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搾取令嬢は二度と騙されない ~嘘を見抜く左目で、すべてを取り戻します~  作者: 第三ひよこ丸


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第022話 没落の舞踏を踊るにはまだ早いですわ

 窓の外に広がる夕景など、わたくしにとっては単なる光の屈折現象に過ぎない。重要なのは、手元の羊皮紙に刻まれたインクの染みが、王国の血税という名の動脈を正しく流れているか否かなのだ。

 

 現在、わたくしの指先は刺繍針を握る代わりに、羽ペンを剣として振るい、非情な数字の羅列を調伏する日々に捧げられている。


 だが今、財務局の静まり返った空気を、一族総出の”絶望の合唱”が乱していた。同じ伯爵家の令嬢でありながら、脂汗の滲んだ帳簿を抱えて震えるエルメリンダ・ロートレック様と、そのご家族である。


 「セレスティーナ様、これ以上は……! その、わたくしの家の家計簿を、そんな獲物を屠るような目で見ないでくださいまし!」


 エルメリンダ様が、今にも卒倒しそうな顔で悲鳴を上げた。


 「算盤の音が、まるでわたくしを一突きにする、処刑人の刃の音のように聞こえてまいりますわ!」


 「これ、エルメリンダ。アデレイド伯爵令嬢に対して失礼だろう。……すまない、セレスティーナ嬢。娘は少々、算術の真理に対して臆病なだけでしてな」


 そう言って冷や汗を拭うのは、当主のバルトロメウス・ロートレック伯爵だ。

 お人好しが服を着て歩いているようなこの男は、今や破滅の淵で土色に変色している。彼はあくまで同格の伯爵として、十三歳のわたくしに鷹揚に接しようと努めてはいるが、その声は微妙に裏返っていた。


 「セレスティーナ嬢、君の熱心な仕事ぶりには敬服する。……だが、我が家も名門としての体面があるのだよ。何もかもを無駄と切り捨てられては、先祖に合わせる顔がない。アルベルトの婚約も決まったばかりで、今さら没落するなど王都の笑いものだ」


 その横では夫人のロザリア様が、流行遅れになりつつある扇で必死に顔を隠し、嫡男のアルベルト様は、幽霊のように青白い顔で執務室の壁と一体化しようと試みていた。

 彼らが揃って財務局の、しかもわたくしの執務室にまで足を運んだこと自体、ロートレック家の命運がいかに危機的状況にあるかを雄べて物語っている。


 「……まさか、これほど細部まで暴かれるとはな」


 バルトロメウス伯爵が、震える指先で茶器を握りしめた。彼の瞳の奥を覗き見れば、そこには家長としてのプライドと、わたくしへの卑屈なまでの期待が泥濁りに混ざり合っている。


【ああ、なんてことだ! 同格の伯爵家の、しかも十三歳の子供に、我が家の恥部をすべて晒してしまうとは! だが、彼女の噂は聞いている。彼女の指先が算盤を弾けば、虚空から金貨が湧き出てくると……。屈辱だが、もはやこの小さな死神に縋るしか道はないのだ!】


 「バルトロメウス伯爵。面目などという、一文の得にもならない虚飾に金貨を投じる余裕が、今の貴方の家にありますの?」


 わたくしは、鋭い一瞥とともに問い返した。


 「婚約者の方も、泥船に乗って心中するよりは、浸水を止めた船で航海する方を望むはずですわ。それとも、沈みゆく船の上で、優雅に没落の舞踏でも踊られます?」


 「ぐっ……。そ、それは極論だ。だが、伯爵家としての格好というものが……」


 「わたくしの計算に従えば、アルベルト様の婚礼までに、最低限の見栄を張れる程度の財政は整えて差し上げますわ。わたくしの言葉に一分の狂いもないことは、わたくしの存在そのものが証明しておりますもの」


 わたくしは、エルメリンダ様の手からひったくるように帳簿を奪い取ると、羽ペンを構えた。この羊皮紙に刻まれた数字の不整合、収支の乖離、そして根拠のない浪費。これはもはや経営ではなく、純粋なる算術に対する、万死に値する冒涜だ。


 「まずは、この領主館の庭園維持費。季節ごとに他国から高価な花の種を仕入れる必要がどこにありますの?」


 「えっ!? でも、お花がないと、お客様が来たときに……。ロートレック家の品位が……」


 エルメリンダ様が戸惑うが、わたくしの筆は止まらない。


 「貴女の領地には、美しい自生の野花がいくらでも咲き乱れているはず。今すぐ仕入れを停止しなさい。自然の美を愛でることこそが真の風流、とでも(うそぶ)いておけばよろしい。次に――」


 わたくしの矛先は、震えるロザリア夫人に向けられた。


 「ロザリア夫人、貴女も流行のドレスを毎月新調するのはお止めなさい。名門の気品は布の面積ではなく、その背筋の角度に宿るものですわ。この刺繍の代金だけで、領民の冬の薪がどれほど買えるか計算なさいました?」


 ロザリア夫人が『ひいっ』と小さく悲鳴を上げたが、わたくしは容赦なく黒い線を引いていく。贅沢とは余裕がある者が行う投資であって、負債を抱える者が行うのはただの緩やかな自殺に過ぎない。


 そこへ、静かにお茶を運んできたロートレック家の老執事が、決然とした足取りで歩み寄ってきた。


 「失礼いたします、セレスティーナ様。……代官の帳簿についてですが、実は以前から、税が領主館に届く前に不自然に減っているという不審な噂がございました」


 「ほう?詳しく聞かせていただけますか」


 わたくしが促すと、老執事は懐から一冊の薄汚れた帳面を取り出した。


 「はい。私めが独断で、屋敷に届く前の徴収額を独自に記録しておりました。こちらをお目通しください」


 老執事が差し出したメモ。それこそが、代官が私服を肥やすために操作していた不透明な金の流れを暴く、決定的な証拠であった。老執事は主人たちの後ろで、その瞳を厳しく光らせている。


【この方が、ロートレック家を食いつぶす害虫を駆除してくれるというのなら、わたくしは喜んで道案内をいたしましょう。この家を救えるのは、情に流されないこの厳しい少女だけだ。旦那様たちはあまりにお優しすぎる】


 「よくやったわ。これほど詳細な記録があれば、監査状一枚でこの男を法的に追い詰められますわね」


 わたくしはバルトロメウス伯爵を射抜くように見た。


 「伯爵。この男の全資産を差し押さえ、負債の穴埋めに充てますわよ。異論はありませんわね?」


 「……あ、ああ。君に任せよう。もはや私には、異議を唱える気力も残っていないよ。……いや、むしろ清々しいくらいだ」


 伯爵の投げやりな返事を確認する間もなく、わたくしは銀行家たちが押し付ける法外な利息に目をつけた。


 「この利息、法外ですわ。わたくしが銀行家たちに直接、督促の手紙を書きます。彼らも、わたくしを敵に回して、自分たちの過去の脱税記録を財務局の奥底から掘り起こされたくはないはずですもの」


 「……セレスティーナ嬢。銀行家を敵に回して、後で君が恨まれるようなことにはならないかね?」


 「不備を突くのは、わたくしの最も得意とする娯楽ですの。楽しみにしておきなさいませ」


 それは、財政再建という名の徹底した大掃除であった。数時間を経て、積み上げられた書類が整理され、絶望的だった赤い数字が、微かながらも黒い光を帯び始めた頃。外はすでに帳が下り、執務室には蝋燭の火が揺れていた。


 「セレスティーナ様、その、お礼と言っては何ですが。領地の蜂蜜を使った、わたくしの手作り焼き菓子ですの」


 エルメリンダ様が、少し恥ずかしそうに、布に包まれた不格好な塊を机の端に置いた。


 「焼き菓子、ですか。わたくしの時間は高いですわよ」


 「家の者たちと一緒に、心を込めて……いえ、怨念を込めて焼き上げましたわ!」


 わたくしは、その不器用な形の焼き菓子を一つ、無造作に口に放り込んだ。


 あぁ、甘い。あぁ、おいしい。


 しかし、それは単なる砂糖の暴力ではない。花の香りが鼻を突き抜け、蜂蜜の濃厚なコクが、激しい算術労働で枯渇していた脳細胞の隅々にまで染み渡る。この風味、そして後味のキレ。わたくしの味覚モデルが、即座に市場価値を算出した。


 「……この焼き菓子の味、ロートレック領の蜂蜜は市場に出せばかなりの高値で取引できるはずですわ」


 「ええっ!?わたくしの焼き菓子が、お金になるのですか!?ただの不格好な焼き菓子ですよ?」


 「当然です。エルメリンダ様、これを特産品として売り出しなさい。独占販売の契約書もわたくしが作成します。これは慈善事業ではなく、戦略的投資ですわよ。友情という名の不確定要素を確実な利益へと変換するのです」


 わたくしは、驚きに目を見開く彼女に対し、さらに具体的な追記を命じた。


 「そしてエルメリンダ様、この事業を貴女一人の手作業で終わらせてはいけませんわ。領地におりながら、農閑期や家庭の事情で仕事のない者たちを募りなさい。彼らにこの焼き菓子を作らせ、対価を支払う仕組みを構築するのです。雇用を創出し、民の懐を温めつつ、伯爵家には安定したマージンが転がり込む……完璧な循環ですわ」


 夕闇が完全に執務室を支配する頃、ロートレック家の帳簿は、見違えるほどに整然とした姿に変わっていた。エルメリンダ様は、わたくしの手を両手でぎゅっと握りしめた。その瞳は、もはや恐怖ではなく、盲信に近い輝きを放っている。


 「セレスティーナ様。わたくし、今日ほど、自分の家に希望を感じた日はございません。……本当に、ありがとうございます!」


 彼女の心の声が、かつてないほど温かな、そして眩いほどの熱量で響いてくる。


【あぁ、わたくしの女神様! セレスティーナ様に一生尽くすって決めましたわ! この友情を守るためなら、わたくし、お菓子の買い食いも我慢して、毎日だって焼き菓子を焼いて財務局に殴り込みます!】


 「毎日来られては、わたくしの安眠に障りますわ、エルメリンダ様」


 わたくしは溜息をつきながら、握られた手の温かさを無視できずにいた。


 「……ですが、週に一度、舞踏の練習後にその焼き菓子を添えること。それだけは、契約の条件としておきましょう。わたくしの貴重な助言に対する、正当な対価としてですわ」


 安眠を守るための投資としては、少々甘すぎる気がするけれど。計算機としてのわたくしが、初めて予測モデルを横に置き、自分以外の誰かの温度を認めたのだ。

 わたくしは、少しだけ柔らかくなった彼女の手を握り返し、夜の帳が下りる中、次の決済に向けて深く息を吐き出したのである。

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