第011話 王位継承権の剥奪で、殿下の不敬が国庫を救います
王宮の謁見の間は、今この瞬間、凍てつくような死の静寂に支配されていた。
天井高くに掲げられた豪華なシャンデリアの輝きさえも、玉座に座す国王の周囲に渦巻く、物理的な重圧を伴う怒りの前では、弱々しく霞んでいる。その空気は、呼吸をするだけで肺の奥が削り取られるような、鋭利な断罪の気配に満ちていた。
視界の先では、かつて次代の王として不当な特権を謳歌し、国庫を自身の財布と履き違えてきた第一王子ヴィンセントが、未だ自身の身に降りかかろうとしている破滅の正体を理解できぬまま、呆けた面を晒して立ち尽くしている。
その姿は、金糸で縁取られた豪華な衣装に身を包んではいるものの、中身は空虚そのものであり、剥がれ落ちるのを待つだけの安価なメッキ細工に過ぎない。
私の隣で、不眠不休の調査の末に完成した『国家損失詳細報告書』を握りしめるゼノス・ヴァン・クライン伯爵は、もはや人間としての情緒を完全に消失させ、ただ法の執行のみを目的とする存在へと化していた。
【ついに、この時が来た。王が呆れ果てて匙を投げ、温情を捨て去ったその先に待っていたのは、慈悲なき排除という名の決算だ。ヴィンセント、貴様の浅ましい胃袋を潤すために消えた金貨の最後の一枚まで、その継承権を担保に回収し、国庫の欠損を埋めてやる。第二妃も、その甘い汁に群がった強欲な商人どもも、辺境で泥水を啜りながら国を守る兵の一食を盗んだ罪の重さを、獄中で銅貨一枚まで計算しながら思い知るがいい】
彼の頭上で漆黒の炎のように燃え盛る吹き出しには、正義感と容赦のない断罪が満ち満ちている。その殺気は、財務官という役職を逸脱し、国家という巨大な天秤の傾きを無理矢理に正さんとする執行者のそれであった。
「……ヴィンセント。余が沈黙を守っていたのは、父としての慈悲ではない。貴様の愚行がどこまでこの国を蝕み、腐敗させるか。その負債の総額を見極めるためであった。財務局から提出されたこの報告書を見よ。貴様が、伝説の霊草と称して贅沢に貪っていたものは、王宮の裏山で採取できるただの苦い雑草であり、その対価として国庫から消えた金貨は、第二妃派の私腹と、貴様の酒宴の費用に化けていた。これはもはや無能という言葉で片付けられるものではない。国家の根幹を揺るがす、明白な反逆である!」
王の言葉は、研ぎ澄まされた処刑台の刃となってヴィンセントの心臓を容赦なく貫いた。
「あれは私の虚弱な御身を案じた医師たちの忠義……! 財務局の連中が、私の権威を貶めるために捏造した偽りの帳簿です!」
殿下はなおも、吐き気を催すほどに見苦しい弁明を喚き散らすが、私はその言葉を遮り、一歩前へ出て愛用の算盤を謁見の間の中央へと叩きつけた。その硬質な音が、広間の沈黙を粉々に粉砕し、逃げ場のない現実を突きつける。
「殿下、もはや無駄ですわ。この算盤が弾き出したのは、単なる数字の羅列ではないのです。あなたが踏みにじり、嘲笑ってきた民の絶望そのものですのよ。あなたが二日酔いの微かな頭痛を抑えるために浪費した一株の雑草代、それだけで国境の村一つが冬を越すためのパンとスープが賄えた。そして、その不正の舞台裏を操っていたクリムゾン商会、および第二妃様。あなた方が誰にも悟られぬよう、いくつもの幽霊商会を介して秘匿していた帳簿に載らぬ宝石類は、今この瞬間、王の文官たちの手によって隠し金庫ごと全て没収されたわ。不正に得た利益は、銅貨一枚の狂いもなく、一文残らず国庫へ還流させていただきますわ。これが、あなたの信じていた権威という名の虚像の値段よ」
私の左目の視界に映し出されるのは、第二妃の絶望に歪み、崩壊していく吹き出しだ。
【何故だ、何故あのような少女に、完璧に隠匿したはずの宝石の流通経路が露見したのだ! 私の地位が、私の黄金が、一生をかけて積み上げた虚飾の砂の城が、音を立てて崩れていく……! あの財務局の小娘、人の形をした計算機か!?】
醜悪な悲鳴に似た叫びが、視覚的なノイズとなって空を舞う。
前世の社畜時代、私は不正融資を繰り返し、会社の資産を私物化していた放蕩息子たちが、親会社が送り込んだ特別監査チームによって一瞬で路頭に迷い、無価値な存在へと堕ちていく様を、氷のような眼差しで見届けたことがある。
数字という絶対の真理を欺こうとする者は、最終的にその数字の連鎖によって自らを縛り、断頭台へと吊るし上げられるのがこの世の理なのだ。それは異世界であろうと、魔法が存在しようと、変わることのない経済の鉄則である。
「ヴィンセント、貴様にはもはや、王の名を継ぎ、国民の上に立つ資格など微塵もない。本日、この場をもって、貴様の王位継承権を永久に剥奪する。平民以下として、これまで貴様が費やしてきた黄金の重さを、その身に刻んで生きるがいい。第二妃であるマリアは直ちに離宮へ幽閉し、一生表舞台に出ることは許さぬ。クリムゾン商会、および関与したすべての寄生虫どもは、王家に対する詐取の罪で全財産没収の上、極刑に処す。……ゼノス、後処理を任せる。銅貨一枚たりとも、この膿どもに持ち出させることは許さん。奴らの呼吸さえも、今後は国家への負債として計上せよ!」
王が下した最終宣告は、巨大な雷鳴となって広間に響き渡り、人々の耳を聾した。
ヴィンセントはもはや声も出せず、膝から崩れ落ち、泥人形のような顔で衛兵たちに引きずられていく。彼を”次代の賢王”と持ち上げ、その尻馬に乗って暴利を貪っていた太鼓持ちの商人たちも、自身の首と財産が消滅する恐怖に顔を歪め、家畜のような悲鳴を上げながら連行されていった。彼らが信じていた金貨の輝きは、今や彼らを縛り上げる重い鎖へと姿を変え、その肉体を奈落へと引きずり込んでいくのだ。
静まり返った謁見の間で、クライン伯爵は王に対し深く頭を下げた。その口角は、獲物を完全に仕留めた捕食者の如く、苛烈なまでに吊り上がっている。
「畏まりました、陛下。銅貨一枚の狂いもなく、この国に生じたすべての損失を清算させていただきます。セレスティーナ、君の算盤が奏でる乾いた音色こそが、この腐り果てた宮廷を浄化し、新たな歴史を告げる鐘の音となったな。これより、奴らの隠し資産を最後の一滴まで絞り取る作業に入る。君の助力が不可欠だ」
私は、手に持った算盤を涼しげに一回だけ弾き、一つの巨大な赤字案件に最終的な判を押した。
(ふふ、これで王宮に開いていた底なしの穴が一つ塞がったわ。王位継承権という名の最大級の資産価値を、自らの救いようのない愚かさで暴落させたのだから、これ以上の自業自得はないわね。でも、これで終わりだなんて思わないでちょうだい。一つの膿が出れば、その周囲に潜んでいた小さな病原菌たちが、次に食い荒らす場所を求めて蠢き出すのだから)
私は、即座に次なる尋問用の公文書を手配し始めたクライン伯爵と共に、未だ城内に残る微細な不純物を完全に洗い出すため、次なる管理記録の深淵へと鋭い視線を向けたのだ。
(さあ、次は騎士団の装備更新に紛れ込んだ汚職の連鎖を断ち切りに行きましょうか。伯爵様、今度は血気盛んな脳筋たちを、数字という名の無慈悲な法でなぎ倒す仕事よ。銅貨一枚の横領も、私の前では許されないわ)
私は、いつか訪れるであろう安定した穏やかな午睡の時間を勝ち取るために、目の前の巨悪を計算式という絶対的な力で斬り捨て、新たな歴史のページを苛烈に捲る。
セレスティーナ・アデレイド。
七歳の春。
私の算盤が奏でる旋律は、まだ始まったばかりなのだ。
ブックマーク、評価をお願い致します。
レビュー、感想等もお待ちしております。
誤字、脱字等がありましたらご報告をお願い致します。




