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搾取令嬢は二度と騙されない ~嘘を見抜く左目で、すべてを取り戻します~  作者: 第三ひよこ丸


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第099話 わたくしは、好きな人に好きだと伝えましたわ

 数日後の休日、私は王都の中央広場へ続く大通りを歩いていた。普段なら財務局へ向かうために通る道なのに、今日は同じ景色が妙に新鮮に感じられる。通りの両側には果物や焼き菓子を並べた露店が続き、休日を楽しむ人々の話し声や、広場のほうから聞こえてくる楽士の音色が重なっていた。


 私はその中を歩きながら、何度も自分の服装へ視線を落とす。髪は乱れていない。服にも皺はない。待ち合わせの時間にも遅れていない。それなのに落ち着かない。今日は仕事のために出てきたのではないからだ。アレクサンドル様と、初めて王宮の外で二人きりで会う。そう考えるだけで、胸の奥がそわそわしてしまう。


「……困りましたわね。財務局の決裁書類を前にしているときは、どれだけ数字が並んでいても平気ですのに、今日は服装が乱れていないか、髪がおかしくないか、そればかり気になってしまいますわ」


 思わず独り言がこぼれ、私は小さく息を吐いてしまう。数字なら、合わない箇所を見つければいい。足りない資料があれば取り寄せればいい。間違いがあれば原因を探せばいい。でも、人の気持ちはそうはいかない。まして今日、私が向き合おうとしているのは自分自身の気持ちだった。


 前世の私は、誰かを好きになることさえ怖かった。拒絶されたらどうしよう、嫌われたらどうしようと考えて、最初から何も望まないほうを選んでいた。欲しいものを欲しいと言わず、誰かの期待に合わせていれば傷つかずに済むと思っていたのだ。でも、そんな生き方をした結果、私は自分が何を望んでいるのかさえ分からなくなった。だから今度は違う。自分の人生を自分で決めると決めた以上、恋だけを恐れて逃げるつもりはなかった。


 

 広場の噴水が見えたところで、私は足を止めた。向こうから歩いてくるアレクサンドル様の姿が目に入ったからだ。今日は王宮で会うときのような正式な服装ではなく、落ち着いた色の上着を身につけている。それだけなのに、いつもより近い人に見えた。私に気づいたアレクサンドル様は、少し歩調を速めてこちらへ近づいてくる。


「お待たせしました、セレスティーナ嬢。休日ですから、もう少し早く来るつもりだったのですが、途中で少し用事ができてしまって。待たせてしまったのなら申し訳ありません」


「いいえ、わたくしも今来たところですわ。それに、待っている間も王都の様子を眺めているだけで楽しかったですもの。財務局へ向かうときには、周りを見ている余裕などほとんどありませんから、こうしてゆっくり歩いてみるのも悪くありませんわね」


「それなら安心しました。今日は仕事ではありませんから、できるだけ仕事のことを忘れて過ごしましょう」


「そうしたいと思っておりますわ。もっとも、わたくしが本当に仕事を忘れられるかは、少々自信がございませんけれど」


 アレクサンドル様が笑う。その笑顔を見ると、私の緊張も少しだけ和らいだ。王宮で会うときには、どうしても仕事や身分が間に入る。私は財務局の人間で、彼にも彼の立場がある。でも、今日だけは違う。私たちは休日に待ち合わせをした二人の人間だ。それだけで、いつもより近くに感じられた。


「今日は、どちらか行きたい場所がありますか?」


「実は、以前から気になっている焼き菓子のお店がございますの。財務局の者に教えてもらったのですが、とても美味しいそうですわ。もしアレクサンドル様が甘いものをお嫌いでなければ、そこへ行ってみたいと思っております」


「甘いものは好きですよ。では、その店へ行きましょう。今日はあなたが行きたい場所へ行くのが一番ですから」


「まぁ。アレクサンドル様は、いつもわたくしの希望を先に聞いてくださいますのね」


「あなたが何をしたいのかを聞くほうが、私も安心します。勝手に決めてしまったら、あなたに申し訳ないですから」


 その言葉が、胸の奥へ静かに落ちていく。以前の私は、誰かに何かを決められることへ慣れすぎていた。仕事でも、人間関係でも、自分より相手の都合を優先する。それが当たり前になっていたから、こうして自分の希望を尋ねてもらえることが、こんなにも嬉しいものだとは知らなかった。私は隣を歩く彼を見上げ、自然と笑ってしまう。


「それでしたら、今日はわたくしの希望に付き合っていただきますわ」


「喜んで」


 焼き菓子の店へ向かう道すがら、私たちは仕事とは関係のない話をした。子供の頃に好きだった本の話、休日の過ごし方、苦手な食べ物。どれも財務局では話す必要のないことばかりなのに、話していると不思議なくらい時間が早く過ぎていく。アレクサンドル様が意外にも甘いものが好きだと知ったときには、私は思わず笑ってしまった。


「アレクサンドル様が甘いものをお好きだとは、少し意外でしたわ。普段のお姿からは、もっと苦いお茶ばかり飲んでいらっしゃるように見えますもの」


「それは随分と偏った印象ですね。ですが、セレスティーナ嬢も人のことは言えませんよ。財務局で数字を見ているときのあなたは、誰も話しかけてはいけないような顔をしていますから」


「わたくし、そんな顔をしておりますの?」


「えぇ。話しかけるなら、書類をすべて片づけてからにしようと思うくらいには」


「それは困りましたわ。今日はできるだけ、そのような顔をしないようにいたします」


「では、私も仕事の顔をしないようにします。せっかくの休日ですから、お互い普段とは違う時間を過ごしましょう」


 そう言って笑う彼を見て、私は胸の奥が温かくなるのを感じた。この人といると、私は財務官として振る舞う必要がない。誰かに評価されるために笑う必要も、期待に応えるために言葉を選ぶ必要もない。ただ話したいことを話して、笑いたいときに笑えばいい。そのことが嬉しかった。


 

 焼き菓子を買ったあと、私たちは広場の端にある木陰の長椅子へ腰を下ろした。噴水から流れる水音と、人々の楽しげな声が遠くに聞こえる。私は紙袋から焼き菓子を取り出し、一つをアレクサンドル様へ差し出した。


「どうぞ。わたくしが選んだものですから、お口に合うか少し心配ですけれど」


「ありがとうございます。では、いただきます」


「いかがです?」


「美味しいですよ。甘さもちょうどいいですし、これなら何個でも食べられそうです」


「まあ。それなら、もう一つ買っておけばよかったですわね」


「次に来たときに買えばいいでしょう」


「……次も、来てくださいますの?」


「もちろんです。今日が楽しかったので、私はまた来たいと思っています」


 その言葉に、私は胸の奥で何かが大きく揺れた。今日が楽しかった。それは私も同じだった。そして次も会いたいと思っている。それなら、もう自分の気持ちをごまかす必要はない。私は紙袋を膝の上へ置き、アレクサンドル様へ向き直った。


「アレクサンドル様。今日は、どうしてもお伝えしたいことがございますの」


「分かりました。何でも聞きます」


「少しだけ、緊張しておりますわ。ですが、最後まで聞いてくださいませ」


「はい。途中で口を挟まずに聞きます」


 私は一度目を閉じ、そして、ゆっくりと顔を上げる。


「私は、アレクサンドル様が好きですわ」


 言葉にした瞬間、胸が苦しいほどに激しく鳴ってきた。頬が熱くなり、今すぐ視線を逸らしたくなる。それでも私は逃げない。ここで彼の顔を見ることから逃げれば、前世の私と何も変わらない。拒絶されるかもしれない。今までの関係が壊れるかもしれない。それでも、自分の気持ちを伝えることを選んだのだ。


 アレクサンドル様は、驚いたように私を見つめたあと、ゆっくりと息を吐く。その時間が長く感じられて、私は膝の上で指を握りしめていた。


「……ありがとうございます。ずっと、あなたからその言葉を聞きたいと思っていました」


「では……」


「はい。私も、あなたが好きです」


 その言葉を聞いた瞬間、目の奥が熱くなった。泣くつもりなどなかったのに、視界が少しだけ滲む。私は慌てて瞬きをしながら、笑顔を作った。


「本当に……よろしいのですか?」


「もちろんです。私はあなたと一緒にいる時間が好きです。仕事の話をしているときも、今日のように何でもない話をしているときも、もっとあなたのことを知りたいと思っています。それに、あなたが自分の望む人生を選ぶことを、私は応援したいと思っています。財務局で働きたいなら、その仕事を続ければいい。婚約や結婚を急ぎたくないなら、急ぐ必要もありません。あなたが望む形で、私たちの関係を築いていきたいです」


「……わたくしも、それがいいですわ。誰かに決められた関係ではなく、自分たちで少しずつ決めていきたいと思います」


「では、これからも会いましょう。仕事のない日に、こうして二人で過ごして、もっとお互いのことを知っていきませんか?」


「はい。わたくしも、そうしたいですわ」



 —— ようやく、ここまで来られた。 ——


 王族になることを拒んだときも、自分の人生を取り戻したと思った。でも、本当に自分の人生を選んだと実感できたのは、今だった。私は誰かの都合でアレクサンドル様を選んだのではない。王家から逃げるためでもない。レナート殿下との婚姻を断ったから、その代わりに恋を求めたわけでもない。ただ、この人と一緒にいると嬉しい。この人ともっと話したい。この人のことをもっと知りたい。その気持ちを自分自身で認めて、私は自分から伝えたのだ。


 そのとき、左目に淡い光が浮かんできて、私は一瞬息を止める。

 アレクサンドル様の言葉の奥に、本心が浮かんでいた。


【セレスティーナが好きだ。彼女とこうして過ごせることが嬉しい。これからも、彼女のそばにいたい】



 言葉と本心が同じだった。

 今までと同じだ。

 アレクサンドル様が私に向ける言葉には、偽りがない。


 その事実を確認しても、左目の光は消えなかった。

 私はそっと目を閉じる。


 この力は、まだ私の中にある。それを誰にも知られるわけにはいかない。私だけが抱える秘密として、これからも守っていく。


 でも、今日だけは思った。この力がなくても、私はきっと、この人を好きになっていた筈だ。


 アレクサンドル様といると楽しい。

 もっと話したい。

 もっと一緒にいたい。

 そして、これから先も隣にいてほしい。


 それは左目が教えてくれた答えではなく、私自身が選んだ答えなのだ。


「アレクサンドル様。次のお休みも、お会いしたいですわ。今日だけでは、まだ話し足りませんもの」


「私も同じことを考えていました。では、次は私が行きたい場所へ案内します」


「楽しみにしておりますわ」


「約束します」


 まだ婚約者ではない。

 結婚の約束もしていない。

 未来のすべてが決まったわけでもない。


 それでも、私は幸せだった。自分の人生を自分で選び、その人生の中で、自分の恋を選んだのだから。それだけで十分だった。


 私は隣を歩くアレクサンドル様を見上げ、夕陽に照らされた横顔を見ながら、胸の中でそっと言葉にした。


(私は、この人が好き。これからも、この人と歩いていきたい。そして明日からも、私は私の人生を生きていく)


 それが、私が二度と誰かに奪われないと決めたものなのだから。

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