中国の行方と大内再誕
如水堂は、備前福岡の町並みの中にあって、
玲珠膏を求める客が列をなし、まるで市がそのまま続いているかのような賑わいだった。
如水堂の前に立つと、直家はふと足を止め、
弥九郎の方へ顔を寄せて小声で言った。
「……弥九郎。木や虫のことは、とりあえず黙っとけ」
低い声だったが、命令というより“助言”に近い響きがあった。
弥九郎は息を呑む。
直家は続けた。
「だが、冒険者の代表じゃという紹介はしておこう。
あれはもはや一つの勢力じゃ。 わしらの話にも関わってくる」
直家の目は、いつもの冷たさではなく、
“計算”と“期待”が混じった光を帯びていた。
「どうなるかは、わしにも分からん。 じゃが悪いようにはせん。
お主の話は、ここにおる連中にとっても価値がある」
弥九郎はごくりと喉を鳴らした。
──ここにおる連中?
直家は顎で如水堂の扉を示した。
「織田、小寺、赤松、そしてわし宇喜多。まぁ、本人は赤松とわしだけじゃけどな。
中国地方の行く末を決める話じゃ。 お主にも聞いておいてもらう」
弥九郎の胸がざわついた。織田の名代は木下藤吉郎
後の豊臣秀吉に違いない。これは...どんな人なんだろうか
海賊の動向、冒険者の勢力──
それらは確かに、戦の行方に影響するが
この場にいても良いのか心配になってくる
直家はさらに言った。
「海賊いや、冒険者の状況も、尼子の動きも、お主が一番知っとる。
その話をしてもらう」
弥九郎は深く息を吸った。
──逃げられない。
だが、逃げる必要もないかもしれない。
もはや尼子軍は出立したし、大内家再興も情報を出しても良いだろう
冒険者組合長として、
海賊衆の仲間として、
ここで話すべきことがある。
そこで直家は裏口に回り戸を叩く
表の喧騒とはまるで別の世界のもののように静かだった。
やがて、金の瞳をした猫の獣人が姿を現して
「......皆様お揃いでございます」
と中に招き入れた。
直家は扉に手をかけながら、
振り返って弥九郎にだけ聞こえる声で言った。
「まあ、気楽にせぇ。
ここにおるのは皆、敵ではない。
……今んとこは、なぁ」
その“なぁ”に含まれた含意が重く、
弥九郎は苦笑するしかなかった。
如水堂の奥の部屋。襖が開く。
途端、空気が変わった。
そこにいたのは、戦国の怪物たち。
赤松政秀。
木下藤吉郎。
黒田官兵衛。
そして宇喜多直家。
弥九郎が一歩踏み入れると、
官兵衛が目を瞬かせ、驚きと興味を混ぜた声を上げた。
「やや、弥九郎殿! 此度の“冒険者”の件、聞きましたよ」
官兵衛は知り合いだと隠さないようだ。
まぁ、お互いの家が福岡千件なので自然かな
直家がにやりと笑う。
「ほう、黒田殿。
既に知り合いじゃったとはのぅ。
そうなんじゃ。村上の海賊が冒険者というのに成りおった。
その冒険者は組合を作って纏まるようじゃ。
その組合の長が、この弥九郎というわけよ」
藤吉郎が腕を組み、目を細める。
「ということは……海賊は大名家には属さぬ、と。
それはまた、看過できぬ存在になりますなぁ」
弥九郎は一礼し、静かに答えた。
「冒険者はどこかに仕えるのではなく、
報酬で動く者たちでございます。
まだ出来たばかりで、海の案内は海賊時代のままですが……」
藤吉郎が首を傾げる。
「では、何が変わったのじゃ?」
「海についてはしばらくこのままですが、
赤間関から大坂まで、海賊衆を乗り換えることなく、
冒険者を雇うことで一本化しようと考えております。
その上で、運送、警護など出来ることをやっていく予定でございます」
政秀が眉をひそめる。
「……赤間関は毛利の水軍が押さえとるじゃろ。
ということは毛利の調略かの?」
冒険者組合は中立だ。しかし、ここは皆さん反毛利っぽいので
話を合わせ情報を小出しにしつつ否定した。
「赤間関については、毛利から赤間関城を攻略し、
武吉殿の長子・元吉殿が“大内”を名乗り、
赤間村上組という冒険者の組を作る予定です。
ですので、毛利の調略ではございません」
直家が政秀に向き直る。
「こやつが、赤松殿も浦上に腹立てとると教ぇてくれたんじゃ。
じゃけぇ、毛利の調略で動いとるのはどうかのぅ」
政秀は腕を組み、弥九郎を値踏みするように見た。
「ふむ……どうやって赤間関を取るかは分からんが、
宇喜多殿がそう言うなら信じとこうかの」
藤吉郎が扇子をぱたぱたさせながら口を開く。
「後は尼子の残党ですな。
黒田殿の所に兵がありましたなぁ」
健太郎の兵だ。織田方は把握していた?
官兵衛が薄く笑った。
「これはこれは……よくご存じで。
そうなんです。尼子再興軍が姫路におります。
これによって毛利は山名公に援軍を送れぬ。
そこで赤松殿の出番というわけです」
政秀が鼻を鳴らす。
「それで山名を、のぅ。
もはや但馬は我が赤松家が治めた方が良い。
そのあたりは、織田殿が将軍家を動かしてもらわねばのぅ」
赤松が山名を討つのか⁉
藤吉郎は深く頭を下げた。
「山名も名家ですが、この乱世では生き残れませぬ。
将軍家から“守護を討て”とは言えませぬゆえ、
そこは織田軍として少し手伝いましょう」
赤松が山名を討つ時に織田軍も共闘する?
そして藤吉郎は官兵衛へ向き直る。
「そうそう、小寺殿も態度がはっきりせぬ故、
黒田殿には苦労をかけますなぁ」
確かに。小寺はどちらかと言えば毛利や浦上側だ。
官兵衛は苦笑しつつも、目は鋭い。
「小寺殿は優柔不断なところがございますれば……
事後報告にしてしまおうか、と。
山名家や浦上家が無くなれば、こちらへ転がるしかありませんのでな」
小寺氏の家臣である黒田だが、家臣団の中でも力があるのだろう。
でも、主君に内緒でって
直家が地図を指し示す。
「浦上を攻めるには、兵站が肝要じゃ。
備前の山道は険しく、兵糧の運搬に難がある」
政秀が頷く。
「但馬攻めも同じじゃ。
山名の領地は山ばかりで、馬が通れん」
藤吉郎が扇子を閉じ、にやりと笑った。
「兵站が整わねば、どれほどの名将でも勝てませぬ。
信長公も常々そう申されております」
直家が弥九郎の背を押し、前へ出させた。
「そこで、冒険者組合よ」
部屋の視線が一斉にこちらへ向く。
いやいや、これでは織田一強に拍車がかかってしまう
折角毛利の勢力が弱まるというのに
直家は続けた。
「冒険者は海賊衆とも繋がりがあり、
陸路・海路の両方に通じておる。
補給、連絡、輸送──
これらを任せるに最も適した勢力じゃ」
官兵衛が興味深そうに目を細める。
「なるほど。 中立であるゆえ、どの家も使いやすい。
海賊衆の動きも把握している…… 兵站組織としては理想的ですな」
政秀も頷く。
「わしら赤松も、但馬攻めで使わせてもらおう。
山道を越えるには、こういう者らが必要じゃ」
藤吉郎が満足げに笑う。
「冒険者がどれほどのものか、見ものですなぁ
……織田の兵站にも使えるようなら 信長公に申し上げましょう。
将軍家と協力して兵を送る際にも役立つと」
直家が締めくくる。
「よし。
浦上攻めの兵站は冒険者組合に任せる。
黒田殿とわしが浦上を押さえ、
赤松殿が山名を攻める。
藤吉郎殿は織田の後ろ盾を整える」
官兵衛が地図を指し示す。
「これで備前・美作・但馬が動く。
中国地方の安定は目前ですな」
直家が弥九郎に向き直る。
「弥九郎。
お主の組合が、この戦の勝敗を左右する。
頼んだで」
断るこは出来ない...よな。僕は深く頭を下げた。
「……承知しました。
冒険者組合として、全力で兵站を支えます」
如水堂の空気が一段と引き締まった。
直家は満足げにうなずいた。
「うむ。浦上を抑えれば、備前・美作の流れは固まる」
その声は、
すでに次の戦を見据えていた。
――大内(村上)元吉視点――
海の匂いが変わったのに気づいたのは、
まだ夜が明けきらぬ頃だった。
潮の香りに混じって、どこか鉄のような、乾いた風が吹いてくる。
――あれが、赤間関。
元吉は船縁に手をかけ、
暗い水平線の向こうにぼんやりと浮かぶ影を見つめた。
胸の奥がざわつく。
恐れではない。
期待でもない。
もっと、言葉にしづらい何か。
父・武吉の声が背後から響く。
「元吉。見えたか。
あれが……大内の都へ通じる門じゃ」
その声は、いつもの豪快さを抑えつつも、
どこか揺るぎない自信があった。
元吉は振り返らず、ただ頷いた。
赤間関。
海賊の子として育った自分には、
ただの海峡にすぎないはずだった。
だが今は違う。
ここを越えれば、自分は“村上元吉”ではなくなる。
吉充叔父が静かに近づき、低い声で囁く。
「元吉。
この海を越えた先で、お前は“名”を得る。
大内の名を、だ」
元吉は息を呑んだ。
大内。
滅びた名門。
だが、父はその名を拾い上げ、
自分に託そうとしている。
元吉はもう一度、赤間関を見つめた。
――ここから先は、戻れない。
だが、不思議と怖くはなかった。
むしろ、
この海峡の向こうで待つ“新しい名”が、
自分を呼んでいるように思えた。
赤間関が近づくにつれ、
やがて、海面にぽつり、ぽつりと黒い影が浮かび始めた。
無人の船だ。
凪が甲板で縄を手早くまとめながら、
振り返ってにやりと笑う。
「元吉兄ぃ、この安宅船も全く壊れてないよ。
このままごっそりいただきじゃなぁ」
その声には、恐れよりも興奮が混じっていた。
毛利に突然刃を向けるのは避けたかった。
今までの関係を思えば、正面衝突は得策ではない。
だが──冒険者たちが“毛利軍を追い出す”役を買って出た。
どうやったのかは分からない。
ただ、船はきれいなまま、兵だけが跡形もなく消えていた。
海に残されたのは、
安宅船十隻、関船二十隻を含む百隻近い艦隊。
毛利が赤間関に常駐させていた軍艦が、丸ごと“空の器”となって漂っている。
これが、そのまま大内の戦力になる。
武吉は無言で毛利の旗を引き下ろし、
代わりに赤い布を広げた。
夕陽を受けて、銀の大内菱がゆっくりと輝き出す。
「元吉。 これは大内の旗じゃ。
今日からお前が掲げよ」
元吉は息を呑んだ。
旗の隅に、小さく波の刺繍があるのに気づく。
「……父上、これは」
「村上の血を忘れぬようにな。
だが掲げるのは“大内”の旗じゃ」
赤間関の風が吹き抜け、新しい大内の旗は大きくはためいた。
そのまま無人の船を次々と回収しながら進むと、
海峡の奥に赤間関城が姿を現した。
湊に降り立った瞬間、
ずらりと並んだ元大内家臣たちが一斉に頭を垂れる。
その光景を前に、
元吉はようやく理解した。
──ここから先は、父の背中ではなく、
自分の名で歩く道なのだ。




