待状。みんなの顔は、もう『羨ましい』と『焦燥感』で真っ赤に染まって、わたくしの視界が焼き切れるくらい、ギラギラと光っていました。
「……うまい、うますぎる! これが潰れかけの家の出すものか?いや、違う。ロートレック家はセレスティーナっていう金の卵を産む死神を仲間にしたんだ。今すぐこいつらとの繋がりを元に戻さないと、社交界の生き残りレースから、いや、貴族社会から永遠に脱落しちまう!」
「没落のダンスを踊るには、まだちょっと早すぎましたわね、皆様」
セレスティーナ様が、扇子の陰で小さく、でもゾッとするほど恐ろしく、宝石みたいな笑みを浮かべるのをわたくしは見逃しませんでした。
今夜、この会場で動いた期待っていう目に見えない巨大なお金。それを本物の現金に変えて、わたくしたちを食い物にしようとしていた銀行屋たちのツラに叩きつけるための完璧な計算式は、もうあの小さな頭の中で、一寸の狂いもなく出来上がっているんでしょう。
わたくしは、誇らしく胸を張りました。わたくしの手を握り締めている領主館で雇い入れた領民たちの目にも、今や現金っていう名の、生きる希望が灯っています。
ボロ船は、今や黄金の帆を立てて、逆転の荒波へと突き進み始めました。わたくしはこの船の舵を握るセレスティーナ様の背中を追いかけて、たとえそれがどれだけ血も涙もない計算の道だとしても、命の最後の一滴まで一緒に歩いていくって、今この瞬間に誓ったんです。
夜の闇がすっかり王都を包み込む中、わたくしたちは次の勝利に向かって、深く、深く、逆襲の足跡を歴史に刻み込んでいくのです。
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