月欠ける夜、海裂ける朝
三月の山陰は、まだ冬の名残を引きずっていた。
海から吹き上げる風は冷たく、尾根に築かれた三隅城の土塁を撫でるたび、
乾いた草がかすかに鳴った。
空には、砕け散った月の欠片が浮かんでいる。
青白い光は、満月よりも冷たく、
星々の瞬きさえ押しのけるように城の輪郭を照らしていた。
その光に照らされた三隅城は、
まるで山の上に浮かぶ亡霊の砦のようだった。
風が吹くたび、
月の欠片の光が土塁の上を滑り、兵の影を長く引き伸ばした。
「……妙な夜じゃ。」
見張りの兵が呟いた。
月の欠片の光は、ただ明るいだけではない。
どこか、胸の奥をざわつかせる冷たさがあった。
三隅城の守将・三隅隆仲は、
櫓の上から山道を見下ろしていた。
夜気は鋭く、鎧の隙間から容赦なく入り込む。
「三月とはいえ、まだ冬のような寒さよ……」
そう呟いたときだった。
遠く、山道の向こうで、松明の列が揺れた。
福原貞俊の軍――
だが、その数はあまりにも少ない。
隆仲は眉をひそめた。
月の欠片の光が、敗走する兵の顔を青白く照らし出す。
「……何があった?」
その問いに答えるように、敗残兵の叫びが夜気を裂いた。
「く、蜘蛛じゃぁ!! 森から……化け物の蜘蛛が……!!」
隆仲は櫓の上で拳を握りしめた。
月の欠片の青白い光が、その顔をさらに蒼ざめさせる。
「蜘蛛……?たしか月山富田城でも蜘蛛がいたと聞くが......
尼子の攻撃か!」
背後で小笠原長雄が震えながら言った。
「口羽も死んでしもうた。
銀山が落ちれば、毛利家の財政が……!わ、わしは......身を隠す」
三隅氏は怒鳴りつけた。
「代官殿! ここは戦の最前線ぞ! 逃げるなど――」
しかし、小笠原は耳を貸さず、
腰を抜かしながら裏門へ向かって走り去った。
「……なんという腰抜けよ。」
三隅氏は吐き捨てたが、
胸の奥に広がる不安は隠せなかった。
――三隅城の北側、尾根道。
山中鹿之助は、
月の欠片の光に照らされた地図を広げていた。
三つに分けた隊の主攻である。
「……三隅殿は、まだ迷っておるようじゃな。」
側に控える三角( みすみ)――
三隅隆仲の縁者であり、
かつてより尼子に心を寄せていた若武者が、苦しげに口を開いた。
「鹿之助様……。 三隅家は毛利に従属しておる身。
簡単には裏切れませぬ……。」
鹿之助は静かに頷いた。
「分かっとるに。
だが三角、そなたの心はもう決まっておろう?」
三角は唇を噛んだ。
「……銀山の工夫たちの惨状を見てしまえば……
毛利の支配が正しいとは、どうしても思えませぬ。」
鹿之助は三角の肩に手を置いた。
「ならば、そなたが道を開け。
三隅家を守るためにも、 ここで尼子に戻るのが最善よ。」
三角は深く息を吸い、やがて静かに頷いた。
「……分かりました。
鹿之助様、三隅城の北側堀切は、兵が薄い。
そこを突けば、必ず落とせます。」
鹿之助の目が鋭く光った。
「恩に着るぞ、三角。」
上空から、みつきが魔力で合図を送る。
『北側、敵二十。交代なし。
堀切の土塁、崩れかけてる。
いまが攻め時。』
鹿之助は刀を抜き、
月光を受けて刃が青く光った。
「よし、突撃やに!」
六百の兵が、
夜の尾根道を一気に駆け下りた。
その頃、城の西側。
健太郎は蜘蛛部隊を率いて、
斜面を静かに登っていた。
「螻蛄隊、準備は?」
地中から震動が返る。
『掘り終わったよ。いつでも崩せる。』
「鹿之助の突撃に合わせる。 合図を待て。」
みつきの光が夜空で瞬いた。
「……いまだ。螻蛄隊!」
地中が爆ぜ、
西側の土塁が一気に崩れ落ちた。
「うわああああ!!」
城兵が土砂に飲まれ、城内に大穴が開く。
そこへ健太郎軍の蜘蛛部隊が雪崩れ込んだ。
三隅隆仲は刀を抜き、最後の抵抗を試みた。
「ここは三隅の地! 易々と渡すわけには――」
その前に、鹿之助が立ちはだかった。
「三隅殿。 そなたの家を守りたいなら、
ここで血を流す必要はない。」
三隅氏は傍に控えている三角を見て歯を食いしばった。
「……三角か、そなたらに通じておったか。」
三角が前に進み出る。
「叔父上……。 このまま毛利に従えば、三隅家は滅びます。
尼子に戻るのが、唯一の道です。」
三隅氏はしばらく沈黙し、
やがて刀を落とした。
「……三隅家は、尼子に従う。」
鹿之助は深く頷いた。
「よくぞ決断された。」
こうして三隅城は、
ほとんど血を流すことなく陥落した。
三隅城の天守跡に立ち、
健太郎は明るくなってくる空を見上げた。
月の欠片が、
まだ、ぼんやりと城跡を照らしている。
「……これで石見の陸路は押さえました。
次は温泉津。みつき、孝扶と話が出来るのは君と海渡だけだから。
頼んだよ。」
尼子再興軍の海軍の頭領は三刀屋久扶だが、
その息子孝扶は魔力を感じることが出来、
みつきとイルカの獣人海渡と話が出来るようになった。
屋根に止まっていたみつきは、小さく羽を鳴らした。
『海のほうも、準備できてるよ。海渡達は毛利の船の舵壊しているはずだから
後は港にいる兵を追い払ったらいいだけ。行ってくるよ。』
そう言うとみつきはふわりと浮き上がって温泉津へ飛んで行った。
――温泉津――
ここは石見銀山で掘り出された銀を船で運び出すための港。
名前の通り温泉が湧き、海沿いに湯治場が並んでいる。
海風に交じる硫黄の匂いが鼻をくすぐり、
福原貞治は港を管理する御番所の二階ででくしゃみをした。
この福原貞治は貞俊の兄であり、福原家は石見銀山の物流、港湾を管理している。
そこへ、見張りの兵が鐘を鳴らす。
「三刀屋水軍が迫っています」
「三刀屋だと?今更ここまで何しに来たんじゃ。追い返してくれる。」
尼子が滅亡した時に毛利に下ったくせに、
尼子勝久が月山富田城と攻め獲ってからは
またもや尼子に味方している。貞治は港の外をにらみ
「今度は許されるとおもうなよ。船を出せ! 入り江に引き込んで沈めちゃる」
と兵に檄を飛ばす。
温泉津は特殊な形をしていて、長い入り江を通らなければ港に入って来れない。
入り江の両側は山でそこから船に矢を浴びせることが出来るので
ここで迎え撃つ。
攻める方は常に矢を浴びせられながら戦わなければならないため、
たまったものではない。
そこへ、兵士が階段を上がってくる。
「船の舵がすべて壊れています。使えません」
夜のうちに海渡率いるイルカ軍団が港の船の舵を全て短刀で落としているため、
船は舵がきかないが温泉津の兵は今舵が効かないことを知る。
「どういうことじゃ⁉ ......仕方がない。港の入口を固めよ。
そこまで行って錨を卸し、船をせき止め
矢を浴びせるのじゃ。」
舵が無くても、漕ぎ手で方向は調節出来る。
しかし、機動力はほとんど失うため、入り江内で戦うことは出来ないと判断し、
湊の入口で足止めし、矢を浴びせることにした。
貞治は番所の二階から入り江を睨む。狭い入り江の向こうに船が見える。
「ん?何かと争うておる?」
「報告します。益田殿の船が来て戦闘になっています」
東の見張り台から連絡を受けた兵が上がってくる。
「おお、ちょうど銀を運ぶ日じゃったか。
益田殿が来れば安心じゃ。」
石見銀山で産出された銀は毛利の海軍総大将、益田藤兼によって
堺まで運搬されていた。
貞治はかたずを飲んで沖の戦況を見守った。
益田元祥は船首に立ち、潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。
益田藤兼の長男である元祥は益田城から石見の銀を運びに温泉津へ向かっていた。
江津を出てしばらく、
海は穏やかで、春の光が波に反射してきらめいていた。
「今日も銀の積み出しだ。
温泉津は静かであってほしいもんじゃが……」
若い海将の目は鋭く、海の色の変化を逃さない。
船が岬を回り、
温泉津の入り江がゆっくりと視界に広がり始めた――
その瞬間だった。
見張りの水夫が叫んだ。
「元祥様、 入り江の向こうに……船影!!
関船二隻です!!」
元祥は即座に舳先へ駆け寄り、目を細めて海を見据えた。
入り江の奥、
湯気の立つ港の手前に、黒い影が二つ、ゆっくりと揺れている。
その船体の形、帆の色、船首の反り――
「……三刀屋の船か。」
元祥の声は低く、しかし怒りを含んでいた。
「裏切り者どもが…… 温泉津に何の用じゃ。」
部下が不安げに言う。
「ど、どうしますか、元祥様……? 港には福原様が……」
元祥は迷わなかった。
「攻撃する。」
「えっ……!」
「温泉津はわしらぁの海じゃ。 勝手に入り江へ入る船を見逃すわけにはいかん。
ましてや三刀屋の船ならなおさらじゃ! 関船2艘なんぞ、直ぐに沈めてやるわい。」
こちらは輸送艦2隻とは別に安宅船1層に関船4隻ある。問題ではない。
元祥は舵輪を握り、声を張り上げた。
「全員、戦闘準備!! 帆を張れ! 速度を上げる!!
温泉津の入り江で三刀屋を沈めるぞ!!」
船が大きく旋回し、
三刀屋の船へ向かって突進を開始した。
入り江の奥には、
湯治場の湯気が白く立ち上り、港の御番所が小さく見える。
その手前で、
三刀屋の船が静かに待ち構えていた。
元祥は舳先に立ち、
風に髪をなびかせながら叫んだ。
「三刀屋!! 貴様らの好きにはさせん!!
ここは毛利の海じゃ!! 益田元祥が相手をしてやる!!」
その声は、
入り江の岩壁に反響して響き渡った。
しかし――
その海の下で、イルカ獣人たちが静かに潜り、
三刀屋の船底へ向かっていることを、元祥はまだ知らなかった。
突然、兵士が顔色を変えて駆け寄った。
「元祥様!
船底に穴が開いとります!
このままでは舵が効かなくなります!」
「船底に穴じゃと⁉」
元祥は舌打ちし、
すぐに判断を下した。
「この船は先に温泉津へ入る!
後続の関船で攻撃せよ!」
安宅船が戦闘不能でも、
関船四隻があれば十分に勝てる――
元祥はそう踏んでいた。
だが、次の報告がその予測を砕く。
「そ、それが……関船の方も穴が空いているようで……!」
元祥は振り返った。
関船の甲板では、兵たちが必死に水を汲み出している。
「……何者の仕業じゃ……?」
「温泉津はすぐそこです!
そのまま湊へ入り、湾内で迎え撃つべきかと!」
港まで入れば、
福原貞治の兵も船もある。
入り江の両脇には弓兵も配置されている。
元祥は頷き、
舵を港へ向けようとした――その瞬間。
一隻の関船が、
大きく傾きながら沈み始めた。
水面が泡立ち、
そこから――
イルカの群れが姿を現した。
「な、なんじゃ……?」
イルカたちは上半身を海面に出し、
短刀のようなものを握っている。
「キュッキュ、キュキュー!」
何を言っているかは分からない。
だが――
あれが船底を破ったのだ。
元祥の背筋に冷たいものが走った。
そこへ、
三刀屋久扶の関船が悠々と近づいてきた。
「じゃっはっはー! 益田の子せがれよ!」
久扶は大声で笑いながら叫んだ。
「温泉津は尼子がもろうた!
帰ってお父ちゃんに泣きつくがええ!」
そう言うと、
三刀屋の船は攻撃を仕掛けず、
後方の輸送船へと向かい、あっさりと乗り移って奪い取った。
輸送船を縄で括りつけ、そのまま温泉津へ向かっていく。
「早う帰らんと沈んでしまうでぇ!
じゃっはっはー!」
久扶の笑い声が、入り江に響き渡った。
「くそっ……!あの海豚も操っておるのか......」
元祥は拳を握りしめた。
だが、どうすることもできない。
安宅船は浸水し、関船は次々と動けなくなっていく。
元祥は沈んだ船の乗組員を回収させ、江津へ引き返すしかなかった。
背後では、
三刀屋の船が輸送船を引き連れ。堂々と温泉津へ入っていく。
その光景が、
元祥の胸に深い屈辱として刻まれた。




