表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/51

石山ブートキャンプ

石山の堀に朝靄が立ちこめ、夜の名残がまだ空に貼りついていた。

城門が見えた瞬間、茶々麿の膝は勝手に折れ、石畳に手をついた。


「……つ、着いた……」


声は震え、足はもう自分のものではなかった。


門番たちは最初、玄澄の異様さに目を奪われた。

だが次の瞬間、茶々麿の顔色を見て血相を変える。


「わ、若……!? 若が倒れとるぞ!!」


「誰か水を持って来い! 息が上がっとる!」


石山の門前は一気に騒然となった。

 喧騒の中で、玄澄は汗ひとつかかず、ただ門へ向かって歩く。

まるで自分だけ別の世界の時間を歩いているかのように。


その背中を見た瞬間、茶々麿の脳裏に“地獄の帰り道”が蘇った。


最初の山道で膝が笑い始めたときだった。

「玄澄御方……ちょっと、足が……」


言い終える前に、玄澄の指先が膝に触れた。

冷たい光が走り、痛みが霧のように消える。


「……治したぞ。走れ」


その後も――


足裏が焼けるように痛むたび、

ふくらはぎが攣りそうになるたび、

呼吸が乱れて胸が苦しくなるたび、


玄澄は無言で触れ、淡い光で“修復”した。


そして必ず、同じ言葉を落とす。


「走れ」


「まだ行ける」


「遅い」


痛みが消えるたび、茶々麿はまた走らされる。

身体は治っても、心は削れていく。


夜が深まるにつれ、疲労は痛みよりも“眠気”として襲ってきた。

瞼が勝手に落ち、意識がふっと遠のく。


(……あかん……ねむい……)


だが、眠気で足がもつれた瞬間、玄澄の指先が肩に触れた。

また光が走り、眠気すら霧散する。


「……起きろ。走れ」


(……なんで眠気まで治るんや……!)


治されるたび、茶々麿はまた走らねばならない。

休む理由が、どんどん奪われていく。


(……そんなに急いで帰る必要ないのに……)


山道を抜け、平地に出る頃には、

茶々麿はもう涙が出るほど後悔していた。


(……なんで、あの時……“明朝に”って言われた時に……)


眠気と疲労と修復の繰り返し。

夜は永遠に終わらないように思えた。


平地に出た頃、玄澄の歩幅がさらに伸び、茶々麿はついに声を上げた。


「げ、玄澄御方……! もう、ほんまに……!」


その瞬間、横から柔らかな声が割り込んだ。


「玄澄御方。少し、一休みいたしませぬか」


澄蓮だった。

月明かりに照らされた横顔は、疲れ切った茶々麿には眩しいほどだった。


澄蓮は荷物の中から圧縮袋と呼ばれる、

空気と水分を中から取り除く魔道具から煙草を取り出し、

玄澄へ差し出す。


「これを。魔力の補充も致しませんと」


玄澄はわずかに目を細め、煙草を受け取る。

「では小休止にするか......」


玄澄が煙草を吸っている間、休憩することが出来た。

この時ばかりは茶々麿は澄蓮のことを神だと思った



「立て。入るぞ」

玄澄は門の前で立ち止まり、振り返りもせずに言う。


その言葉に現実に引き戻された茶々麿は震える足で立ち上がりながら、

胸の奥で静かに思った。

(……鬼っていうんはこの人のことや……)



本堂奥の間。

蓮如上人は静かに座し、香炉の煙だけが細く揺れていた。


襖が開き、茶々麿・頼旦・澄蓮・玄澄の四人が揃って入る。

澄蓮が一歩前に出て、丁重に書状を差し出した。


「蓮如上人。高野山検校・道賢様よりの書状にございます」


蓮如は書状を受け取り、静かに目を通す。

そこには、玄澄の派遣理由とともに、こう添えられていた。


――玄澄は長き時を山中で過ごし、人の世の言葉や礼法に疎し。

 失礼の段あらば、どうか御寛恕あれ。


蓮如が読み終えた瞬間、玄澄が前に出た。


「うむ。そなた……よい“魔法使い”になりそうじゃ」


茶々麿と頼旦は固まった。


((いきなり何を言うんやこの人!!))


蓮如は一瞬だけ目を瞬かせたが、すぐに穏やかに微笑む。


澄蓮が静かに頭を下げた。


「上人、書状にもございました通り……玄澄御方は、言葉選びが少々、独特にございます。

 悪意はございませんので、どうかお許しを」


玄澄は首を傾げる。


「……褒めたつもりじゃがの?」


澄蓮は微笑みを崩さず、袖をそっと引いた。


「玄澄御方、あのお方は鍛えなくてもよろしいのですよ」


「ふむ。難しいの。良い素材ではあるがの」


蓮如はそのやり取りを見て、静かに笑んだ。


「よい。検校殿の書状も読んだ。

 そなたらが石山へ来てくれたこと、それだけで十分じゃ」


茶々麿は深く頭を下げた。

「……高野山様より、“力”を授ける御方を遣わしていただけることになりました。

 どうか、石山にて鍛錬を行う許しを……」


蓮如は目を閉じ、しばし沈黙した。

やがて静かに言う。


「……学べ。

 仏法を守るためならば、手段を選ぶ時ではない。

 石山の若き者らを集めよ。

 その中から、玄澄殿が“力”を扱える者を選ぶであろう」


頼旦が一歩前に出て、柔らかく告げた。

「では、広場へ参りましょう。 本日より、“選別”を始めます」


蓮如の許しが出たその日のうちに、石山の広場は人で埋まった。


「高野山の偉い御坊様が“力”を授けてくださるらしいぞ!」

「澄蓮様もおられるんやろ!? 見たい……!」


僧兵、若い門徒、町人の若者、女房衆までが押し寄せ、

石山はまるで戦の前夜のような熱気に包まれた。


澄蓮が前に出ると、歓声が上がる。


「澄蓮様や……!」

「ほんまに来てくれたんや……!」


澄蓮は軽く手を挙げ、静かに告げた。


「皆さま。

 本日はまず、体力を見させていただきます。

 堀の周りを……走っていただきます」


ざわめきが広がる。


「え、どれくらい走るんや……?」

「三周とか……?」

「阿保、三周もはしれるかいな」


澄蓮は微笑んだまま、何も言わない。


代わりに玄澄が前に出て、淡々と告げた。


「走れ。以上じゃ」


広場が凍りついた。


((……え、どういうことや……!?))

訳もわからないまま集まった人々は不思議に思いながらも走り始めた


茶々麿は青ざめた。

ついさっき、石山に着くまで夜通し走らされたばかりなのだ。


(……僕、まだ足ガクガクやのに……! なんでまた走らなあかんねん……!)


それでも、若者たちは勢いよく走り出した。

最初は笑い声もあったが、一周、二周と進むにつれ、

笑いは消え、息が荒くなり、足がもつれ始める。


日が高くなる頃には、脱落者が続出した。


「も、もう無理や……!」

「足が……攣った……!」


倒れ込む者の前に、玄澄が無言で立つ。


指先が触れ、淡い光が走る。


痛みが消える。


「……治ったぞ。走れ」


「えっ……!? あ、足が……動く……!」


「なら走れ。遅い」


治された者は、再び走らされる。

休む理由が消え、逃げ道がなくなる。


茶々麿も必死だった。

足は棒のようで、息は焼けるように痛い。


(……泣きそうや…… これ意味あるんか?…… 昨日の夜も走ったのに……!)


澄蓮が横で静かに見守り、必要な者にだけ水を渡す。


「皆さま……もう少しです。……踏ん張ってくださいませ」

その柔らかな声が、逆に胸に刺さる。


結局これは夕刻まで続いた


翌朝。

広場に集まったのは三百人ほどに減っていた。

半分以下である


澄蓮が静かに告げる。

「本日も……走っていただきます」


玄澄が淡々と告げる。

「倒れたら治す。治ったら走れ」


「またか……!」

「昨日よりキツいんちゃうか……」


五十人ほどが帰っていった。



そして地獄の二日目が始まった。


だがこの日、異変が起きた。


倒れた者を玄澄が治すたび、

数名が胸の奥に“熱”のようなものを感じ始めたのだ。


「……なんやこれ……身体が軽い……?」

「昨日より……走れる……?」


澄蓮はそれを見て微笑む。


「玄澄御方の“治癒”は、魔力の流れを整えます。

 素質のある方は……少しずつ、感じ始めるのです」


茶々麿も、胸の奥にかすかな熱を感じていた。


(……これが……魔力……?)



三日目の朝、百ほどの人が集まる。


玄澄が淡々と告げる。

「走れ。倒れたら治す。治ったらまた走れ」


三日目ともなると、

玄澄の治癒を受けた者の中に“身体強化”ができる者が現れた。


「……足が軽い……!」

「これ……魔力で身体を動かしてるんか……?」


玄澄は今日はほとんど治療は行わなかった


夕刻、残ったのは五十人になっていた。


澄蓮は驚きと喜びを混ぜた声で言う。

「……五十人も残るとは、皆さま……本当に素晴らしい素質をお持ちです」


その中で、ひときわ異彩を放つ者がいた。

下妻雷礼である。


彼は胸に手を当て、ふと念仏を唱えた。


「……南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……」


その瞬間、身体がふっと軽くなった。


玄澄が近づき、雷礼をじっと見つめる。


「……なるほどの。

 “阿弥陀仏”というものを信じる者らが、日々の念仏で生み出しておる“想い”……

 その積み重ねが、阿弥陀仏という“力”を形づくっておるのじゃ」


雷礼は驚く。


玄澄は続ける。


「そなたは今、その力の流れに触れた。

 南無阿弥陀仏と唱えることで、皆の念が作り出した力を

 自らの身に通したのじゃ」


澄蓮が柔らかく補足する。


「 阿弥陀仏を信じ、祈り、念じる人々の心が集まって“力”となるのです。

 雷礼殿は、それを自然に扱えたのでしょう」


五十人の胸に熱が灯る。茶々麿も拳を握った。

(……僕らぁの祈りが……力になるんや…… なら、絶対に身につけたる……!)


石山の夕空が赤く染まり、

本当の修行がここから始まるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ