花が咲いた夜に
桜をさらって、青景城を後にしてしばらく行くと、
海の向こうにデカ木島の黒い影が見え始めた。
ほたるが、まだ笑いの余韻を残した声で言った。
「……なんか、あっという間やったねぇ。
それにしても弥九郎、あの“吉充イイイイ”は気勢上がっとったなぁ」
弥九郎は耳の後ろをかきながら苦笑した。
「はい。最初はどうしてええかわからんかったんですが……だんだん楽しくなってしまって」
凪が横から身を乗り出す。
「そういや、あの“たまやー”ってなんなんでー?
弥九郎が叫んだら、ほんまに弾が破裂したがな!」
弥九郎は思い出して顔を赤くした。
あの時、武吉が大砲を真上に向けて撃ってくれた。
勢いに任せて叫んだ「たまやー!」が夜空に響いた瞬間、
鉛の球が大きな音を立てて破裂し、青影城の上空に光の花が咲いた。
二発目は凪が行長の拡声器を構え、
落下し始めた弾に向かって「たまやー!」と叫ぶと、
またしても空中で破裂した。
どうやら 拡声器越しに“たまやー”と言うと、弾が破裂する らしい
とわかってからは、もう全員が子どものように夢中になった。
ほたるも途中で拡声器を奪い取り、
「たまやー!」
と叫んで笑っていた。
武吉は肩で息をしながら、撃ち尽くした大砲の砲身を撫でた。
「ありゃ祭りで使うたら、えらい盛り上がるじゃろうけん。桜の嫁入りには、またこいつを使うとしよう」
その言葉に、桜はびくりと肩を震わせた。
健太郎が桜を迎えに行った時、
勢い余ってその場でプロポーズまでしてしまったという。
その瞬間、上空で花火が咲き、
光に照らされた健太郎の顔がやけに真剣で――
桜はその光景を思い出し、頬を赤らめた。
ほたるは桜の横顔をちらりと見て、口元をゆるめた。
「……ええやん。あんた、幸せそうやで」
「い、いや……!」
桜は両手で頬を押さえたが、震える声は否定になっていなかった。
胸の奥に重く沈むのは、父・吉充の顔だ。
期待を裏切った。
あの父は、いま自分をどう思っているのだろう。
11月の夜は肌寒く、罪悪感と混じり合って、桜の体をさらに震わせた。
その震えに気づいたのか、健太郎がそっと毛布を肩にかけてくれる。
優しさが触れた瞬間、胸の奥の痛みがいっそう鋭くなる。
幸せになりたい気持ちと、父を裏切った後ろめたさが、同じ場所でぶつかり合っていた。
ほたるはその様子を見て、羨望とも憧れともつかない声でつぶやいた。
「ほんま、ええなぁ」
本太城から小舟が来た東側とは反対の、西の根が張り出した入り江。
海からはただの木の根にしか見えないが、根の内側は大きくえぐれ、船がすっぽり隠れる港になっている。
巨大な木の根が幾重にも絡み合い、洞窟のような影をつくっていた。海鬼丸はその暗がりへ、静かに滑り込んでいく。
港の中は月のカケラが浮遊していて、薄暗い。
港は船とほぼ同じ高さに整えられており、乗り降りも荷の積み下ろしも驚くほど容易だった。
自然の造形とは思えないほど、そこは“使う者のために”形づくられている。
「よっしゃ、せっかくじゃから補給しとくか!」
武吉が声を張り上げ、船底から黒いケーブルのようなもの――“魔力コンセント”を引き出した。
弥九郎とほたるは、ぽかんと口を開けたまま動けない。
「……え? ……何を?」
武吉は当然のように幹へ歩み寄り、コンセントを押し当てる。
次の瞬間、木の表皮が生き物のように柔らかく沈み、ゆっくりとケーブルを飲み込んでいった。
「海鬼丸は魔力で動いとるけん、ここで補給するんじゃ」
あまりに自然な口調で言われ、弥九郎は返す言葉を失った。
「えっ……木って、こんな柔らかいん?」
ほたるが目を丸くする。
凪はくすりと笑い、肩をすくめた。
「普通の木ちゃうで、ほたるさん」
そこへ健太郎が歩いてきた。薄暗い根の影の中でも、彼の声は落ち着いていた。
「この木は“魔力を蓄える木”なんです。海鬼丸は魔力で動くので、十日に一度、ここで半刻ほど充填するんですよ」
「魔力を……蓄える……木……?」
弥九郎は呆然とつぶやき、ほたるも同じく口を開けたまま固まっている。
常識が音を立てて崩れていくのを、二人はただ見つめるしかなかった。
健太郎はそんな二人の反応を気にする様子もなく、淡々と続けた。
「魔力の補給には少し時間がかかります。中で休みましょう」
その声は、異世界の扉を開く案内人のように静かで、どこか優しかった。
扉を押し開けた瞬間、暖たかで心地の良い空気が頬を撫でた。
一本の道がまっすぐ伸びている。幅は五メートルほど、奥へ奥へと続き、五十メートルほど先には螺旋状の階段がぼんやりと浮かんでいた。天井には月の欠片を埋め込んだような光源が並び、昼のように明るい。
そして――そこにーー
六匹の巨大な蜘蛛が、道の中央でこちらを待ち構えていた。
体高は一メートル。八つの黒い眼が、まるで意思を持つかのようにこちらを見つめている。
「っ……!」
ほたるは反射的に鉄砲を構え、弥九郎は刀へ手を伸ばした。
緊張が走り、空気が張りつめる。
だが、その手を健太郎がそっと押さえた。
「ああ、心配いりません。彼らは味方です。乗っていきましょう」
健太郎はいつもの柔らかな笑みを浮かべていた。
「この島は根が複雑に張り巡らされていて、歩くと時間がかかるんです。全長2町、横も1町ほどありますからね」
武吉と凪は、見慣れているのか驚きはしないが、乗ったことはないらしい。
蜘蛛たちはゆっくりと背を向け、乗りやすいように体を低くした。
「彼らは、この木の随身の間という部屋で自分の望む形に進化できるんです。最近は大きくなりすぎて馬が使いにくくなったので、これからは彼らが足代わりになるでしょう」
蜘蛛の背には、まるで戦馬のように鎧のようなものが生えていた。
弥九郎が恐る恐る跨がると、意外にも安定していて、座り心地は悪くない。
「それでは、行きましょう」
健太郎の声と同時に、蜘蛛たちは滑るように動き出した。
スルスルと、まるで風に乗るような軽やかさで進む。
道の曲がり角も迷うことなく進み、まるで目的地を理解しているかのようだった。
速い――。
弥九郎は思わず息を呑んだ。
馬よりも速い。揺れも少ない。
ほたるも驚きに目を丸くしている。
しばらく進むと、突き当たりになった。
蜘蛛が静かに止まり、健太郎が振り返る。
「到着です。さあ、降りてください」
あの桜略奪作戦を練った応接室――前入ったちょうど反対側に到着したらしい。
健太郎の声に従って蜘蛛の背から降りると、六匹の巨体は静かに向きを変え、来た道を滑るように戻っていった。毛むくじゃらの脚が根の上を軽やかに走り、あっという間に闇へ溶けていく。
「彼らは、もとは一日の大半を食糧の確保に費やしていました。しかし、労働によって得た報酬で食糧をまかなえるようになれば、人を襲う必要もなくなる。そうなれば――人間にとっても有益な働き手になり得ます。下津井の獣人たちが、今では港に欠かせない労働力になっているのと同じです」
健太郎は歩きながら続けた。
「獣人たちも最初は大変でしたよ。言葉も通じず、習慣も違う。ですが、時間をかけて互いに学び合えば共に暮らせる。虫は頭が悪いぶん、もう少し訓練が必要ですが……可能性はあります」
そういえば――と弥九郎は思う。
下津井では獣人たちは、どこに行っても見かけるほどで、荷運びも造船も、彼らなしでは立ち行かないほどだった。かつては危険な存在であったが、今では人と肩を並べて働いている。その光景を思い返しながら、弥九郎は目の前の巨大な蜘蛛たちにも、同じ未来が訪れるのかもしれないと感じた。
応接室に入ると、健太郎が朱塗りの角樽を抱えて戻ってきた。白字で大きく〈火霊〉と記されたその酒は、灯りに照らされて妖しく光っている。
「遅くなりましたが――弥九郎さん、ほたるさんと出会えたこと。そして桜と婚姻することを祝して、乾杯したいと思います」
健太郎が静かに杯を掲げると、武吉が待ちきれぬように笑った。
「こいつぁ、どっと酔っ払うやつじゃ! 久々じゃのう」
すでに水で割った酒を豪快に飲み干し、喉を鳴らしている。
健太郎は弥九郎の隣に腰を下ろし、薄めた蒸留酒をちびりと口に含んだ。香りがふわりと立ちのぼる。
「これは蒸留酒なんですよ。この時代には本来、存在しないはずのものです。弥九郎さん、これを作った方に心当たりは?」
弥九郎は一瞬、杯を持つ手を止めた。
「……確か、今井宗久さんが扱うてました。けど、誰が作ったかまでは……」
父と同じ会合衆に宗久がいたことを思い出す。あの男は蒸留酒を売って莫大な利益を上げ、堺の商人たちがざわついていた。だが当時の行長は、それが“蒸留”という技術の産物だとは気づいていなかった。
健太郎は弥九郎の横顔を覗き込むようにして、声を落とした。
「気になりますよね。私も、ずっと気になっているんです」
その言い方は、同じ“転生者”の存在を暗に示していた。堺に、もう一人――。
弥九郎の胸に、酒とは別の熱がじわりと広がる。
「先生のー蜂さんではー分からんかったん?」
凪も火霊を飲んでいる。だいぶ酔ってそうだが大丈夫なのか?
「蜂は色んな天敵が居ますのであまり遠くには飛ばせないんですよ。
食べられてしまいますからね。
それに、こんなに流通しているということは既に工場で生産していると言うことです。
もし、蜂がたどり着けたとしても製作者まではたどり着けないでしょうね」
健太郎も饒舌になっているのであろうか
「父に手紙で聞いてみますね」
同じ会合衆なら何か知っているかもしれない
「ありがとう、ございます。それは、とても良かった。
......ところで、今日はもう遅いですし
……明日、ご自分の部屋を決めてください。
今夜はこのまま休みましょう」
健太郎がそう締めくくると、火霊の強い香りと一日の疲れが一気に押し寄せた。武吉はすでに大の字になり、凪もほたるも、杯を手にしたまま舟を漕ぎ始めている。
弥九郎もまた、温かな酔いに身を委ねた。角樽の香りが遠のき、灯りが滲む。
こうしてその夜、彼らは応接室で寄り添うように眠りに落ちていった。




