桜略奪
夜――因島は静まり返っていた。
空には、かつて月が落下したときに砕け散った《月のカケラ》が
村上吉充の本城である青景城を鈍く浮かび上がらしている。
穏やかな波は、
砕けた月の破片をそのまま映し返すようにきらめき、
海は静かであるのに、どこか不穏な輝きを帯びていた。
その光の道を、一隻の船が静かに滑っていく。
健太郎が作り、武吉が「海賊船として」買い取った 福岡丸と同型の船。
ーー海鬼丸と名付けたこの船を、
武吉は、まるで宝物のように扱っていた。
船首には、 旋回式の大砲が据え付けられている。
武吉はその大砲の横に立ち、火縄を手ににやりと笑った。
「海鬼丸はええのう……
改造も樹脂持ってきて糊のように使うたら、一つの物になったようにくっつく。
南蛮から仕入れた大砲も簡単にくっついたわ!」
凪が呆れたように言う。
「お父ちゃん、買うには買ったけど使いどころに困ってたもんねー?」
ほたるは肩をすくめる。
「つい買ってもうたんやねぇ……ほんと、使いどころがあってよかったですねぇ」
武吉は南蛮人の持っている大砲を”かっこよかったので”衝動買いしてしまっていた。
海賊なので陸で使うことはなく、船に積んでも重すぎて台座が持ちそうになかった。
そこへ鉄よりも堅い材質で出来た海鬼丸が来たので大変喜んだ
きれいに取り付けられたので今度は撃ってみたくてたまらないのが正直なところである。
「どんな威力なんじゃろうか!!
これだけの玉と火薬を使うんじゃ!わしゃ楽しみでしょうがねぇわ!」
武吉が鉛で出来た直径15cmほどの玉を持ってがははと笑っている
港の陰に入ったところで海鬼丸は静かに停泊した
「よし、健太郎、道は全部わかっとるな?」
健太郎は頷く。
「はい。
裏道は三つ。
そのうち二つは見張りが近いので、
“北側の細道”を使います。
桜殿の部屋は屋敷の東側。
港の北側の見張りが見えない所まで行って待機します。
武吉殿の陽動が始まれば、
見張りは全員そちらへ向かい、上陸できます
桜殿を説得して戻ってくるのに半刻ほどお願いします」
作戦会議の後
斥候蜂達はそのまま飛行を続け、因島の青景城まで飛んで、じっくりと道を調べ、
その情報を頭に叩き込んでいる。
凪が感心したように言う。
「先生、ほんまに蜂と仲良いんよね……」
ほたるは笑う。
「蜂の偵察って、戦国の常識ちゃうで」
行長は拡声器を抱えたまま震えている。
「き、緊張してきたな、あ、あー...大丈夫かな……?」
武吉は満面の笑みで背中を叩いた。
「当たり前じゃ!!お前の声で因島を揺らすんじゃ!!」
もう、ここまで来たら腹を据えた。やってやろうやないですか!!
景気づけに一杯飲んどけ、と渡された酒が効いているのだろうか
しっかりと覆面はしているが
「……桜さんを助けるためなら……やりますよ……」
武吉は満足げに頷いた。
「よし!!では――桜略奪、開始じゃ!!」
先ずは健太郎が、小さな木舟を漕いで、闇に紛れて静かに進んでいく。
昼間の蜂の映像で
裏道の位置も、見張りの巡回も、桜の部屋の場所もすべて把握していた。
屋敷の周囲には松明が揺れ、海岸沿いにも二人、三人と兵が立っている。
健太郎は櫂を止め、舟を波に任せて漂わせた。
「……ここまでが限界かな」
見張りの視線が鋭い。これ以上舟を寄せれば、すぐに見つかる。
健太郎は息を潜め、暗い海の上でじっと待つ。
武吉は港の中まで船をすすめて
火縄を大砲の導火線に押し当てた。
シュボッ……!
次の瞬間――
ドォォォォォン!!
「ガハハハッ!すごいのぅ!!」
轟音が夜の海を揺らし、
島中が震えるほどの衝撃が走った。
因島の城壁の外に土煙が上がり、
海岸の見張りたちが一斉に叫ぶ。
「な、なんじゃあの音は!!」
「敵襲か!? どこからじゃ!!」
「正面じゃ! 正面へ走れ!!」
武吉が怒鳴る。
「弥九郎!!今じゃ!!叫ばんかァ!!」
行長は軽く頷き、拡声器を構え、
魔力を集めた。
拡声器が光り――
行長の声が夜空を裂いた。
「吉充ィィィィ!!
能島の村上が来たぞォォォ!!
毛利の犬に成り下がったお前のけつを、引っ叩きに来たんじゃァァァ!!」
因島中の灯りが一斉に揺れ、
兵たちが右往左往し始める。
「ひ、ひぃ!? 能島村上じゃ!!」
「正面へ向かえ!! 全員じゃ!!」
「海岸の見張りは後回しじゃ!!
健太郎は小舟の上で、その混乱を冷静に見つめた。
「……これで、海岸の見張りは動く」
海岸の見張りが全員、武吉の方向へ走り去った。
健太郎は櫂を握り直し、小舟を静かに岸へ寄せる。
波が《月のカケラ》の光を揺らし、舟の底を淡く照らした。
健太郎は砂浜に足をつけ、深く息を吸った。
「……行く。桜殿を迎えに」
そして、北側の裏道へ向かって走り出した。
屋敷に到着すると
裏口の戸から「ひぇー」といって人が飛び出して行った。
暗に潜んでいた健太郎は、そこから中へ滑り込んだ。
外ではまだ、武吉の海賊船《海鬼丸》の大砲の余韻が響き、
行長の拡声器の怒号が島中を揺らしている。
「吉充ィィィ!!
能島は警護衆なんかにゃならんぞォォォ!!」
声は楽しそうだ
その声に兵たちは右往左往し、こちら側は人気がほとんどない。
階段の手前で、兵が二人、女中と一緒に慌てて駆け下りてきた。
「武吉が来たぞ!! 正面へ回れ!!」
「海賊船もおる!! 大砲まで撃っとる!!」
健太郎は柱の影に身を寄せ、三人が通り過ぎるのを待った。
足音が遠ざかる。
健太郎は静かに階段を上がる。東側の廊下は静かだった。
外の騒ぎが嘘のように、ここだけ時間が止まっている。
廊下の突き当たり――障子の向こうに、小さな灯りが揺れている。
桜の部屋だ。
健太郎は胸の鼓動を抑え、障子の前に立った。
外ではまだ、武吉の怒号が響いている。
「吉充ィィィ!!出てこんかァァァ!!」
その声に合わせて、屋敷全体がざわついている。
だがこの部屋だけは、静かだった。
健太郎は深く息を吸い、障子にそっと手をかけた。
指先が震える。
桜は――無事だろうか。
昼間蜂が見たとき、
桜は机に向かって何かを書いていた。
その姿が脳裏に浮かぶ。
健太郎は障子を、静かに開けた。
ーー桜目線ーー
昼間のことを、桜はふと思い出していた。
ー吉充が机に向かい、淡々と筆を走らせていた。
「武吉に書状を出した。怒っとるじゃろうなぁ。……少し警備を増やしておくか」
その声はいつも通り冷静で、
合理的だが、情が厚く、とてもやさしい父であった。
これから因島村上は警護衆になる。毛利水軍の一部になるのだ。
そのための人質だ。小早川様の妾になる。
瀬戸内の大海賊の家に生まれたので、それが桜の仕事であると思っている。
能島の叔父様は反対していたけど、
父は話をすすめ、いろんな事が決まってから能島に書状で報告だけを行った。
怒るだろうというのは、そのことであった。
そのとき、以前ほんの一瞬だけ見た小早川隆景のことを思い出した
(あのお方はどんなお人だろうか。)
毛利の水軍を指揮されている重鎮だそうだ。
ふと――健太郎の顔が脳裏に浮かんだ。
ー健太郎様だったら良かったのにー
ーと思ってしまった。
(……ああ。 わたし…… 健太郎様のこと、好きだったんだ)
今ならわかる。
今までは気づかなかった。
いや、気づいてはいたのだ。
でも、何故か同じ状況がずっと続くと思っていた。
胸の奥がじんわり熱くなる。
でも、もう遅い。
三原城(小早川隆景の本城)へ行けば、もう凪にも、健太郎にも会えないだろう。
吉充は優しい。悪い人ではない。むしろ、桜を守ろうとしてくれている。
でも――
(わたし……あの人のそばにいたかった)
涙がこぼれそうになり、桜は袖でそっと目元を押さえた。
そのときだった
ドォォォォォン!!
という音とともに屋敷が揺れた
「何?」
屋敷中で悲鳴があがる
「吉充ィィィィ!!
能島の村上が来たぞォォォ!!
毛利の犬に成り下がったお前のけつを、引っ叩きに来たんじゃァァァ!!」
桜は震えた。
(能島の……? どうして……?)
ドタバタと足音がして、女中が障子の外で
「様子を見て参ります!」
と下へ降りて行った
暫く静寂が続いた。外では遠くの方で
ドーンという地響きと能島村上の海賊が大きな声で叫んでいる
能島が来た。警護衆になる事を怒っている。
武吉は凪の御父上だ。そして凪の家庭教師は.....
もしかして健太郎も一緒に来ているのではないか
そんな期待をしても悲しいだけなので、すぐに
”そんな訳無い”と自分に言い聞かせる
でもー... と心の中で またもやその期待が膨れ上がる
「いかん、いかん、」とまた何度目かの堂々巡りを繰り返した時、
女中とは違う足音が廊下の向こうから、近づいてくる。
早い。 迷いのない足取り。
桜の胸が高鳴る。
(まさか…… そんなはず…… 夢みたいなこと……)
足音が止まる。
障子の前。
桜は息を呑んだ。
指先が震える。
(来ないで…… でも……来て……)
障子が――
静かに開いた。
淡い《月のカケラ》の光が差し込み、
その向こうに立っていたのは――
桜は目を見開いた。
(……夢……? それとも……)
そこにいたのは、
桜がもう二度と会えないと思っていた人だった。




