龍咆の道を越えて
天原日城の台座が光を放ち、
六城の霊脈が一斉に震えた。
八重は両手を台座に押し当て、
霧をまといながら必死に封印装置を維持していた。
「……いけ……! 繋がれ……!」
光が走り、
三方五湖を囲む六つの城が淡く輝く。
その瞬間──
水折の巨大な影が、一度だけ痙攣した。
封印が発動したのだ。
八重は息を吐いた。
「……間に合った……!」
だが、次の瞬間。
水折は咆哮を上げ、
天原日城へ向かって突進してきた。
封印は“閉じ込める装置”であって、各城が繋ぐ結界より内側では自由に動ける。
八重の防御結界が悲鳴を上げた。
「……っ……!」
霧の壁がひび割れ、
水折の爪が結界を叩きつける。
バキィィンッ!!
結界が割れた。
八重は吹き飛ばされ、地面を転がった。
「ぐっ……!」
水折はすぐに追撃してきた。
口から高圧の水刃が放たれる。
八重は霧を操り、
身体を紙一重で横へ跳ねさせた。
水刃が地面を切り裂き、岩が真っ二つに割れる。
「……水折……! ワシも水を操るでの……
その程度、読めるわ……!」
だが、八重の息は荒い。霧が薄れ、形を保てなくなっていた。
水折は怒り狂い、
八重を逃がすまいと周囲を水刃で薙ぎ払う。
八重は必死に走り、
結界の外へ逃げようとするが──
水折は進路を塞ぐように水柱を立てた。
「くっ……!逃がしてくれんか……!」
霧の壁はどんどん薄くなる。
「……ワシの力では……長うは持たん……!」
水折が大きく息を吸った。
次は“本気の一撃”だ。
八重は覚悟した。
「……ここまでか……」
その瞬間──
山道の向こうから、蜘蛛の足音が響いた。
「八重様ぁぁぁ!!」
元明だった。
蜘蛛は全速力で駆け上がり、
八重の横をすり抜けるように滑り込む。
八重は元明の手を掴み、蜘蛛の背に飛び乗った。
水折の水刃が二人を追うが、
蜘蛛は霧の中を縫うように走り、紙一重でかわしていく。
「八重様! 大丈夫か!」
「……なんとか……生きとる……!
元明、逃げるぞ……!
水折は結界の外には出られはせぬ……!」
水折が咆哮し、天原日城の山を揺らす。
巨大な水柱が二人を追いかける。
蜘蛛は山道を駆け下り、
霧の中を滑るように逃げ続けた。
八重は元明の背にしがみつきながら、
かすれた声で言った。
「……元明……
若狭は……まだ終わっとらん……
水折を……完全に鎮める方法を……探さねば……!」
水折の怒りの咆哮が、山々に響き渡った。
二人は蜘蛛に乗り、丸二日、ほとんど休まず逃げ続けた。
霧は薄れ、八重の顔色は蒼白。
元明も限界に近い。
常神半島の先端──
もう逃げ場はほとんどない。
水折は海を割るように迫り、
高圧の水刃を何度も放ってくる。
蜘蛛はそのたびに跳ね、滑り、
紙一重でかわし続けた。
「八重様……もう限界や……!」
「……分かっとる……
じゃが、止まったら死ぬぞ……!」
霧はもう薄く、盾として機能しない。
「……終わりか……」
その瞬間──
海の向こうから腹の底に響く破裂音が木霊した。
ドンッ!!
水折の顔面に、火花を散らす弾丸が直撃した。
水折が一瞬だけ後退する。
元明は驚いて振り返った。
「……鉄砲!?誰や……!」
海上に、黒い船影がいくつも現れた。
その先頭に立つ男が、鉄砲を構えて叫んだ。
「八重! 元明! よう逃げ切ったな!」
孫市だった。
孫市の鉄砲は、
銃身に「愛山護砲」と刻まれている。
堺の名工・芝辻理右衛門が特別につくった鉄砲。
彼は熱心な本願寺門徒であり、
孫市が石山本願寺を守るならと惣国連合に預けられた品物だ。
さらに冒険者組合で魔法付与を施し、
弾丸不要。火薬不要。
射程は通常の5倍。威力も5倍。
魔力で自動装填される
という、
戦国時代の常識を完全に超えた鉄砲だった。
孫市は愛山護砲を構え、
水折に向けて連射した。
ドンッ! ドンッ! ドンッ!!
水折は怒り狂い、海を巻き上げながら後退する。
しかし──
皮膚は固く、傷一つつかない。
孫市は舌打ちした。
「……かったいのう……
愛山護砲でも抜けやん……!」
水折は怒りの矛先を船へ向けた。
巨大な水柱が海面から立ち上がり、
船団を薙ぎ払う。
「うわああああ!!」
「船が割れたぞ!!」
援軍500を乗せた船は、次々に破壊されていく。
孫市は船から飛び降り、海へ飛び込んだ。
泳ぎながら岸へ向かい、愛山護砲を撃ちまくる。
ドンッ! ドンッ! ドンッ!!
だが、味方はどんどんやられていく。
「孫市様! もう持ちません!」
「退け! とにかく岸へあがれ!!」
溺れた者もいるが、なんとか岸へ上がった兵たちは陣を組みなおした。
そこへ八重と元明を乗せた蜘蛛が合流する。
八重は兵たちに結界の仕組みを説明し、
「南へ下がり、田井城まで引け」と命じた。
雑賀衆百人と元明の家臣百人は蜘蛛に乗り殿を務める。
その隙に本願寺勢は魔法で声を拡張し、
村々を巡って住民に避難を呼びかけることになった。
雑賀衆の鉄砲が一斉に火を噴く。
これも愛山御砲には及ばないものの、
冒険者組合製で火薬も弾も不要だ。
一斉射撃で足を止めた水折に、
若狭の兵が囮となって前を走り抜ける。
本願寺勢が見えなくなると、
兵たちは谷を降り、また登り、
水折を射撃しながら少しずつ田井城へ下がった。
孫市が叫ぶ。
「元明! 八重! こっちや!!
結界の外まであと少しや!!」
蜘蛛は最後の力を振り絞り、
田井城の結界の外へ飛び出した。
その瞬間──
水折は追撃を止めた。
龍は結界の外へ出られない。
孫市は愛山護砲を肩に担ぎ、
息を荒げながら言った。
「……なんとか……逃げ切ったな……
八重、お前……死ぬかと思ったぞ……」
八重は地面に崩れ落ち、霧が薄く消えていく。
「……ワシも……そう思ったわ……」
元明は八重を抱きしめ、震える声で言った。
「八重様…...生きててくれて……ほんまに……」
結界の向こうでは、水折の咆哮が響き続けていた。
翌日――
田井城の一角に、惣国連合が持ち込んだ巨大な治癒槽が据えられた。
冒険者組合が作った特殊な風呂で、
木の道と同じ素材を使い、魔力を帯びた湯が傷を癒す。
詩乃が「もしけが人が出ては」と兵糧と共に運ばれてきたのだ。
八重も元兼も、常神半島から生きて帰ってきた者たちも、
重症者から順に治癒槽へ入れられていく。
腕が折れた者、
水刃で身体を裂かれた者、
船の破壊で海に投げ出された者──
湯に浸かるたび、傷がゆっくり閉じていく。
惣国連合の兵が言う。
「この治癒槽は、冒険者組合製でしてな。
戦場では欠かせませぬ。」
若狭国衆は驚きながら見守った。
「……こんな湯があるとは……
惣国連合は、まこと不思議な集団よ……」
逸見清景は館からこの田井城へ足を延ばし、軍議を開いた。
「本願寺殿。住民の避難指示、誠にありがとうございました。
おかげで被害は最小限にとどまりそうです。」
茶々麿は照れ臭そうに顔の前で手を振る。
「いえいえ、これが本来の僕たちの役割なんで。」
孫市も茶々麿の頭に手を置いてゴシゴシと撫でる。
「ほんまにあんな魔法があるやなんて本願寺もたいしたもんやで。」
雷礼が教えた魔法は、
鳥競で使われていた声拡散の術を改良し、
上空に元明の映像を映し出すものだった。
若狭の若殿自ら避難を呼びかけたことで、
混乱はほとんど起きなかった。
頼旦と雷礼は本願寺の兵を率い、
避難民の食事と寝場所の確保に奔走している。
茶々麿は孫市の撫でる手を振り払いながら言う。
「僕はなんもしてへんよ。
けど......伝説の龍がほんまに現れるとは......」
清景が頷く。
「ほんに......なんとか鎮める手立てを探さねばならん。」
元兼は動けるまでに回復し、軍議に参加していた。
「成願寺には古い書物が沢山ある。あそこに行けば何かわかるかもしれへん。」
清景も頷く。
「確かに。朝倉義景も水折の存在に気が付いておったようじゃ。
蔵書を狙っておったが成願寺は断っておった。」
元明は手を叩いた。
「なるほど。それで義景殿は私を利用しようとしたんやな。
龍神の伝説を聞かれたことがある。
水折様のことはよそ者には話すなと言われておったので
何も知らんふりをしたんやけど。」
八重はまだふらつきながらも、
元明の肩に手を回して体制を保つ。
「ワシらも成願寺へ行くぞ。」
元明は顔を赤らめたまま固まっている。
「し、しかし、八重様。もう少し休まれては......」
八重は寄りかかりながら笑った。
「大丈夫じゃ。もう一遍あの風呂につかれば完全に復活するわい。
それよりも、じゃ。
水折が龍になった経緯……
その秘密が成願寺の古文書に残っとる可能性がある。
大蛇が龍になった理由が分かれば……逆も出来るかもしれん。
こづえ......姫宮御前も成願寺の娘で、封印の方法を知っておった。」
元明は赤面したまま、かすれた声で言った。
「わ、私は藤孝殿にも書状を出しておきます。
京で警戒を強めてもらうと共に、
手練れを若狭に派遣してほしいと伝えます。」
孫市が笑う。
「藤孝殿なら動くやろ。
あいつはこういう時、迷わん男や。」
清景も頷く。
「京の手練れが加われば、若狭の守りは大きく変わりましょう。」
孫市は愛山護砲を立てた。
「わぇはもう一度惣国連合へ戻る。
水折を倒せる武器と兵を、全部かき集めてくる。」
元明は深く頷いた。
「アニキ……頼みます。」
孫市は笑った。
「任せとけ。冒険者組合の連中も……
全部まとめて連れてくるわ。」
治癒槽の湯気が立ち上る田井城の一角で、
兵や民衆たちの傷が癒えていく。
その一方で――
結界の向こうでは水折が咆哮を続けていた。
若狭の危機は、
まだ始まったばかりだった。




