蘇る龍
―――朝倉影鏡視点――
田井の山に、火の手が上がった。
影鏡はその中心──姫宮御前の祠の傍らに立つ一本のタブノキが、
ゆっくりと炎に包まれていくのを見つめていた。
風が吹くたび、火は赤い舌を伸ばし、
古い木肌を舐めるように焼き崩していく。
「……くだらぬ祠め。
こんなものを守るために、元兼は逆らったというのか。」
あやつの態度からすると逸見は滅ぼさねばなるまい。
影鏡は鼻で笑った。
だが、胸の奥にわずかな違和感が残る。
──木が、泣いているように見えた。
ぱきり、と音がした。
タブノキの幹が裂ける音だった。
だがその音は、木が割れたというよりも、
何かが“内側から出ようとしている”ような響きだった。
影鏡は眉をひそめた。
「……なんじゃ、今の音は。」
炎が一段と強くなり、
タブノキの根元から白い蒸気が噴き上がる。
蒸気はすぐに霧へと変わり、
影鏡の足元を這うように広がった。
「霧……? 火をつけたのに、霧が出るか。」
兵たちがざわつく。
「殿、これは……ただの煙ではござらん!」
「足元が……冷たい……!」
影鏡は苛立ち、怒鳴った。
「騒ぐな! ただの湿気じゃ!」
だが、霧は湿気ではなかった。
霧は意思を持つように影鏡の周囲を巻き、
炎の色を奪い、音を奪い、
世界を白く塗りつぶしていく。
タブノキが崩れ落ちる瞬間──
霧の奥から、低い唸り声が響いた。
地の底から響くような、
湖の底で誰かが泣いているような、
そんな声だった。
影鏡は背筋が凍るのを感じた。
「……なんじゃ、これは……」
霧が裂けた。
そこから現れたのは──
炎に照らされ、黒く濡れた巨大な影。
怒りと悲しみを混ぜたような声で、
世界を震わせる影。
水折が、封印を破って姿を現した。
影鏡は言葉を失った。
「……龍……?」
霧が一気に吹き荒れ、
田井の山全体が震えた。
水折の目が、影鏡を見た。
その瞬間、影鏡は悟った。
──自分は、触れてはならぬものを焼いたのだ。
―――元明視点――
私と八重様は、常神半島の山道を進んでいた。
蜘蛛は一人乗り仕様だが、八重様は軽いので椅子に座っていただき、
その後ろに立っている。八重様の肩につかまっているので胸が高鳴る。
すると、蜘蛛がふと立ち止まった。
田井の方角──
山の向こうに、黒い煙が立ち上っていた。
八重様の顔色が変わる。
「……あかん。あそこは水折を封じ込めている場所じゃ。
急ぐぞ、元明。」
霧がざわりと揺れ、八重様の声が震えていた。
私は蜘蛛の背で身を乗り出す。
「封印の場所……? 田井が……?」
八重様は頷き、前を見据えたまま語り始めた。
「水折を封じた時のことじゃ……
あれは、信栄とワシ、そして成願寺の娘──こづえの三人でやったのじゃ。」
私は息を呑む。
八重様は続けた。
「姫宮御前と呼ばれとるが、祠が出来てからの名じゃ。
本当の名は、こづえ。
水霊の声を聞ける娘でな……
信栄とワシと同じく、水折と心を通わせる力を持っとった。」
霧が揺れ、八重様の声が少しだけ震えた。
「三人で力を合わせて、水折をタブノキに封じ込めた。
じゃが──代償は大きかった。」
私は八重様の横顔を見つめる。
美しくてうっとりしてしまいそうになるが、
話に集中する。
「信栄は右腕を失い、
ワシは八百比丘尼としての力のほとんどを失い、
こづえは……命を使った。」
八重様は目を閉じた。
「こづえの魂がタブノキに宿り、封印は完成した。
それが田井の祠じゃ。」
私は拳を握った。
「……その祠が、今……焼かれてるんすね。」
八重様は静かに頷いたが、次の瞬間肩に力が入ったのを感じた。
「まずいぞ。封印が解ける……!」
田井の方角──
黒煙の中から、巨大な影がゆっくりと頭を持ち上げた。
怒りと悲しみを混ぜたような声が、
山々を震わせる。
「……龍や……!」
声が震えた。
八重様は歯を食いしばる。
「手遅れじゃ……水折が目覚めた……!」
霧が激しく揺れ、蜘蛛が怯えて足を止める。
八重様は肩に乗せている私の手を掴んだので、どきりとした。
「元明、天原日城へ行くぞ!」
私は驚く。あそこは廃城のはずだ。
「天原日城……? なんでそこへ?」
八重様は急ぎながら説明した。
「三方五湖を囲むようにある六つの城──
田井城、麻生野城、堂山城、田上城、大倉見城、堂谷山城。
あれらは“もしもの時、水折をその内側に閉じ込めるための装置”じゃ。」
私は息を呑む。
「城が……装置……?」
「そうじゃ。
そしてその装置を起動する鍵が、天原日城にある。」
八重様は霧を操り、蜘蛛を加速させた。
「急がな間に合わんぞ。
水折が完全に目覚めたら、若狭は沈む……!」
天原日城跡は、三方上中郡の山の上にあった。
山を登るにつれ、空気が変わった。
常神半島の霧とは違う、乾いた、古びた匂いが漂ってくる。
天原日城跡は、
かつて城があったとは思えぬほど静まり返っていた。
石垣はほとんど崩れ、
苔が厚く張りつき、
ところどころに黒ずんだ亀裂が走っている。
風が吹くたび、
折れた枝が地面を引っかくような音を立てた。
初めてここへ来たが、こんなに荒れ果てていたとは知らなかった。
「……ここに、城が……?」
八重様は頷いた。
「天原日城は、戦のための城やない。
“封印のためだけに造られた城”じゃ。
人が住まんから、こうして朽ちていくんじゃ。」
城跡の中心には、
不自然なほど平らな石の台座があった。
周囲の地面は荒れ果てているのに、
その台座だけは、まるで時間が触れていないかのように
白く、冷たく、静かに残っていた。
台座に近づき、手を触れた。
「……冷たい……」
八重様は静かに言う。
「封印装置の核じゃ。
六つの城が霊脈を繋ぎ、この台座に力を集める。
水折を湖の内側に閉じ込めるための“鍵”じゃ。」
風が吹き抜ける。
草がざわめき、朽ちた木々が軋む。
天原日城跡は、
まるで長い眠りから覚めるのを拒むように、
静かに、重く、沈黙していた。
八重様は台座に手を置き、目を閉じた。
「……信栄と、こづえと、ワシが封印を完成させた時、
もしも水折が復活した時のために作ったのじゃ。
今は誰も知らんし誰も来ん。
ただ、龍を閉じ込めるためだけに造られた城じゃ。」
周囲を見渡すと、
崩れた石垣、折れた木々、
苔むした地面、風に揺れる枯れ草。
どれも人が忘れた場所の匂いがした。
だがその奥に──
確かに何かが眠っている気配があった。
八重様は目を開き、元明を見た。
「元明。この城は朽ちても、封印の仕組みはまだ生きとる。」
八重様は台座に手を置き、深く息を吸った。
白い光が台座の紋様を走り、
六方向へ霊脈が伸びていった。
風が渦を巻き、
山全体が低く唸る。
「……よし、動いた。
六城の霊脈が繋がり始めたぞ……!」
だが次の瞬間──
光が、突然止まった。
台座の紋様が途中で途切れ、
霊脈が一方向だけ暗く沈んでいる。
八重様の顔が険しくなる。
「……田井城じゃ。
田井城の石組みが壊れとる。
これでは封印装置が起動できん……!」
と言い、元明の肩を掴んだ。
「元明!お主が田井城へ行って石組みを直すんじゃ!
信栄の血を継ぐ者なら、石組みの“正しい形”が分かるはずじゃ!」
元明は頷き、蜘蛛に飛び乗る。
その瞬間──
山の向こうから、
巨大な龍の影がゆっくりと頭を持ち上げた。
水折が、天原日城を見た。
八重様の声が震える。
「……気づかれた。
ここを攻撃するつもりじゃ……!」
霧が激しく揺れ、
八重は両手を広げて結界を張った。
「防御結界を張ったが……長くは持たん。
ワシはここで霊脈を押さえ続ける。
田井城が治るまで手が離せん……!」
八重の霧が天原日城を包み、
水折の咆哮が山を震わせる。
「頼んだぞ、元明……!
若狭の命運は、お主の手にかかっとる……!」
急いで田井城へ向かわんと!私は蜘蛛を走らせた。
山道を駆け下り、
田井城へ向かう街道に差し掛かった時──
道端に倒れている影を見つけた。
「……元兼殿!?なんでこんなところに……!」
元兼は気絶していたが、
胸はかすかに上下している。
「生きてる……!影鏡にやられたんやな……!」
影鏡は永源寺谷口からここへ陣を移したんやな。ここを焼くために......
蜘蛛を止め、元兼を背負った。
田井城は逸見の管理している城だ。
任せれば助かるはずや……!
水折の咆哮が背後から響く。
天原日城が攻撃され始めたのだ。
八重の結界が軋み、ひび割れ始める。
「急がな……八重様が持たん……!」
二人分の重みに耐え、蜘蛛はしっかりと走ってくれた。
田井城に到着すると、
逸見の兵たちが元兼を見て騒ぎ出した。
「若様!?若様どうされたんで!」
「息はある! 早く手当てを!」
ほとんど叫びながら説明する。
「元兼殿は影鏡にやられたんや!
すぐに手当てしてくれ!
それより──田井城の石組みはどこや!?」
兵たちは顔を見合わせ、誰も不思議そうに首を捻る。
仕方がないので場内を探して回るが、それらしいものは見つからない。
どうしようと打ちひしがれていると、一人の兵士が呟く。
「もしかして、休憩所の石かな?」
「それや!案内を頼む。」
時間がない。急がないと結界が壊されてしまう!
「これです……。昔からある石やけど、誰も意味を知らんので……
邪魔やから横に置いてました……」
石組みを見ると台座だけ残って、
上に積むべき石が横に倒されている。
「これや……!これが霊脈を遮っとるんや……!」
石に触れた瞬間、胸の奥が熱くなった。
信栄様の声が、遠くで聞こえたきがした。
「……分かる。どう積めばええか……!」
元明は石を持ち上げ、
台座の上に正しい順番で積み始めた。
その瞬間──
田井城の石組みが淡く光り始めた。
そして最後の石を置いた瞬間──
田井城の石組みが強い光を放った。
霊脈が走り、
天原日城へ向かって光が伸びる。
「八重様……!繋がった……!」




