表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
搾取令嬢は二度と騙されない ~嘘を見抜く左目で、すべてを取り戻します~  作者: 第三ひよこ丸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/71

第013話 十歳の文官と、王室からの過剰な期待は安眠の敵です

 窓の外に広がる王都の街並みは、春の陽光を浴びて穏やかに輝いている。

 本来ならば、十歳になった私は、貴族の子弟が通う王立学院の門を叩き、優雅な寄宿舎生活に胸を躍らせているはずであった。色とりどりの刺繍が施された制服に身を包み、同年代の友人たちと茶会に興じ、流行の詩歌について語り合う。それがこの国の貴族令嬢に約束された、十五歳の成人までの輝かしい猶予期間である。

 

 しかし、私の目の前にあるのは、甘い菓子が載った皿ではなく、インクの染みが点在する膨大な量の歳入報告書と、財務局特製の鉄芯入り算盤であった。


 なぜに?

 

「セレスティーナ殿。本日から正式な文官としての登用、心よりお祝い申し上げる。十歳での入局は、建国以来の特例中の特例だが、君の算盤捌きを知る者で異を唱える者は一人もいなかったよ」

 

 財務局の入り口で、私を待ち構えていた文官たちが一斉に拍手で出迎える。その光景は、もはや新入社員を歓迎するそれではなく、救世主の降臨を拝む信者たちの熱狂に近い。私の前世における社畜人生が、よもや異世界の十歳児として再現されるとは、運命の神様も皮肉が過ぎるというものだ。

 

「ありがとうございます、皆様。ですが、私はただ、陛下から賜った『お昼寝特権』を行使できる環境を整えたいだけですの。仕事が溜まっていては、枕を高くして眠ることも叶いませんもの」

 

 私の言葉に、財務局長であるクライン伯爵が複雑な笑みを浮かべて歩み寄ってきた。


【あぁ、ついに彼女をこの修羅の道へ引き込んでしまった。王立学院で初恋を経験するはずの時期に、横領の証拠を見つける喜びを教えてしまうとは。だが、王の一存による特例任用を止める術はなかった。彼女を学院に閉じ込めておくには、その才能が国家にとってあまりに有益すぎたのだ。せめて、彼女が机で寝落ちした時のために、最高級の羽毛枕を執務室に用意しておかなければ】


 彼の頭上には、保護欲と実務的な配慮が入り混じった色彩の吹き出しが明滅していた。

 

「局長様、そんなに悲しげな顔をなさらないで。学院に行かずとも、こうして毎日伯爵様とお会いできるのですから、わたくしは幸せですわ」

 

 私が微笑むと、クライン伯爵の吹き出しがさらなる変化を見せる。


【なんて健気な。彼女は私が孤独な執務に耐えられないことを察して、あえてこの道を選んでくれたのか。この天使を一生、私の財務局で、いや私の側で守り抜くと誓おう】


 あらぬ方向への勘違いで暴走し始めた彼を見て、私は内心で(ヤバイヤバイ)と警鐘を鳴らした。しかし、私を待っていたのは、山積みの書類だけではなかった。

 

 財務局の廊下を、優雅かつ凄まじい速度で進んでくる一団がある。その中心にいるのは、非の打ち所のない気品を纏った正妃様と、かつて第二王子と呼ばれ、現在は次期国王としての教育に心血を注いでいるレナート殿下であった。

 

「セレスティーナ、ここにいましたか。文官としての初仕事、私たちが激励に参りましたよ」

 

 正妃様の言葉に、周囲の文官たちが一斉に平伏する。


【この子です。ヴィンセントの不祥事を暴き、私の愛するレナートを正しき継承者へと導いた幸運の女神。学院などという温室に放り込むのは時間の無駄。私の側近として、王宮全体の風通しを良くしてもらわねば。まずは、彼女を私の養女に迎え入れるための法的根拠を、誰にも悟られぬよう算盤で弾いてもらいましょうか】


 慈愛の仮面の下には、恐るべき執着心が渦巻いていた。

 

「王妃様、わたくしごときのために、わざわざ足を運んでいただくなんて。恐悦至極に存じますわ」

 

「堅苦しい挨拶はいりません。セレスティーナ、あなたの席は私の離宮にも用意させてあります。財務局での仕事が終わったら、いつでも私の元へいらっしゃい。最高のお茶と、誰にも邪魔されないお昼寝部屋を約束します」

 

 王妃様の誘いは、もはや勧誘ではなく「徴用」の響きを帯びている。そして、その隣に立つレナート殿下もまた、私の手を取り、熱を帯びた瞳で見つめてきた。

 

「セレスティーナ。君が学院に来ないのは寂しいが、君が王宮にいてくれるだけで、私は安心して政務を学べる。君はこの国の羅針盤だ。私が王となった暁には、君を誰よりも高い場所に、私の隣に座らせたいと思っている」


【彼女がいない王宮など、数字のない帳簿と同じだ。兄上の愚行を見抜いたあの理知的な瞳。私が道を踏み外しそうになった時、彼女なら算盤を投げつけてでも止めてくれるだろう。彼女を逃してはならない。私の妃に相応しいのは、着飾るだけの令嬢ではなく、国庫を背負って立てるこの少女だけだ】


 頭上の吹き出しは、初々しくも逃げ場のない求婚予告のような内容で埋め尽くされていた。

 

(ちょっと待ってちょうだい! 私、まだ十歳ですのよ? 前世ならランドセルを背負って、放課後の公園で走り回っている年齢だわ。それがどうして、就職初日に王妃様からは養女の打診、次期国王様からは将来の婚約者内定のような扱いを受けているのかしら。確かに王子様とは同い年ではあるけれど)

 

 私は、引き攣りそうになる頬を必死に抑え、深呼吸をした。

 どうやら、ヴィンセント殿下を退場させた際に見せた()()()()()()()()()が、かえって王室の重要人物たちの心に、消えない刻印を残してしまったらしい。

 

「レナート殿下、勿体なきお言葉ですわ。私はまだ、社会に出たばかりの未熟な文官。まずはこの、前任者が放置していった『建築ギルドの架空請求疑惑』を片付けなければ、殿下のお隣など、恥ずかしくて立てませんもの」

 

 私は、手近な報告書を盾にして、殿下の熱視線を器用にかわした。

 

「セレスティーナの言う通りです、殿下。彼女は本日、私の直属として財務局に入ったのです。王宮内の私情は、公務の妨げになります」

 

 クライン伯爵がすかさず割って入り、私を背後に隠した。


【殿下といえども、彼女を連れ去ることは許さん! 彼女の知性は国家の至宝だ。色恋沙汰でその輝きを曇らせるなど、財務局長として、そして一人の男として断じて容認できん。……いや、まずは王妃様をどう説得するかが先決か。養女などになれば、彼女は一生、王宮の奥深くで書類の山に溺れることになる】


 彼は必死の防衛本能を剥き出しにしている。王妃様は、その反応を楽しむように口角を上げた。

 

「あら、クライン伯爵。随分と独占欲が強いのね。セレスティーナの才能は、財務局という狭い檻に閉じ込めておくには惜しすぎるわ。彼女こそ、王家の家計を司る最高の女官長、あるいはもっと高い地位に相応しいわ」

 

「王妃様、彼女は数字を愛しているのであって、権力闘争に興味があるわけではございません」

 

(あの、お三方。私の頭上で、火花を散らすのは止めていただけませんこと?私、まだ入社して一時間も経っておりませんの。まずはこの、不自然に膨れ上がった王宮庭園の肥料代の計算を終わらせたいのですわ)

 

 私は、彼らの言い争いをBGMに、算盤を弾き始めた。パチパチという硬質な音が響くたびに、目の前の書類に隠された意図的な計算ミスが浮かび上がってくる。十歳という年齢、学院への入学辞退、王の一存による官吏登用。これら全てのイレギュラーは、私が前世で培った数字に対する誠実さへの、この世界からの挑戦状なのだろうか。

 

「……見つかりましたわ」

 

 私が小さく呟くと、火花を散らしていた三人が一斉に黙り込み、私の手元を覗き込んできた。

 

「この肥料代、去年の同時期に比べて、一株あたりの単価が銅貨三枚分ほど上乗せされています。ですが、流通記録を照らし合わせれば、卸売市場の価格はむしろ下がっているはず。この差額は、おそらく庭園管理人が業者から受け取っている不当な謝礼金ですわね」

 

 私が淡々と指摘すると、王妃様は感嘆の溜息を漏らし、レナート殿下は誇らしげに胸を張り、伯爵は「また仕事が増えたな」と嬉しそうに呟いた。

 

(ああ、もう。私が有能なところを見せれば見せるほど、安眠から遠ざかるというこの矛盾! でも、不正を見逃して寝るほど、私の神経は太くありませんのよ。前世の部長、見ていますか? 私は異世界でも、やっぱり定時に帰れそうにありません)

 

 私は、重い溜息を一つ吐くと、陛下から賜った『昼寝特権付与状』を、お守りのように胸元に忍ばせた。たとえ王室からのアプローチがどれほど凄まじくても、たとえ学院生活を奪われても、私にはこの算盤と、二時間の安眠があればいい。

 

「皆様、ご期待いただくのは光栄ですが、まずはこの肥料泥棒の捕縛から始めましょうか。銅貨一枚の不足も、わたくしの担当区域では許しませんわ。さあ、伯爵様、指示書の発行を。わたくし、この件を片付けて、午後はたっぷり眠るつもりですから」

 

 セレスティーナ・アデレイド。

 十歳の春。

 学院という温室の代わりに、私は王宮という名の巨大な会計帳簿に、その幼き命を懸けて挑むことを選んだ。いや、選ばされたのだ。

 

 私の算盤が奏でる旋律は、次代の王と王妃の期待を背負い、かつてないほど激しく、そして無常なまでに正確に、王宮の闇を暴き出していく。

 二時間の安眠を勝ち取るための戦いは、まだ始まったばかりなのだから。


 がんばろう!

ブックマーク、評価をお願い致します。

レビュー、感想等もお待ちしております。

誤字、脱字等がありましたらご報告をお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ