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惚れと策

孫市編です

摂津と丹波の境に近い街道。

夕暮れの山影が伸びる中、土煙が上がっていた。


三好残党と思しき武装集団、三百は下らない。

その中心で、荒木家の小隊が必死に防戦していた。


「くそっ……数が多すぎる……!」

「援軍は……まだか……!」


荒木家の旗は倒れかけ、兵はすでに半数が倒れている。

その様子を、少し離れた森影からひとりの男が見つめていた。


波多野氏の密偵である。


丹波の山風に紛れ、彼はじっと戦場を見下ろしていた。


(……荒木の兵がやられるか……摂津も丹波も、まだまだ乱れとる……)


波多野氏は丹波八上城を拠点とする国衆。

表向きは信長に従っているが、心の底ではまだ疑念が消えていない。

三好、松永、若狭武田……幾度も大勢力に翻弄されてきた丹波にとって、

新たな“天下人”の登場は、希望であると同時に脅威でもあった。


(……信長という男、力はあるが、何を考えておるかわからん……

 丹波の地をどう扱うつもりなのか……)


だからこそ、波多野氏は“明智光秀”という男を探っていた。

信長の家臣でありながら、理と義を重んじると噂される武将。

その光秀の周囲に、どんな者が集まるのか――

それを確かめるために、密偵はこの街道に潜んでいた。


その時だった。


夕闇の山道の奥から、風がひとつ逆巻いた。

次の瞬間、黒い影が揺れ、

八咫烏の旗が闇を裂くように翻った。


三好残党の兵たちがざわめく。


「……八咫烏……?」

「まさか……雑賀……?」


旗の下から現れたのは、五十の影。

だが、その歩みは五十とは思えぬほど静かで、揺るぎがない。

まるで闇そのものが形を取って進んでくるようだった。


そして、その中心に――

ひときわ目立つ男がいた。


赤い羽織の裾が風に揺れ、腰の鉄砲は黒光りし、

その眼光は、戦場の喧騒を一瞬で凍らせるほど鋭い。


雑賀孫市。


ただ立っているだけで、

周囲の空気が変わる。


荒木兵のひとりが息を呑んだ。


「……あれが……孫市……?」


孫市は戦場を一瞥し、

まるで“勝敗はもう決まっている”と言わんばかりに、

軽く手を上げた。


「構えぇ。兜の者には前立て。兜のない者には槍の穂先に当てえよ!

 外すなよー。信長も三好も荒木も、 他にも見とるんがおるかもしれんでぇー。

 ええかぁ、そやつらぁに雑賀の鉄砲の宣伝したれー」


雑賀衆五十名が、一斉に鉄砲を構えた。


次の瞬間――

五十の銃口が、まるで一つの意思を持つように火を噴いた。


パンッ! パンッ! パンッ!


三好残党の兵たちの頭上で、兜の前立てが次々と弾け飛ぶ。


「ひっ……!」

「ま、前立てが……!」

「当たってへん……いや、当ててる……!?」


兜をかぶっていない者の槍の穂先には、

すべての弾が寸分違わず命中していた。


金属音が連続して響き、

槍の穂先が次々と折れ、跳ね、地面に転がる。


「な、なんやこれ……!」

「……脅しや……いつでも殺れる言うとるんや!」

「こんな正確な射撃……人間業やない……!」


三百を超える敵兵が、

五十の雑賀衆の“威嚇”だけで完全に戦意を喪失した。


孫市は追撃しない。

「散れ散れー、ははははー、これが雑賀の鉄砲じゃー」


その声は、戦場の全員の胸に深く刺さった。




森影で見ていた密偵は、

八咫烏の旗と孫市の姿を見た瞬間、息を呑んだ。


(……雑賀孫市……

 五十で三百を退けるだけやない......“戦場の空気”そのものを変える男……

 しかもなんやあの鉄砲の正確さ そら、いつでも殺せる言うてるほうが怖いはな)


密偵の胸に、静かに火が灯った。


(……信長は恐ろしい男や。いつ切り捨てられるか分からへん

 だが……明智光秀の周りには、ああいう“義のある者”が集まるんか……?)


この日の目撃は、

後に波多野秀治が光秀へ傾く“最初の決定的な種”となる。



孫市の戦いを見届けた光秀は、胸の奥に熱いものが残っていた。

(……五十で三百を退ける……あれは、もはや戦の天才だ……)


その瞬間、光秀の脳裏に“ここへ至る直前の出来事”がよみがえった。


堺の町外れ。

光秀が借りている質素な屋敷。

南蛮の品や茶器が並び、孫市は()()()からよく出入りをしていた。


その日も、光秀と孫市は摂津の情勢について話していた。


そこへ、荒い息をついた使者が飛び込んできた。

「明智様! 荒木家の兵が襲われております!」


光秀はすぐに立ち上がる。

「敵はどこだ」


「摂津の街道にて……三好残党と見られます!」


光秀の眉がわずかに動く。

(……また三好か……

 義輝公を討ち、畿内を乱し、信長様上洛後も各地で暴れ続ける……

 あやつらの残党が、まだ息をしておるとは……)


家臣が焦った声を上げる。


「明智の兵はまだ揃っておりませぬ! このままでは荒木殿が――」


光秀は一瞬、言葉を失った。

畿内の治安維持で兵は散っており、すぐに動かせるのはわずか。


その沈黙を破ったのは、孫市だった。


孫市は縁側から立ち上がり、

まるで「当然のこと」のように言った。


「明智殿。堺におるウチの雑賀衆五十人だけでええわ」


光秀は思わず孫市を見た。

「……五十で、三好の残党を退けると?」


孫市は軽く笑った。


「三百でも五百でも、散らしてみせる。

信長は試すんやろ? あいつらは烏合の衆や。

 撃つ場所さえ間違えんかったら、勝負は決まる」


光秀は息を呑んだ。


(……この男……

 自信ではない。確信で言っている……)


孫市は続ける。


「荒木の衆は義理堅い。

 助けとけば、後々ええことあるで」


光秀は静かに頷いた。


「……わかった。 孫市殿に任せる。私も向かおう」


こうして光秀と孫市は、

堺から雑賀衆五十名を率いて摂津へ向かった。


そして今――

孫市の鉄砲隊が、兜の先と槍の穂先に寸分違わず弾を当て、

三百の敵を殺さずに退けた光景を見て、光秀は呟いた。


「……なんてことだ…… あの言葉、誇張ではなかったのか……」


胸の奥に、驚愕と安堵と、

そして“確信”が湧き上がる。


(……孫市殿が味方にいるなら、 摂津も丹波も、必ず治まる……

 信長様に会わせる価値があるどころではない…… 織田家の未来を変える……)



それから数日後、京・本圀寺の一室。

新将軍が京に入ると、公家・寺社・有力武家が次々に挨拶に訪れるのが慣例で

もちろん、信長や光秀も同席していた。

義昭の拝賀を終え、国衆たちが退出していく中、

信長は光秀の方へ視線を向けた。

「光秀。摂津の件、聞いておるぞ。 三好の残党を散らしたとか」


光秀は一歩進み出て、静かに頭を下げた。

「は。 孫市殿と雑賀衆五十名の働きによるものにございます」


信長の眉がわずかに動く。

「……五十で、三百を退けたと?」


光秀は横に控える孫市を示した。

「御意。こちらは、その孫市殿にございます」


孫市は軽く頭を下げた。

その仕草は武将というより、どこか町人めいた気安さがあった。


信長は孫市をじっと見つめた。

その目は、興味と警戒が入り混じった、あの独特の光。


「雑賀の鉄砲は噂に聞くが……

 お主ほどの者が、ふらふらと堺におったとはな」


孫市は肩をすくめて笑った。


「堺は居心地がええんでな。

 戦は嫌いやないが、好きでもない。

 ただ、義理は通す主義でして」


信長は口元だけで笑った。


「義理、か。

 雑賀衆は本願寺の門徒が多いと聞く。

 宗教勢力が武装するのは、わしは好かぬ」


その言葉は、軽く放たれたようでいて、

場の空気を一瞬で締めつける重さを持っていた。


だが孫市は怯まない。

「武装してるのは宗教のためやない。 ウチの仲間と、石山を守るためですわ。

 摂津は石山の外郭みたいなもんで、三好に荒らされると困るんです」


信長「では堺はどうだ。三好の庇護下にある町に、なぜ滞在している?」


孫市は少しだけ視線をそらし、胸を押さえて、苦笑する。

「……堺は守る義理はありまへん。 わしが堺におるのは、詩乃殿がおるからですわ。

 あの娘にはやられてしまいましてな、ここが」


「孫市殿……!」

光秀は息を呑む。


信長は目を細め、興味深そうに笑う。

「なるほど。 摂津を守ったのは石山のため。

 堺にいたのは詩乃のため。 つまり――

 “雑賀孫市は、宗教でも金でもなく、人で動く男”というわけだ」


孫市は真っ直ぐに信長を見返す。

「……そういうこっちゃ」


信長は低く笑っていった

「……ならば、こういうのはどうじゃ?」


光秀が不安そうに信長を見る。

孫市はまだ意味を掴めず、首を傾げている。


信長はゆっくりと言葉を続けた。

「詩乃を……わしの養女にして、

 孫市、お主に娶らせるというのは?」


光秀「なっ……!?」


光秀の顔が一瞬で青ざめる。

孫市も目を丸くした。


信長は楽しそうに二人の反応を眺めている。

「雑賀衆を味方に引き入れるには、

 明智の娘を“織田の娘”にしてしまうのが手っ取り早い。

 どうじゃ、悪い話ではあるまい?」


光秀「し、しかし 信長様……! 詩乃はまだ――」


孫市は光秀の言葉を遮るように、手を突き出し

「むうう……それは...お断りしますわ」


信長「ほう?」


孫市は信長を真っ直ぐに見た。

「わしは、惚れた相手に惚れられるまで手ぇ出さん主義です。

 詩乃殿がわしを好いてくれたら……その時は、

 どこの娘やろうが、誰の養女やろうが、関係あらへん」


光秀「孫市殿……!」


孫市は続けた。

「けど、惚れられてもおらんのに、 政治のために嫁に来てもろうても……

 そんなん、心が抱けまへんのや。やっぱり、心も一緒に抱いてやるんがわぇの流儀だす」


信長はしばらく孫市を見つめ、

やがて、腹の底から愉快そうに笑った。

「……ははははは! 面白い!

 雑賀孫市、ますます気に入ったわ!」


光秀は胸を押さえながら、

(……信長様が本気で笑っておられる……)

と、半ば呆然とする。


信長は笑いを収め、孫市に向き直った。

「よかろう。 惚れた女を政治で縛らぬというのは、

 武士よりもよほど筋が通っておる。 そういう男は……使いようがある」


孫市は軽く頭を下げた。

「ありがとさんです」


信長は光秀に視線を向ける。

「光秀。 お前の娘は……実に良い“縁”を運んでくるな」


光秀は顔を赤くしながら、

「……は、はあ……」

としか言えなかった。

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