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少女、未来の形に触れる

詩乃の目線です


 今日は個人的に初めての茶会だ。

しかもあの、大商人今井宗久様、小西隆佐様 

どちらも堺では名を知らぬものはございません

そして細川藤孝様。将軍家の側近中の側近!

どうしてこんなことに?

ーそりゃあ火霊も醤油もやり過ぎたかもしれないけれど......



宗久様の屋敷に足を踏み入れた瞬間、

潮の香りに混じって、どこか異国めいた香が鼻をかすめた。

南蛮香木を焚いているのだろう。堺の豪商の屋敷らしい。


「お待ちしておりましたよ。詩乃殿。今日は良き会になりますよう願っております」

お庭には藤孝様がお待ちになって下さっていました


私は思わず頭を下げた。こんな小娘のために寒空の中お待たせしてしまった。

咄嗟に

「恐れ入ります。父(明智光秀)は本日、信長公の御用にて……」

と言いかけると


「承知しておりますとも。...... ささ、宗久殿も小西殿もお揃いです。中へ入りましょう」

とかぶせるように中へ促された。

私が最後だったとは......。もう少し早めに家を出ておけば良かった。

後悔するがもう遅い



茶室へ続く細い露地は、

京のような深い趣ではなく、商家らしい実直さがあった。

平たい堺石が几帳面に並び、

その脇には灰色がかった古竹の垣が静かに立っている。


露地の奥に、茶室がひっそりと姿を見せた。


瓦屋根は浅く、冬の光を鈍く返している。

黄土色の塗り壁はところどころに土の粒が残り、

入口の前に置かれた蹲には、

冬の冷たい水が静かに満ち、侘びた風情の中に、豪商の余裕が漂っていた。


茶室に通されると、すでに宗久様と隆佐様が揃っていた。

そして、その中央に座る藤孝様。

穏やかな笑みの奥に、何かを量るような眼差しがある。


茶室に座り、火霊と醤油の話が始まる。

宗久様と隆佐様が軽口を交わし、場は和やかに見える。


けれど、もしかしたら――

今日の茶会は、ただの商いの話ではないかもしれないのだ


父の予定を藤孝様が知らないはずがない

であるならば父には聞かせられない”何か”の話を持ってきた可能性は高い

そう思うと、手のひらがじんわりと汗ばむ。


「火霊と醤油を作ったのは、詩乃殿らしいですな。」


藤孝様の言葉に、私は丁寧に頭を下げた。


「はい。今は宗久様にお任せしておりますが……

 堺で座を作り、そこへ卸す形もあるかと」


自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。


——でも、これは建前。 きっと今日の本題は、別にある。


藤孝様が、茶碗を静かに置いた。

その仕草だけで、空気が変わった。


「詩乃殿。信長公のこと、そなたはどう見ておる?」


胸がぎゅっと縮む。


父がこのまま信長公の所にいた場合は......


私は一瞬だけ目を伏せ、慎重に言葉を選んだ。


「信長公は……尊いお方だと思います。

 その……あの御方の前では、どうしても身が固くなってしまって……。

 尊敬しております。ですが……畏れも、ございます。」


言い終えた瞬間、胸の奥が熱くなった。


——父を守りたい。

その思いが、言葉の端々に滲んでしまった。


藤孝様は、静かに微笑んだ。

「若き者がそう感じるのは、自然なこと。」


その優しい声に、少しだけ救われた気がした。

藤孝様は、湊の方角を見やりながら静かに言葉を紡いだ。

「光秀殿には、これまでも将軍家のために奔走していただいております。

 その働きは、公方様も深く頼みにしておられる。」


そこまでは、いつもの丁寧な口調だった。

だが次の言葉には、わずかな含みがあった。


「......もし将軍家を中心に、諸大名が互いに力を携え、

 民の暮らしが安定する世を築くまでお力添えいただければ……

 堺の商いは、今よりもはるかに栄えるでしょうな。」



一瞬、意味が掴めなかった。


堺の商いが栄える?

将軍家を中心に?

諸大名が力を携える?


それはつまり――


“信長公を頂点に据えなくても、世は回る”ということ?


胸の奥で、何かが弾けた。


藤孝様は、信長公の家臣ではない。

父も、本来は将軍家の側近。

そして今、藤孝様は“将軍家を中心とした新しい秩序”を語っている。


その秩序には、

信長公の名が一度も出てこない。


——あ。


気づいてしまった。


父は、信長公の下に縛られずともよい未来がある。

将軍家のもとで、独自の力を持つ未来が。


藤孝様は、あくまで穏やかに続けた。

「光秀殿の才は、将軍家にこそ必要。

 その働きがあれば、乱世は必ず収まりましょう。」


表向きは礼賛。

だが詩乃には、はっきりと聞こえた。


——光秀は、信長公の“家臣”で終わる器ではない。 と


未来が、静かに形を変え始めていた。


父が……争いの渦に巻き込まれずに済む未来。

信長公のもとで命を落とすことのない未来。


そんな未来が、本当に……?


宗久様が身を乗り出した。

「ほう……“諸大名が互いに力を携える”とは?」


藤孝様は、淡々と、しかし確かな意図を持って話を続けた。


村上水軍の動き。

緩衝地帯の構想。

将軍家が“まとめ役”を探していること。


その全てが、私の胸を強く打った。


——もし、その“まとめ役”が父なら。


争いを避け、人を救う道を歩めるのなら。


私は気づけば、口を開いていた。


「……もし、父が……その“まとめ役”になられるのなら……

 争いは、今よりずっと少なくなると思います。

 堺も、京も、近国も……きっと落ち着きます。

 そうなれば、火霊も醤油も……

 もっと多くの人の役に立てるはずです。」


声が震えた。

でも、もう止められなかった。


「父は……信長公の御側にあれば、いずれ……

 争いの渦に巻き込まれてしまうのでは、と……。

 父は、もっと……人を救うことに力を尽くせる御方です。

 もし、争いを避けられる道があるのなら……

 その方が……父にも、世にも良いのではと……思うのです。」


宗久様も隆佐様も、真剣な眼差しで私を見ていた。

藤孝様は、静かに頷いた。

「……では、この件については、今後も情報を交わして参りましょう。」


宗久様が扇子を閉じ、低く笑った。

「十日に一度ほど……密かに茶を点てる場を設けまひょか。

 表向きは商いの相談、裏では……まあ、いろいろと。」


私は胸に手を当て、小さく頷いた。

「……はい。父のためにも……どうか、よろしくお願いいたします。」


——この日、私は知った。


父を救う道は、確かに存在する。


そしてその道は、

この茶室から静かに動き始めたのだ。


宗久様の屋敷を出ると、冬の夕暮れが堺の町を薄紫に染めていた。

藤孝様と隆佐様が左右に並び、私はその少し後ろを歩く。


茶会の緊張がようやくほどけかけたその時だった。


堺の入口――環濠の橋の向こうから、

重い足音と、鉄の匂いが風に乗って流れてきた。


「……軍勢、ですか?」


思わず声が震えた。


隆佐様が眉をひそめ、藤孝様は歩みを止めた。


橋の向こうに現れたのは、

黒い甲冑に身を包んだ武士たちの列。

その先頭に立つ男が、こちらを鋭く見据える。


三好政康――

三好三人衆の中でも最も冷静で、最も恐ろしい男。


隆佐様がすぐに前へ出た。

「これはこれは、三好様。堺へようこそ。」


三好様は隆佐様を一瞥し、薄く笑った。

「……小西殿。堺は相変わらず静かだな。 補給の手配、頼めるか。」


「もちろんでございます。」

隆佐様の声は落ち着いていたが、その背中はわずかに強張っていた。


三好様の視線が、私たちの後ろへと滑る。

深く頭を下げて顔の見えない藤孝様と私を見る三好様の目が細くなる。

「……そちらの二人は?」


隆佐様が一歩踏み出し、

まるで私たちを庇うように前に出た。

「堺の客人にございます。 宗久殿のもとへ商いの相談で。」


三好様はしばらく沈黙し、藤孝様をじっと見つめた。

その視線は、

“ただ者ではない”と気づいている目だった。


だが、ここは堺。

会合衆の顔を潰すわけにはいかない。


三好様は鼻を鳴らし、隆佐様に向き直った。

「……よい。小西殿、案内せよ。」


そして、三好様は隆佐様とともに小西邸の方へ歩き去っていった。


その背中が見えなくなった瞬間、

私は大きく息を吐いた。


藤孝様が、私の方へ静かに顔を向ける。

「……詩乃殿。」


その声は、茶会の時よりもずっと低く、重かった。

「三好が堺に入ったということは、

 京へ向かう準備が整ったということ。

 義昭様の御所――本圀寺が狙われる。」


将軍の手伝いをしている手前

父は本圀寺に将軍を守りに行くだろう

将軍が無くなれば、今の話は......


藤孝様は、私の震える手を見て、静かに言葉を続けた。


「……詩乃殿。光秀殿の下へいきましょうか。」


冬の風が吹き抜け、堺の町の灯りが揺れた。


私は、ゆっくりと頷いた。


堺湊に近づくと、潮の匂いに混じって、

南蛮香の甘い煙が風に乗って流れてきた。

巨大な南蛮船が沖に影を落とし、

堺の船乗りたちが小舟で往復している。


「……あれを。」


藤孝様が目を細めた先、

南蛮船の甲板で派手に動く影があった。


孫市だった。


異国の船員と肩を組み、

鉄砲の部品を見せてもらい、

まるで子どものように笑っている。


「孫市殿もおられるみたいですね……楽しそう。」


思わず呟くと、藤孝様が苦笑した。


「彼はあれでよい。

 ああ見えて、状況を読むのは誰よりも早い。」


岸辺では、父上が南蛮商人と積荷の確認をしていた。

異国語が飛び交い、落ち着いた声で応じている。

その姿は、武士というより外交官のようだった。


藤孝様が、そっと私の横に立った。

冬の海風に紛れるような低い声で囁かれる。


「……詩乃殿。頼みがある。」


その声音に、胸がひやりとした。

ただ事ではない。そう直感した。


「これから私は、お二人に本圀寺への救援をお頼みせねばなりません。

光秀殿は来てくださるでしょう。

しかし――孫市殿には、本来まったく関わりのない戦でございます。」


藤孝様は、遠く堺の町並みを見つめたまま続けた。


「どうも三好方の勢いが強い。

向こうは……二万に届くやもしれぬ。

こちらは二千にも満たぬでしょう。」


風が止まった。

世界が一瞬、音を失ったように感じた。


圧倒的に不利。

そんな戦、あっただろうか――?


だが、次の瞬間、胸の奥で何かが弾けた。


――ああ、そういうことか。


孫市様が渋ったとき、私にも“加勢を頼め”と。

藤孝様は、最初からそのつもりだったのだ。


父は、この戦では死なない。

私の知る歴史では、そうなっている。

だが歴史は変わり始めている。父も、藤孝様も、そして公方様も――

誰がどう転ぶか分からない。


ならば、少しでも戦力を増やさなければ。


けれど、十倍以上の兵力差。

孫市様を巻き込むということは――


「……私が、孫市様に死ねと申すのですか?」


口にした瞬間、自分でも驚くほど冷たい声だった。

少し意地悪だったかもしれない。


藤孝様は、静かに首を振った。

「雑賀衆が来れば、生き延びる道は開けましょう。

それに――孫市殿は、そなたでなければ動かぬ。」


その目は、冗談ひとつ含まれていなかった。


「無茶を言うておることは分かっておる。

だが、そなたの御父上の命もかかっておるのです。」


父の顔が浮かんだ。

幼い妹たちの顔も。


父が倒れれば、あの子たちはどうなる――?


私は唇を噛み、深く息を吸った。


「……わかりました。」


気づけば、足が勝手に走り出していた。


「父上!」

父がこちらを振り向く。

孫市様も、南蛮船の甲板からひょいと身を乗り出した。


「どうした、詩乃?」


息を整える暇もなく、私は叫んだ。

「……藤孝様が、お二人をお呼びです。

急ぎ、とのことです!」


私の表情を見て、父の表情が引き締まり、

孫市様の笑みがすっと消えた。


戦の気配が、堺の海風に混じって漂い始めていた。


父と孫市様を連れて戻ると、

藤孝様は堺湊の喧騒から少し離れた、

風の音だけが聞こえる場所に立っていた。


その横顔は、いつもの穏やかさを保ちながらも、

どこか張り詰めていた。


「お呼びと聞きましたが。」


父が歩み寄る。

孫市様も、先ほどまでの陽気さを消し、真剣な目をしていた。


藤孝様は二人を見渡し、

静かに、しかし確かな重みをもって口を開いた。


「……本圀寺が危うい。」


その一言で、空気が変わった。

堺の海風が、急に冷たく感じられた。


「三好が動き、家原城を落とし、堺へ兵を入れました。

 このまま京へ向かうでしょう。」


父の表情が険しくなる。

「将軍家を……。」


「はい。」

藤孝様は深く頷いた。


「公方様の御所は、今や守り薄く、

今から信長公に援軍の手紙を送っても5日~6日はかかるでしょう

その間耐えることが出来なけれがければ、公方様の御身は危うございます」


藤孝様の視線が孫市様へ向けられた。


「三好方は二万。

 こちらは協力してもらえる国衆を頼るも

 間に合う兵は二千にも届きませぬ。

 今はお一人でも、御味方が必要なのです。」


孫市様は腕を組み、ふっと鼻で笑った。

その笑みには、軽さよりも、どこか探るような影があった。


「ほう。わぇの力が要る、ちゅうわけやな。

 ……せやけどなぁ、藤孝はん。」


海風が吹き抜け、孫市様の羽織を揺らす。


「雑賀衆が将軍家のために矢面に立つ筋合いなんぞ、ほんまはあらへんのや。

 堺に来とるんも、遊び半分の手勢だけやで。」


その声音は柔らかいのに、言葉の奥には確かな拒絶があった。


藤孝様は一歩、静かに前へ出た。

その目は、孫市様の軽口を真正面から受け止めていた。


「……承知しております。

 それでも、そなたの力が必要なのです。」


孫市様は目を細め、しばらく黙った。

その視線が、ちらりと私へ向けられる。


胸が熱くなる。

――ここで私が動かなければ。


私は一歩踏み出し、深く頭を下げた。

「孫市様……私からもお願い申し上げます。

 どうか父上を、お救いください。」


声が震えた。

けれど、それが今の私の精一杯だった。


父上も静かに続く。

「孫市殿。この戦は、将軍家の命運を決めます。

 どうか力を貸していただきたい。」


孫市様は大きく息を吐き、空を仰いだ。

そして、肩の力を抜くように笑った。


「……しゃあないなあ。詩乃に頼まれたら断れへんわ。」


胸がぎゅっと締めつけられた。

嬉しさと、申し訳なさと、そして恐ろしさが入り混じる。


だが孫市様は、すぐに現実へ引き戻すように言った。

「ただな――これから紀伊まで戻っても、何人いてるか分からへん。

 まあ、援軍の要請はしてみるが……あてにはでけへんよ。」


海の向こうを見つめる横顔は、戦場を知る者のそれだった。


「そうなると、ここにおる雑賀衆五十だけになる。

 ……それでもええか?」


五十。

二万の軍勢に対して、五十人増えたところで...


息が詰まりそうになったが、孫市様は続けた。

「なぁに。五十でも、それなりの戦い方はある。

 雑賀の名、伊達やあらへん。」


藤孝様は深く頭を下げた。

「……感謝いたします。これで、道が開ける。」


光秀様も力強く頷いた。

「急ぎ京へ向かいましょう。公方様をお守りせねば。」


三人の視線が交わる。

孫市様の熱い眼差しも、今は頼もしく思える。


――どうか、無事にお戻りくださいませ。


その祈りだけが、胸の奥で静かに燃えていた。

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