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搾取令嬢は二度と騙されない ~嘘を見抜く左目で、すべてを取り戻します~  作者: 第三ひよこ丸


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第010話 伝説の薬草(笑)で、殿下の二日酔いが国庫を滅ぼします

 厨房のネズミを地下の尋問室へ放り込んだ余韻も冷めぬまま、私の手元には新たな腐臭を放つ羊皮紙が叩きつけられた。

 

 財務局の空気は、吐き出されたため息が結晶化して床に転がっているのではないかと思えるほどに、重苦しく、そして乾いている。この乾燥した空気こそが、膨大な帳簿を保護し、同時にそこで働く人間の魂をミイラのように干からびさせる、王宮の心臓部の色なのだ。

 

 机の向こう側で、クライン伯爵は眉間に深い溝を刻み、もはや人間を辞めたような氷の眼差しで、第一王子の侍従が持参したという特例予算申請書を睨みつけていた。


【度し難い! ヴィンセント、あの愚鈍な長男め。王から『あれに注ぐ金があるなら溝に捨てた方がマシだ』と公式の場で吐き捨てられ、事実上の廃嫡に近い扱いを受けながら、何故これほどまでに平然と国を食い荒らせるのだ。奴の脳漿は金貨でできているのか? いや、金貨に失礼だな。あれはただの泥だ。今すぐその泥を算盤で掻き出し、一文残らず国庫に還流させねば気が済まん】


 彼の頭上で激しく明滅する吹き出しは、王の失望を背負ったがゆえの、逃げ場のない憤怒に煮え繰り返っていた。それは単なる怒りではない。国の未来を数字の積み上げで守ろうとする実務家が、その積み木を一蹴されることへの、根源的な拒絶反応であった。

 

「……セレスティーナ、これを見ろ。もはや喜劇を通り越して、国家に対する挑発としか思えぬ。ヴィンセント殿下が『虚弱な御身を支えるため』と称し、隣国から取り寄せたという伝説の霊草の請求書だ。一株につき、我が国の騎士一人を十年は養えるほどの金貨を要求している。しかも王が見限ったのを逆手に取り、第二妃派の連中が『殿下の命の灯火を消さぬため』などと涙ぐましい芝居まで打って、この予算をもぎ取っていったのだ。実に反吐が出る」

 

 クライン伯爵が指先で弾いた紙は、高級な香油で磨かれ、いかにも貴重な品を装っているが、私の左目が捉える真実はそれとは真逆の汚濁した色彩を放っていた。数字の羅列から染み出すのは、殿下の不摂生を盾にした、第二妃派による露骨な最後の火事場泥棒の臭いだ。それは、沈みゆく船から豪華な調度品を盗み出す泥棒の、卑しい焦燥感にも似ていた。

 

「伯爵様、これは霊草などではなく、ただの偽装された負債です。ご覧になって。この伝説の霊草、仕入れの帳簿を遡れば、実際には王宮の裏山で雑草として生い茂っている『苦味の強いだけの根菜』と成分が完全に一致するわ。殿下は毎夜の酒宴で痛めた胃を宥めるために、これをすり潰した泥水を聖なる霊薬と信じ込んで啜っていらっしゃる。陛下が予算を絞った焦りから、単価を万倍に吊り上げるという、我ら文官を侮辱した詐欺だわ」

 

 私は、手元にあった算盤の珠を強く弾き、その硬質な音で執務室の澱んだ空気を切り裂いた。

 前世の社畜時代、私はこれと同じ構図を、更迭間近の放蕩理事が健康経営を掲げ、会社が傾いているのを余所に、最高級のエステやサプリメントを福利厚生で落とし続けていた末期症状の現場で見たことがある。倒産間際の企業ほど、経営陣の「健康維持費」が跳ね上がる。自分たちの延命こそが組織の最優先事項だと思い込む、あの特権意識の傲慢さ。欲望の形は、異世界へ来ようとも退化することなく、常に他人の金を吸い取るために洗練されていくのだ。

 

「ふむ。つまり、賢明なる第二王子殿下が、民を干ばつから救うための”大運河計画”の予算が、王からも見放された兄の、ただの二日酔い対策のサラダ代に化けているということか。クリムゾン商会……第二妃の太鼓持ちども、我々を舐めるのも大概にしろよ!」

 

 クライン伯爵の吹き出しが、絶対零度の殺意に塗り潰されていく。


【許し難し! この浮いた予算があれば、寒村の子供たちにどれほどのパンを配れたか。ヴィンセント、貴様の胃袋をそのまま、空になった国庫の袋として縫い付けてやりたい】


(伯爵様、今はその殺意を、ペン先に宿すインクへと変えてちょうだい。怒りで首を撥ねるよりも、奴らが必死に積み上げた嘘の宮殿を、数字の一突きで崩落させる方が、よほど愉快な光景が見られるわ。親に見放された愚か者にふさわしいのは、甘い幻想ではなく、一文の狂いもない赤字の現実よ)

 

 私は羽ペンを握り直し、霊草の重量と、それが王宮に届くまでの架空の輸送コスト、そして殿下が消費したとされる存在しない薬効を、容赦のない計算式によって再定義していった。それは、数字をサバイバルツールとする私にしかできない、不正に対する最も苛烈な修正申告だ。真実はいつも、美辞麗句の中にはないのだ。

 

「伯爵様、今すぐ殿下の寝所に『財務局特別査察団』を派遣してくださいな。もちろん、わたくしが直接伺いますわね。殿下が後生大事に抱えているその伝説の箱を開け、中身がただの牛の餌であることを、医師団と我ら文官の前で証明するの。商会の全資産差し押さえはもちろん、殿下には『偽薬による国庫毀損罪』の請求書を、お目覚めの一杯として差し上げてやりましょう」

 

 クライン伯爵は眼鏡の奥の瞳を、獲物を確実に追い詰めた毒蛇のように細め、不気味なまでの笑みを浮かべた。

 

「クックック、よかろう。特別査察か、実によい響きだ。殿下の二日酔いを冷ますには、氷水よりも全財産没収の通告の方が効くだろうからな。彼が愛飲しているその霊薬が、自分の地位を削り取る毒液に変わる瞬間を、私もこの目で見届けるとしよう」


 その直後、執務室の扉を蹴り破らんばかりの勢いで、一人の男が怒鳴り込んできた。殿下の寵愛を盾に、王宮で不当な利益を得続けてきた筆頭薬剤師のソロンだ。高級な絹の法衣を纏い、威圧的な香油の香りを漂わせているが、その瞳には追い詰められた小動物のような卑屈な光が宿っている。


【王に見捨てられた今こそ、この薬草詐欺で一生遊べるだけの資産を宝石に変えて溜め込まねばならんのだ。あのクソ生意気なガキと伯爵に、私の金庫を覗かせてたまるか!】


 彼の頭上には、強欲に焼き切れた吹き出しが浮かんでいた。その思考の文字は、恐怖を打ち消そうとするかのように太く、歪んでいた。

 

「クライン伯爵! 殿下の御命に関わる霊草の予算を止めたとは正気か! これは王家が一度は認めた神聖なる聖域だぞ! それを経理風情が、数字を並べただけの紙切れで汚そうというのか!」

 

「あら、先生。その聖域とやら、中身はただの苦い雑草の間違いじゃないかしら? わたくし、我ら王の文官が、雑草が金貨に化ける錬金術なんて、帳簿の上で認めた覚えはないのだけれど。先生の仰る『命の灯火』とは、殿下の寿命ではなく、先生が闇市場で転売するために積み上げた宝石の輝きのことではありませんの?」

 

 私の言葉に、ソロンの顔が土色に変色し、額から脂ぎった汗が噴き出す。

 

「な……何を根拠に! これは深山幽谷でしか採れぬ伝説の……何代にもわたる薬剤師の秘伝を……!」

 

「手違いが数年も続き、その度に先生の懐の宝石が増えていく。これを伝説と呼ばずして何と呼ぶのかしら? でも残念ね。財務局が王の文官として差し押さえた先生の過去の全取引記録……そこに記された宝石商との不自然なやり取り、今朝がた財務局の調査官が全て裏付けを取ったわ。先生が私室の床下に隠している、その最高級のエメラルドや大粒の真珠……。今頃は全て回収されて、国庫の欠損を埋めるための資産として登録されているはずよ。あ、ちなみに、その真珠。本物ではなく、よく磨かれた魚の鱗を固めた模造品でしたわ。偽物を売って本物を騙し取ろうとして、結局自分も偽物を掴まされていたなんて、最高の喜劇だと思いませんこと?」


【宝石だと!? 厳重に隠していたはずの私の蓄えが、全て回収……!? しかも、あれが偽物だったというのか!? この少女、人の心どころか、隠した財産の本質まで帳簿のように透視しているのか!】


 ソロンの吹き出しが、絶望に震えて四散した。彼の存在意義そのものが、私の指摘した”偽物”という言葉によって、砂の城のように崩れ去っていく。

 

 それを見届けたクライン伯爵が、死神の如き宣告を執務室に響かせる。

 

「国家反逆だ。ソロン、貴殿の椅子は今日から地下の尋問室に用意してある。そこで、これまで調合してきた()という名の不味いスープを、一滴残らず飲み干すがいい。その法衣を脱がされ、ただの罪人として数字の裁きを受ける時、貴殿に救いの手を差し伸べる神は、この財務局には一人もいないのだからな」

 

 衛兵に引きずられていく男の、耳障りな悲鳴を背景に、私は算盤を静かに弾き、一つの決算を終えた。一文の狂いもなく、不正という負債が清算されていく快感。それは、どんな甘い菓子よりも私の心を潤してくれた。

 

(ふふ、これでまた一つ、お城に巣食っていた大きな毒虫を潰せたわ。でも、本体であるヴィンセント殿下の穴はまだ塞がっていない。王様さえ呆れるその無能の深淵を、次こそは数字で埋めてやりましょうか)

 

 私は、残酷な笑みを浮かべるクライン伯爵と共に、次なる標的を求めて、王宮の闇が潜む次の帳簿へと手を伸ばした。その羊皮紙のざらついた感触が、私には確かな勝利の予感として伝わってくる。

 

 

 私は、穏やかな午睡を勝ち取るために、目の前の巨悪を計算式という無慈悲な力で斬り捨てていくのだ!

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