参上つかまつる
石山本願寺の朝は、まだ薄い霧が境内に残っていた。
僧兵たちの足音と読経の声が、静かに空気を震わせている。
その中を、四人が門へ向かって歩いていた。
先頭は茶々麿。
その後ろに頼旦と雷礼。
そして最後尾に孫市。
「ほな、行こか。頼旦殿」
茶々麿は、同行者の頼旦に先を促した。見送りはここまでである。
頼旦も今回の使命の重さを解っているので気を引き締めた。
「茶々麿様。道中は、わたくしめが責任をもってお守りいたします。
高野山は近頃、妙な噂が多うございますゆえ」
雷礼も続く。
「茶々麿様。規律の厳しい山でございます。
どうか、勝手な行動はなさいませぬよう」
茶々麿は鼻で笑った。
「俺、そんな子どもちゃうし。ちょっと楽しみやけどな」
雷礼は眉をひそめる。
「楽しむような話ではございませぬ」
孫市が後ろから口を挟む。
「雷礼よぅ、お主は堅いんじゃ。茶々麿はわぇの弟子やさけ、心配いらん」
雷礼は振り返り、冷ややかに言う。
「孫市殿の“弟子”というのが、むしろ不安の種でございます」
「なんやとコラ。わぇの教えは天下一品やぞ」
「鉄砲の腕は認めますが、心懸けは最低でございます」
「おう、言うたな雷礼。外出たら勝負つけたるで」
「望むところですね」
二人は火花を散らすように睨み合う。
茶々麿は慣れた様子でため息をついた。
「また始まった……。この二人、喧嘩してるようで仲ええんよな。」
頼旦は苦笑しながら言う。
「ええ、あの二人は……あれで“友”でございます。ただ、周囲の心臓には悪いですがな」
頼旦がふと孫市に向き直る。
「孫市殿。……さて、あなたはどうなさるおつもりで?」
孫市は耳を掻きながら、そっぽを向いた。
「さぁなぁ。わぇはわぇの“道”を極めるだけや」
雷礼がすかさず突っ込む。
「どうせ“女の道”でしょう」
孫市は図星を指されてどきりとしたが、胸を張った。
「当たり前や。 茶道も武道も女道も、全部“道”や。 極めるんが男の務めやろが」
茶々麿が吹き出す。
「孫市どん、それただの女好きやん」
「ちゃうわ。わぇは“美”を追求しとるんや。 茶人が茶器を愛でるようにな」
雷礼は呆れたように言う。
「……その理屈で夜這いを正当化するの、やめてくださいませ」
孫市は肩をすくめた。
「ふん。 “道”には礼儀がちゃんとあるんや」
頼旦は意味深に微笑む。
「……なるほど。では、孫市殿の“礼儀”がどこへ向かうのか……
楽しみにしておりますよ」
孫市は目をそらした。
(……詩乃のことなんて言えるかいな……)
雷礼が茶々麿に向き直る。
「茶々麿様。高野山は近頃、妙な術を使う僧が増えております。
火や水を操る者などが現れ、常人の技とは思えませぬ
そればかりか弘法大師様が蘇ったというものまでございます」
茶々麿は目を輝かせた。
「うわ、めっちゃおもろいやん。 僕、そういうの大好きやで」
頼旦は冷静に補足する。
「面白いで済めばよいのですが…… 彼らには“何か”があったように見えます。
その“何か”が、我らにとって吉か凶か……それを確かめるのも今回の役目です」
茶々麿は真剣に頷いた。
「わかった、ちゃんと見てくるわ。
そんで信長に対抗するために高野山と同盟を組む」
雷礼も深々と頭をさげた
「行ってらっしゃいませ。
……そして孫市殿は、結局どうされるんで?」
「んんー? わぇは......自分の“道”を行く。
……まぁ、石山に迷惑かける気はないけどな」
孫市は横を向いて耳を触る。
都合が悪いと良くこの仕草をすることを雷礼は知っているが、
迷惑はかけないと言っているので信じるしか無い。
一応は何でも対処しとこうとは思うが
茶々麿が振り返り、孫市に手を振る。
「孫市どん。ほな、行ってきます。帰ったらまた鉄砲教えてや」
孫市は笑った。
「おう。はよ帰ってこい。わぇの弟子は、優秀なやつだけやさけな」
茶々麿は少し照れたように笑い、頼旦と共に門をくぐった。
二人の背中は、朝霧の向こうへ消えていく。
雷礼が振り返った。
「孫市殿。……何かあったらすぐ言ってくださいね」
孫市は手を振った。
「心配すな。わぇは大人や」
雷礼はため息をつき、本堂のほうへ消えていった。
孫市はしばらく雷礼の消えた方向を見つめていたが――
「……さて。わぇは わぇの“道”を行くで」
そう呟くと、石山の町の方へと歩いていった。
そして翌朝。
石山本願寺の僧兵たちが気づいた時には――
孫市の姿は、どこにもなかった。
ーーー詩乃目線ーーー
朝の光が障子を透かし、屋敷の廊下に淡い影を落としていた。
詩乃は文机に向かい、宗久から預かった堺の商況報告を整理していた。
詩乃の開発した蒸留酒の売れ行きは好調。
南蛮商人にも評判で、宗久は笑いが止まらないらしい。
(……宗久様があれほど喜ばれるのは、少し誇らしいですね)
そんな穏やかな気持ちで筆を走らせていると、
家人が控えめに声をかけた。
「詩乃様。……お手紙が届いております」
「手紙? どなたから?」
家人は少し困ったように眉を寄せた。
「雑賀の……孫市殿と名乗る方より」
詩乃の手が、わずかに止まった。
(……孫市様? はや!)
封を切ると、中には短い文が一枚。
”明日の昼過ぎに参上つかまつる”
詩乃はしばらく固まった。
(……短い…… けれど……なんでしょう、この……圧……)
たった一行なのに、孫市の“熱”が紙から立ち上ってくるようだった。
(宗久様の屋敷を出た翌朝……わざわざ家の者に預けて……私には会わずに帰られたのですね)
胸の奥が、少しだけざわつく。
(……会わずに帰られたのは……むしろ助かりましたけれど……)
孫市のあのまっすぐな視線を思い出すと、どうにも落ち着かない。
(……ああいう“熱”を向けられるのは……正直、ただただキモい……)
自分でも理由は分かっている。前世の記憶が、どうしても邪魔をする。
(……私は“男”として生きていた時間の方が長い。だから……こういうのは……)
詩乃は小さく息を吐き、手紙を畳んだ。
(……でも、政治的には重要なお方。信長様にお会いしていただくためにも……きちんとお迎えしなければ)
書院に向かうと、光秀がすでに茶を淹れていた。
「父上。……雑賀衆の方から手紙が届きました」
光秀は顔を上げる。
「雑賀衆? 宗久殿の紹介か?」
「はい。孫市様という方です。明日の昼過ぎに参上されると……」
光秀は手紙を受け取り、目を細めた。
「……ふむ。雑賀衆の頭領が、わざわざ明智家に来るとは。宗久殿が何か動いたのかもしれぬな」
詩乃は静かに頷いた。
(……宗久様の動き、ということにしておきましょう)
光秀は続けた。
「雑賀衆は本願寺と深い。 信長様にとっても重要な勢力だ。
まずは我らが話を聞こう。詩乃、お前も同席せよ」
「承知いたしました」
詩乃は深く頭を下げた。
(……孫市様。 どんな顔で来られるのでしょう)
胸の奥がくすぐったく、そして落ち着かない。
(……いや、くすぐったいというより…… 胃が痛い……)
次の日
門番の声が屋敷に響いた。
「――来訪者あり! 雑賀の……孫市殿です!」
詩乃の心臓が、ひとつ跳ねた。
(……来た…… ……胃が痛い……)
廊下の向こうから、足音が近づいてくる。
堂々とした、しかしどこか荒っぽい歩き方。
やがて、客間の襖が開いて、陽の光を背に、孫市が姿を現した。
日焼けした肌に、無駄に自信に満ちた目
そして、詩乃を見るときだけ妙に“熱い”視線
(……うわ…… やっぱりキモい……)
しかし詩乃は表情を崩さない。
孫市は詩乃に軽く頷き、すぐに光秀へ向き直った。
光秀は静かに立ち上がり、礼を返す。
「遠路はるばる、ご苦労であった。
明智十兵衛光秀と申す」
孫市は胸を張り、堂々と名乗った。
「雑賀孫市や。 今日は、話があって来た」
光秀は微笑を浮かべた。
「宗久殿から、そなたの名は聞いている。鉄砲の扱い、天下一品とか」
孫市は鼻で笑った。
「まぁ、わぇより上手い奴はおらんやろからな」
(……初対面でそれ言えるの、逆にすごい……)
光秀はその豪胆さに、むしろ興味を示したようだった。
「なるほど。では、まずは腰をお下ろしくだされ」
孫市は座りながら、ちらりと詩乃を見る。
その視線が、また妙に熱い。
(……やめて…… その目……ほんと無理……)
しかし詩乃は微動だにしない。
数々の功績を生み出している今や”信長の相談役”としての顔を保つ。
光秀は茶を一口飲み、静かに切り出した。
「さて、孫市殿。わざわざ明智家を訪ねて来られた理由……
聞かせていただけますかな」
孫市は迷いなく答えた。
「信長に会わせてほしい」
光秀の目がわずかに細くなる。
「……ほう。雑賀衆の頭領が、織田信長に、か」
孫市は頷いた。
「わぇは、信長っちゅう男を見てみたい。
話してみたい。 そんで、決めたいんや」
光秀は扇子を閉じ、静かに言った。
「何を、決めると?」
孫市は一瞬だけ詩乃を見た。
その視線がまた熱い。
(……やめて……ほんとに……)
そして光秀へ向き直り、言い切った。
「――わぇが行く “道” の行き先や」
光秀はしばらく孫市を見つめ、やがて小さく息を吐いた。
「……なるほど。 宗久殿が後ろ盾となり、詩乃が取り次ぎ、
そなたがここに来た理由…… ようやく分かった」
詩乃は一瞬だけ肩を震わせた。
(……父上、それで分かったの?
…そして“詩乃が取り次ぎ”は違います…
...勝手に来ただけです……)
光秀は続けた。
「孫市殿。 信長様に会わせることは可能だ。
ただし――」
孫市が身を乗り出す。
「なんや?」
光秀は静かに言った。
「信長様は、そなたのような“真っ直ぐな男”を好む。
だが同時に、試すお方でもある。 覚悟はありましょうや?」
孫市は笑った。
「覚悟なら、とっくにできとる」
その笑顔は、詩乃から見れば“キモい”が、武士から見れば“豪胆”だった。
光秀は満足げに頷いた。
「では――詩乃。 信長様への取次ぎ、頼めるか」
詩乃は静かに頭を下げた。
「承知いたしました」
(……はぁ……
また胃が痛くなる仕事が増えました……)




