海賊たちの岐路
――凪視点――
能島村上の娘・凪は、着替えを済ませ、昨日まで着ていた衣を抱えて井戸端へ向かっていた。
朝、武吉に叩き起こされて以来、ずっと頭が重い。こめかみの奥がじんじんと疼く。
「凪さんは魔力をたくさん使ったからね」
起きた時に話かけてきた先生が、穏やかに笑った。
「”たまやー”で自分の魔力を限界まで引き出したんだろう。魔力が減ると体がだるくなる。弥九郎殿もほたる殿も、しばらくは目を覚まさないはずだよ」
――魔法を使ったのか、わたし。
そう思うと、この頭痛がどこか誇らしく感じられた。
そのとき、城下に響く声が空気を裂いた。
「因島が参られたー!」
見張りの海賊の叫びに、凪は思わず顔を上げる。
「……来たか」
昨夜の出来事について、武吉は
「説明するんもタイギー(めんどくさい)けぇ、もう何も言わんでええ」
と決めてしまったため、城内の誰も事情を知らない。
空を見上げると、四羽のカラスが籠を抱え、本太城へ向かって滑空してくる。
「四羽……ってことは、桜もおるんじゃろか。いや、どうなるんじゃろ」
胸の奥がざわつき、凪は自然と足を速めた。
本丸に着くと、武吉と長兄・元吉が激しく言い争っていた。
「なぜ誰にも告げず因島へ行かれたのです!
しかも桜殿まで連れて帰ったと?
健太郎殿の婚儀の準備をせよと?
毛利方には何と説明するんです!」
元吉の妻・お勝は小早川隆景の養女である。
元吉が毛利を敵に回したくないのは当然だろうと思った。
「またお勝に何か言われるんか? あん子は大内の出じゃけん、ええじゃろうが」
武吉がそれがどうしたと言わんばかりに吐き捨てる。
大内氏は毛利に滅ぼされた――実際の所、お勝はどんな心境だっただろうか。
小早川隆景の養女として嫁いできたが、もとは大内家の血を引く女だ。
誇り高く、気丈で、海賊の嫁にとか言われた時には枕を濡らしたに違いない。
そんな緊張の中、本丸に上がってきた凪が口を挟んだ。
「因島の叔父が来たよ」
武吉は本丸の窓から港を見下ろし、目を細めた。
「おぅおぅ……一人で来おったか。エーツにしちゃあ、肝が据わっとるの」
「それと、あっち」
凪が指さした先では、カラスが抱えた籠から健太郎たちが屋根へ飛び移るところだった。
「なんじゃあ、役者が揃うたじゃねぇか!」
武吉は窓枠に手をかけたまま、子どものように跳び上がった。
「先生、桜連れてきてもええん?」
窓枠を軽々と越えて入ってきた健太郎に、凪は声をかけた。
「ここはもう、ちゃんと吉充殿と話をしないといけないと思いまして」
健太郎は桜へ手を差し伸べ、そっと室内へ導く。
その横顔には、どこか覚悟を決めた者だけが持つ静かな光が宿っていた。
「ええのぅ。よし、めざしでも出しといちゃろう」
武吉が手下に命じると、干しためざしや貝、スルメが次々と机に並べられ、酒の匂いが部屋に満ちていく。
「酒を飲みながら話すことですか!」
元吉が怒気を含んだ声を上げるが、武吉はまるで聞こえぬふりでスルメをちぎり、
「酒が無うてどうやって話せー言うんじゃ!」
と豪快に笑った。
そのとき、入口の方から低い声が響いた。
「ほう、どねーな面ぁして待っとんか思やー……」
吉充が姿を現した。
すらりとした体躯に、切れ長の目。
月代を剃らず伸ばした黒髪を後ろで一つに束ねている。
武吉と同じ結い方のはずなのに、どうしてこうも印象が違うのか――凪はいつも不思議に思う。
「昨日はええ花火じゃったのぅ」
武吉ががははと笑うと、凪は(叔父さん、ぶちおこらにゃーええけど)と胸を締めつけられる思いで見守った。
吉充はふと視線を動かし、桜が控えているのに気づく。
「うん?……やはりここに居ったか。……まあ、良い。そちはこのまま行方不明になっておれ」
柔らかく目を細めてそう告げると、すぐに武吉へ向き直り、声の調子を変えた。
「昨日のは、もうええ。……せーより、けーからのことを決めん来た」
その潔さに、凪は思わず心の中でつぶやく。
(やっぱし吉充叔父は男前じゃぁ)
あれほどの大砲を青景城に浴びせたというのに、過去のことは「もうええ」と切り捨てる。
その潔さが、凪にはたまらなく格好よく映っていた。
「吉充殿! よろしいですか!」
健太郎が姿勢を正し、声を張った。
吉充はゆっくりと振り返り、鋭い眼差しで健太郎を射抜く。
「なんじゃぁ。先生もこの件に絡んどるんか?」
その目は、
――これは海賊衆の問題じゃ。部外者は黙っとれ。
そう語っていた。
だが健太郎は怯まない。畳に手をつき、深々と頭を下げた。
「む、娘さんを……さくら殿をください!」
部屋の空気が一瞬止まった。
「え?……そういうこと……」
吉充は眉をひそめ、武吉へ視線を送る。
「待て待て。昨日のは、警護衆になることを良しとせん、武吉の答えであろうが。
じゃが、そうなれば......確実に毛利と事を構えることになるで」
吉充は健太郎が尼子の者であることを知っている。
その意味は重い。
小早川の婚姻話を蹴っただけでも火種なのに、尼子に嫁ぐとなれば――ただでは済まない。
「ああ……結果は同じことであろうよ」
武吉は面白そうに酒をすすりながら言った。
「小早川には、さくらが行方知れずになったと煙に巻いておけば良いが……それが尼子に嫁いだとなったら、同じことではすまんぞ!」
吉充の声には、父としての怒りよりも、当主としての計算が滲んでいた。
「そこをええように纏めぇよーるんじゃ!」
武吉は豪快に笑い、吉充の肩を叩いた。
――吉充なら、どうにかする。
その確信があるからこその無茶ぶりだった。
吉充は深く息を吐き、健太郎を見下ろした。
この男は覚悟を決めている。
娘を奪った張本人でありながら、逃げも隠れもせず、正面から願い出た。その真っ直ぐさが、吉充の胸にわずかな波紋を落とす。
「桜は、それでよいのか?」
吉充は柔らかな眼差しで桜を見つめた。
「桜は……それが良うございます」
桜は畳に額をつけ、震える声で答えた。
「……うむ。……えかろ。ほんなら婿殿、これからもよろしゅうな」
吉充は健太郎へ向き直り、軽く頭を下げた。
「え、よろしいのですか!」
健太郎は勢いよく顔を上げ、信じられぬものを見るように吉充を見つめた。
「桜がええようにしたらええ。今までなんも我儘言わんかった桜が、やっと本心を打ち明けたんじゃ。わしとしては、その方がうれしいでな……桜、幸せになれよ」
その声は、父としての温もりに満ちていた。
桜は「おとうさま……」と呟くと、堰を切ったように泣き崩れた。
そのとき、はきはきとした声が部屋に響いた。
「それは良かったです」
若武者が姿を現す。山中鹿之助である。健太郎の腹心であり、デカ木島でもよく顔を合わせる男だ。
「鹿やん、ひさしぶり。向こうおったんじゃねん?」
京都に行っていたはずである。
凪が声をかけると、鹿之助は恭しく頭を下げた。
「ええ。そろそろ準備が整いまして、若様と共に大祝の神社へ祈願に参ろうとしておりました。若様、お久しゅうございます。それに、ここへ来て祝言までお決まりになるとは……鹿はうれしゅうございます。
…それと、もう二方、ご同行いただきました」
鹿之助の後ろから、二人の男が姿を見せた。
一人は九郎右衛門――弥九郎の父である。
もう一人は、どこか艶めいた口調の僧、健太郎の師であった。
「へぇ、福岡丸の補給で寄ろうかと思っとったところ、お二人と偶然会いましてな。デカ木島に行く言われたんで一緒に来たんですわ。で、折角近くまで来たんで、何なら少しここにもご挨拶をと思って寄らしてもろーたら……いやぁ、みなさん揃うとって、ちょうどえかったですわ。弥九郎を向かわせた日、どうしても寄れんかったけん、気になっとったんで」
九郎右衛門は相変わらずの人懐っこい笑みを浮かべている。
続いて僧が、ひらひらと手を振った。
「あらぁ、武吉ちゃんに吉充ちゃん。おひさしぶり〜。また男っぷりが上がったんじゃないかしら?」
その軽やかな声が響いた瞬間、張りつめていた空気がふっと緩んだ。
だが、吉充だけは固まったままだった。
「!! 恵瓊殿……これは、その……!」
毛利家の外交を一手に担い、小早川隆景の側近として名を馳せる安国寺恵瓊。
その登場に、吉充はどう取り繕うべきか一瞬で判断を失った。
「し、師匠。お戻りになっておったのですか」
健太郎が駆け寄り、恵瓊の手を取って頭を下げる。
「そうなのよ〜。信長が上洛しちゃったでしょ? その様子を見に京へ行ってきたとこ。これから隆景様にご報告に上がるところなの。ああ、桜ちゃんの件は知らんぷりしとくから、安心して?」
恵瓊が悪戯っぽく笑うと、吉充は胸の奥で安堵と苛立ちが入り混じった。
――また、貸しを作ってしまった。
「いい? せっかくだから言っとくけどね」
恵瓊は貝紐を噛みながら、視線を吉充に向けた。
「健ちゃん(健太郎)を尼子の旗印にして月山富田城を取り返す――これは、健ちゃんのお母上との約束。だからその件で都合の悪い話は隆景様には上げないわ。でもね、吉充ちゃん。警護衆のこと、どうするつもり?」
「それを決めに参ったところでして。海賊の行末にも関わる事ゆえ」
吉充は恵瓊に対しては、いつも以上に背筋を伸ばす。
「海賊の行末、ねぇ。......武吉ちゃんはどう思ってるの?」
恵瓊が振ると、武吉はごろんと床に寝転がりながら答えた。
「どうすりゃーなぁ。大内家が無うなったけん、吉充んとこは取引先が毛利一辺倒になってしもーた。それが元凶じゃわ」
「復活させちゃう? 大内」
恵瓊が何でもないように言った瞬間、その場の全員が声を揃えた。
「「「ええええ?」」」
「大内は去年滅んだ。でも“血”は残ってるでしょ?」
その言葉に、武吉がむくりと起き上がる。
「……そうか。お前が婿に行ったらええんじゃ」
指さされたのは、武吉の息子・元吉だった。
「お勝は正真正銘の大内の血じゃ。宗麟の弟を名だけ変えた義長とは違う。お前とお勝の子が大内を継ぐとなりゃ、あの辺の国人衆はまとまるじゃろ」
昨年、大友宗麟は弟を大内儀長と名乗らせて長門で反乱を起こしたが、大内氏とは血がつながっていなかったため、国人衆の協力はそんなに得られなかった
「それに合わせて月山富田城を攻略すれば……」
鹿之介の目がぎらりと光る。
「ちょ、ちょっと待ってください。毛利家に大打撃では……恵瓊殿は大丈夫なのですか?」
元吉が心配そうに尋ねると、恵瓊は肩をすくめた。
「私ん家、毛利に滅ぼされたの知ってるよね? 恩義もあれば恨みもある。でも、毛利だけが大きくなりすぎると、世の中の“仕事”が減っちゃうのよ」
安芸武田氏の跡取りとして生まれ、幼くして家を失った恵瓊の声音には、軽さの奥に冷えた芯があった。
「さすれば赤間関(現在の下関)を村上海賊で運用できる。さしずめ――赤間村上の大内元吉、というところか」
吉充の声には、未来を見据えた明るさが宿っていた。
だが、当の元吉は青ざめていた。
「しかし……隆景様や元就様に合わせる顔がございません。元の字まで頂いた身で……」
「なぁに、なるようになるわい。今より悪くはならん」
武吉が笑い飛ばす。
元吉が元就から一字を賜ったのは、武吉の功績があっての結果である。
「後はどう取るかですが……まず我ら尼子が月山富田城を奪い、毛利の目がこちらに向いたところで赤間関を押さえる」
健太郎の声にも熱が帯びていく。
「それとねぇ、“海賊”って名前のままじゃ受け入れられないわ。姿を改める必要があるのよ」
恵瓊が言うと、吉充が頷いた。
「いかにも。“賊”では趣が悪い。警護衆の名も、そのために考えられたのですから」
「ならば――“冒険者”というのはどうでしょう?」
今日ようやく口を開いた行長だが
その一言が、場の空気をまた大きく揺らした。




