第001話 神様、特典のクセが強すぎます
燦々と降り注ぐ陽光が、手入れの行き届いたアデレイド伯爵家の広大な庭園を黄金色に染め上げていた。視界を埋め尽くすのは、丹精込めて育てられた色とりどりの薔薇の海。甘く濃厚な香りが初夏の風に乗り、祝福の調べを奏でる楽団の音色と共に、会場を華やかに彩っている。
私は、五歳の誕生日を祝うために設えられた、最高級のシルクとレースをふんだんに使用した豪奢なドレスに身を包み、この煌びやかな世界の中心に立っていた。周囲を見渡せば、着飾った貴族たちが扇を手に、私への祝福という名の”社交”という名の化かし合いに興じている。
そんな喧騒を割って、お祝いの品を手に私に歩み寄ってきたのは、この国の第一王子、ヴィンセント殿下であった。
「セレスティーナ、誕生日おめでとう。君のような、春の陽光を形にしたような愛らしい令嬢の味方でいられることを、私は心から誇りに思うよ」
それは、絵画から抜け出してきたかのような、完璧な王子の振る舞いだった。わずか十五歳とは思えぬほどに整った、神の彫刻のごとき顔立ち。眩い金髪が風に揺れ、翡翠色の瞳を情熱的に輝かせて、幼い私を慈しむように優しく微笑みかけてくる。
「いいかい、セレスティーナ。私はいつだって、君の一番の理解者でありたいと思っているんだ。何があっても、私が君を守り抜くよ」
その瞬間、私の魂の深淵に刻まれていた「不発の爆弾」が、最悪の衝撃をもって爆発した。
――ガチリ、と。
脳髄を直接沸騰させるような熱、そして左目の奥を灼熱の針で貫かれるような劇痛。
「あ、が……っ!?」
視界が激しく明滅し、幸福に満ちた五歳の令嬢としての意識が、剥落した塗装のように剥がれ落ちていく。その下から溢れ出してきたのは、あまりに無惨で救いのない、搾取の果てに命を散らした『松瀬結衣』としての二十六年の生涯。
そして、それこそが、神様が設定した「呪いの引き金」だった。
(――思い出した。この、反吐が出るほど聞き覚えのある言い回し。前世で私の全財産を食いつぶした元カレも、私を過労死寸前まで使い倒したブラック企業の上司も、寄生虫どもは決まって同じ言葉を吐いたんだ……!)
「君の理解者だ」「君の頑張りを分かっているのは私だけだ」という、一銭の価値もない精神的報酬。実利を掠め取るための呪文。
その、私を騙そうとする言葉を耳にした瞬間、私の左目に埋め込まれたスキルが、猛り狂う獣のように覚醒した。
視覚の半分が歪な霞に支配され、ヴィンセント殿下の顔を捉えた瞬間、彼の頭上に墨をぶちまけたような、おどろおどろしい吹き出しが、現実の景色を侵食するように浮かび上がった。
【……なんてね。このアデレイド伯爵家、金持ってるし。見た感じ御しやすそうなガキだし、適当に釣っておけば将来一生遊んで暮らせるわ。マジ利用価値最高。この家の財産、全部俺の遊び金にしたいなー】
悪意に満ちた文字列が網膜に焼き付いた瞬間、私の中の”王子様への憧れ”という致命的な欠陥が、物理的な衝撃と共に消去された。
(……既視感どころの騒ぎじゃないわ。この言い回し、この卑劣な思考回路……前世で私を端切れのように使い捨てたあの男たちの生き写しじゃない!言葉で心を縛り、財布の中身を狙う。やっていることは、あのクズどもと全く同じだわ!)
十五歳の王子の背後に、私を死へと追い込んだ不埒な男たちの幻影が重なり、私の魂が最大音量で警笛を鳴らす。全身の細胞が、『逃げろ、さもなくばまた最後の一滴まで搾り取られるぞ』と叫んでいた。
だが、今の私には神様からもらった『真実を暴く左目』がある。
そして何より、前世の修羅場で培った、数字の裏側にある不正を見抜く力があるのだ。
帳簿の僅かな狂いから嘘を暴き、甘い汁を吸おうとする寄生虫どもを容赦なく切り捨ててきた、あの経理としての誇りが私の魂に猛烈な火を灯した。
「セレスティーナ? どうしたんだい、顔色が悪いよ。あまりの贈り物に、言葉を失うほど感動してくれたのかな?」
ヴィンセント殿下が、慈愛に満ちた表情で私の顔を覗き込んでくる。
その翡翠色の瞳はキラキラと輝いているが、私の左目が映し出す頭上の吹き出しは、どす黒く渦巻いたままだ。
【早くこのガキを懐かせて、将来の私財にしたいな。まずはこのまま跪かせて、俺への忠誠を植え付けてやるとするか】
ふざけるのも大概になさい。
私は、震える拳をドレスの裾で力一杯握りしめた。
「ヴィンセントさまぁ、わたくしの味方って、いったいどういうことですの?」
私は、五歳児らしい無垢な、そして何も分かっていないふりをした瞳を王子に向け、愛らしく小首を傾げた。
「えっ? ああ、それはね、セレスティーナ。君が何か困難に直面したとき、私が全身全霊で君の力になるということだよ」
「それじゃあ、わたくしのお家が、悪い人にお金をごまかされちゃったり、赤字が続いて破産しそうになっちゃったときも、ヴィンセントさまがご自身のお金でお助けしてくださるのですかしら?」
「え……? あ、ああ、もちろん。王子として、君のためならできる限りのことはするよ」
王子の美しい顔が、わずかに、しかし確実に引き攣る。
その嘘の宣言に反応し、左目の奥が再びズキリと疼いた。頭上の吹き出しには、先ほどよりもさらに真っ黒な文字が躍る。
【は? なんで俺が助けるんだよ。将来はこの家から金を毟るのが目的なのに。不吉なこと言うなよ、目論見が外れるだろ】
「まぁ! うれしい! じゃあ、ヴィンセントさまは、わたくしに『ちょうだい』って一度も言わないで、わたくしの欲しいものを全部、ヴィンセントさまがご自身で汗をかいて手に入れたもので、贈ってくださるのね?」
「え……いや、それは、その……」
「わたくしの味方でいてくださるっていうのは、わたくしに銅貨一枚も負担させないで、ヴィンセントさまが一生懸命働いて、わたくしを支えてくださるっていう覚悟のことですわよね?わたくしの父上が、母上にそうしているみたいに!」
私は満面の笑みで、王子の退路を断つような無垢な五歳児の皮を被った正論を叩きつけてやった。
【待て待て待て! なんだこのガキ。味方になるって言っただけで、なんで俺が全額負担の苦労を背負わなきゃいけないんだ? 一生懸命働いて支える?逆だろ、逆!俺がこの家の財産で楽をしたいんだよ! 何言ってんだこいつ!】
王子の吹き出しが激しく明滅し、文字が混乱を起こしたように崩れていく。
「あらぁ、ヴィンセントさま? お顔が、真っ青ですわよ? まさか、わたくしの味方になるっていうのは、将来わたくしのお金でお遊びになられることの言い換えだったのですかしら?それとも、わたくしのこと、本当は大切じゃないのですかぁ……?」
私はわざとらしく瞳を潤ませ、今にも泣き出しそうな、それでいて周囲の耳目を集める絶妙な音量で声を震わせた。
「そ、そんなことはないよ!ただ、その、王子としての公務もあって……」
「ヴィンセントさまが、わたくしに甘えるなんて不名誉なこと、王子としての誇りが許しませんわよね!わたくし、ヴィンセントさまがご自身のお力だけで、わたくしを助けられるくらい立派になられる姿を、一分たりともお力添えせずに応援しておりますわ!」
周囲の貴族たちも、『まあ、王子ともあろうお方が、将来令嬢に甘えるつもりだったのかしら?』という疑念の視線を向け始めている。
神様、感謝します。
この左目の特典、性質は極めて厄介ですが、詐欺師を自爆させるにはこれ以上の武器はありません。
前世の私は、睡眠時間を削られ、心を削られ、最後の一滴まで搾り取られて死んだ。
だが、二度目の人生、セレスティーナ・アデレイドとして歩む道に、『搾取』という言葉は存在しない。
(さあ、不届きな王子。私の実家に寄生しようとした報い、たっぷり受けてもらうわよ。一分たりとも、お前の思い通りにはさせないわ!)
私は、心の中で快哉を叫びながら、戦慄き、逃げ出そうとする王子の手を、決して逃がさないようにさらに強く握りしめた。
これは、虚飾に満ちた貴族社会を、本音という名の暴力でなぎ倒していく一人の少女の、気高き生存競争の物語なのである。
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