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搾取令嬢は二度と騙されない ~嘘を見抜く左目で、すべてを取り戻します~  作者: 第三ひよこ丸


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第009話 美食の裏側には、肥え太ったネズミが潜んでいます

 王宮の地下、窓一つない財務局特別執務室は、今日もおびただしい量のインクと古い紙、そして過労に喘ぐ役人たちの澱んだ吐息に満ちていた。

 

 目の前に座るクライン伯爵は、もはや人間としての情緒を完全に数字へと置換してしまったかのような顔で、次々と運ばれてくる書類を捌いている。


【ああ、腹立たしい! 何故この国の予算は、ザルの如く穴が開いているのだ。国王の寵愛を得ただけの無能な縁故採用どもを、今すぐこの帳簿の海に沈めて溺死させてやりたい。代わりの人員が必要だ。それも、このセレスティーナのように、悪意の臭いを一瞥で嗅ぎ分ける鋭敏な鼻を持つ者が】


 彼の頭上には、過酷な労働環境が産み落とした、血を吐くような本音で溢れかえった吹き出しが浮かんでいた。

 

「さて、小さな監査役殿。茶の準備ができるまでの暇つぶしに、この不快極まる”厨房管理目録”を検分してはもらえないか。調理場の連中が、昨今、王宮の維持費が足りぬと騒いでいてな。薪の代金ですら、昨年の同時期に比べて五割も高騰しているのだ」

 

 クライン伯爵が投げ出したのは、牛の脂身で汚れ、あちこちに汁物の染みが付着した不潔な羊皮紙の束であった。

 私はそれを指先でつまみ上げ、左目の視界を監査モードへと切り替える。

 すると、並ぶ数字の背後から、脂ぎった欲望と姑息な隠蔽工作の残滓が、腐敗した生ゴミのような異臭を放つ吹き出しとなって立ち昇ってきた。

 

「伯爵様、これは暇つぶしどころか、国家を揺るがす白アリの巣窟ですわ。ご覧なさい。最高級牛の赤身肉、それも一頭からわずかしか取れぬ希少部位が、先月から王宮の全人口が毎日ステーキを三食平らげても余るほどの量、納品されたことになっております。ですが、わたくしが昨日耳にした侍女たちの噂では、食卓に並ぶのは、硬い筋ばかりの煮込み料理ばかりだとか」

 

 私は、手に持った算盤を一叩きし、乾いた音で室内の澱んだ空気を切り裂いた。


  前世の経理時代、私はこれと全く同じ構図を、社員食堂の運営を任されていた委託業者による、大規模な食材横流し事件で見かけたことがある。

 

 伝票上の数字だけを膨らませ、実際には納品されていない高級食材の代金を税金から支払わせ、その裏で現物を市中の高級レストランへと転売して私服を肥やす。

 人間の業というものは、異世界へ転生しようとも、驚くほどに進歩がなく、そして醜悪なほどに共通している。

 

「ふむ。つまり、王侯貴族が喉を通すはずの至高の肉が、市井の成金どもの胃袋へと消え、その代金だけが王宮の金庫から吸い出されているということか。調理場の連中、我らの目を盗んで、随分と景気の良い商売をしているようだな」

 

 クライン伯爵の吹き出しが、氷点下の殺意を帯びた漆黒に染まっていく。


【許し難し! この浮いた予算があれば、国境沿いで泥水を啜りながら警備に当たる兵士たちに、温かなスープを振る舞うことができたはず。調理長、貴様の首をそのまま大鍋で煮込んでやりたいほどの憤りを感じるぞ】


(伯爵様、落ち着いて。怒りに任せて首を撥ねては、真相という名の隠し資産を闇に葬ることになりますわ。社畜の報復とは、相手が握りしめている不正の利益を、最後の一文まで吐き出させ、再起不能なまでの社会的破滅を贈ることにこそ真髄があるのです)

 

 私は、羽ペンを執り、不潔な目録の余白に、容赦ない修正申告の計算式を叩きつけた。

 それは、隠蔽工作を行っている者たちが、最も恐れる逆算による実態解明である。

 納入されたはずの肉の総重量に対し、調理時に発生する廃棄物の量、および食卓へ提供された皿の数。

 それらを照合すれば、帳簿の中に潜む存在しない肉の影が、闇夜に光る燐光のように浮かび上がるのだ。

 

「伯爵様、まずは厨房に対して、衛生局と共同での大規模な害虫駆除を宣言してくださいませ。もちろん、駆除の対象はネズミやゴキブリではなく、保存庫の奥で肥え太った二本足の寄生虫たちです。業者が納品したと主張する木箱を、一つ残らず開封させなさい。そこに収まっているのが、最高級牛ではなく、ただの石ころや藁束であれば、その瞬間に契約違反による財産没収が確定いたしますわ」

 

 私の提案に、クライン伯爵は眼鏡の奥の瞳を獰猛に細め、口角を吊り上げた。

 その顔は、もはや財務官というよりは、罪人の魂を量りにかける閻魔大王のそれであった。

 

「クックック、よかろう。害虫駆除か、実によい響きだ。調理場の床を磨くついでに、奴らの腐りきった胃袋の中身まで、強引に洗浄してやるとしよう」


 その時だった。

 執務室の外で、書記官たちを怒鳴り散らす、野太い声が響き渡った。

 

「どけ! 財務局が調理場の予算を凍結しようとしているとの噂を聞いたぞ! 現場の苦労も知らぬ文官風情に、我らが至高の聖域を荒らされてたまるか!」

 

 扉が、暴力的なまでの勢いで開け放たれた。

 そこに立っていたのは、白い割烹着をはち切れんばかりに膨らませた、丸々と肥え太った中年男、王宮調理長のバルドであった。

 彼は、自らの横領工作を嗅ぎ回るゼノスの動きを事前に察知し、圧力をかけるために、不遜にも財務官の執務室へと乗り込んできたのだろうことは明らかだった。


【何故だ? 何故に財務局の男とあの忌々しい小娘が、肉の仕入れ記録を凝視しておる。あのお肉たちは今頃、市中の闇市場で山盛りの金貨に化けて、私の新しい別荘の豪華な照明になっておるはずなのだ。何としても誤魔化さねば、私の贅沢な余生が霧散してしまう】

 

 彼の頭上に表示された吹き出しが、その卑劣な内実を暴露していた。


「これはクライン伯爵、それにアデレイド家の令嬢。何やら物騒な書類をご覧のようですが、厨房の運営は実に繊細なもの。数字だけでは分からぬ現場の苦労というものがございましてな。少々の誤差は、美味なる料理を供するための必要経費と心得ていただきたい」

 

「あら、料理長。その必要経費とは、最高級牛の赤身肉が魔法によって、市中のレストランの地下室へと転移してしまう現象のことかしら? わたくし、そのような驚天動地の魔術、ぜひとも直接拝見したいと思っておりましたの」

 

 私の問いかけに、バルドの額から、脂汗が滝のように流れ落ちる。

 

「そ、それは何かの聞き間違いでございましょう。仕入れ先の商会が、何らかの手違いを起こした可能性も否定はできませぬが」

 

「手違いが五年も続き、その度にバルドの隠し口座の残高が、正比例して増えていく。これを奇跡と呼ばずして何と呼びましょう。ですが、奇跡の代償は高くつきますわよ。これまでに国庫から掠め取った代金は、バルドが心血を注いで建てたという、あの南の果ての別荘を競売にかけた資金で補填していただきますわ。ああ、その別荘をアデレイド家の新しい家畜用燻製小屋に改装する許可も、今すぐお父様に取って参りますわね」


【別荘だと。何故それを知っている。あれは他人の名義で厳重に隠してあるはずだ。この娘、人の心の中を帳簿のように捲っておるのか。恐ろしい、この幼女は人の形をした悪魔だ】

 

 絶望に震え、吹き出しが激しく明滅する。それを見たクライン伯爵が、死神の如き宣告を下した。

 

「聞き捨てならぬな。王宮の食費を削り、私的な不動産を形成していたとは、もはや国家反逆にも等しい。バルド、貴殿には本日をもって調理長の職を辞してもらう。余罪については、地下の尋問室にて、一円の狂いもなく吐き出してもらうから覚悟しておくがいい。そこに並ぶ料理は、貴殿がこれまで着服してきた罪という名の、ひどく不味い皿ばかりになるだろうがな」

 

 王宮の廊下に、自業自得な悲鳴が虚しく響き渡り、やがて衛兵たちに引きずられていくバルドの姿が見えなくなった。


「小さな監査役殿、一つ聞いてもいいかな?」

「なんでしょう?」

「なぜ、バルドが別荘を建てることをしっていたのだ?」

「女の勘ですわ」

「南の島も?」

「女には特有の勘が備わってますのよ」

「……そう……か……」

 

 私は、執務室で、手の中の算盤を涼しげに弾き、計算を完了させる。

 

(ふふ、これでまた一つ、お城に巣食っていた巨大なネズミを駆除できたわ。でも、まだまだ甘いわね。この国には、まだ帳簿に乗っていない、光すら届かぬ真っ黒な穴がいくつも開いているもの)

 

 私は、隣で新しい尋問用の書類を作成し始めたクライン伯爵と共に、次なる是正すべき項目を求めて、さらに深い管理記録の深淵へと足を踏み入れていくのであった。

 七歳の春。

 お城の空気は、私の左目が捉える不純物の排除によって、少しずつ、確実に、そして清々しいものへと変わり始めていた。

 

(さあ、次はお城の近衛騎士団の装備更新に紛れ込んだ、錆びた鉄屑の購入費を洗いざらい調べましょうか。伯爵様、次は血気盛んな騎士様たちを相手に、言葉の刃でなぎ倒す仕事ですわよ)

 

 私は、未来の安定した穏やかな午睡を勝ち取るために、目の前の巨悪を数字という無慈悲な力で斬り捨てていくのであった。

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