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あなたの未練 お聴きします  作者: 小山洋典
最終話 君の笑顔に花束を(下)
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エピローグ

 実習最終日は、いつものように、何ら変わりない日としてやって来た。

 ごみ溜めになっている執務室を手際良く片付けると、ソファで眠る先輩を叩き起こし、朝一番に、少し強めのインスタントコーヒーを先輩に入れて手渡す。

「おう、ありがとう」

 先輩は眠そうな声でコーヒーカップを受け取ると、一口口に含んで、満足気に、

「うまい、やはりコーヒーはインスタントに限る」

 と、いつもの言葉を口にする。

 私は、そんな先輩の言葉を受け、

「先輩、今日は私も頂いてよろしいですか?」

 そう微笑んだ。

「――そう許可を得る前に、自分のカップにコーヒーを入れているところに、成長のしるしが見えるな、ん? 実習生」

「遊馬です。最後まで、そう言わせるんですね」

 先輩は肩をすくめると、

「さて、実習生、お前の実習も今日で終わりだ。笹峯からの一級エージェントとしてのオファーを蹴ったお前は、この先、どうするつもりだ?」

 先輩のその問い掛けに、私は、「決まってます」と答えた。

「エージェントになります。――私は先輩のような一級エージェントになりたいです」

 先輩はその答えに、頭をボリボリ掻くと、「一級ねぇ……」とひとりごちた。

「お前に言われると、『一級』の意味がどうも曖昧になるようになってしまったな。俺たちは、結局のところ、何を指して『一級』と呼ばれているのか、とな」

「それは、先輩の指導の賜物です」

 そう言って笑う私に、

「言うようになったな」

 と、先輩は苦笑した。

 

 RRRRRR――。

 

 デスクの上の電話が鳴った。

 先輩が、面倒そうに電話を取る。

「はい、新藤――ああ、紗奈さんですか……はい、そうですか。……わかりました。今から行きます」

 そう柔らかい声で手短に言うと、私に向かって、

「紗奈さんが、『行動化』を起こしたらしい。朝から億劫だが、これが仕事だ。行かないとな」

「私も行きます。最後の仕事ですからね」

 飲みかけのコーヒーをデスクに置いて、張り切っていう私に、だが、先輩はかぶりを振った。

「――いや、俺も、そろそろ卒業しないとな。恭子さんからも、――お前からも」

 そう、諭すような、包み込むような優しさで、私に言う。

「いろいろと学ばせてもらったよ、実習生。お前を通して、俺は俺自身を見つめ続けることができた。でも、これで――」

 その瞬間、私はとうとう『別れの時』が訪れたことを知った。

 『未練』からも。

 クライエントからも。

 ――そして、先輩からも。

「お別れだ、二階堂……遊馬」

 私は、天を仰いで目を瞑ると、そのままゆっくり顔を下ろして、静かに頷いた。

「――はい」

 最後の最後は、泣かないことに決めていた。しかし、とめどなく押し寄せてくる今までの様々な出来事が、涙の海の堰を切りそうになっていた。

 先輩は、ポンポン、と私の頭を叩くと、

「成績は、優だ。掛け値なしに、贔屓目なしにな。よく頑張った――そして、ありがとう」

 少しぶっきらぼうにそう言って、ソファの奥の目の届かない隙間から大きな花束を取り出した。

「今日も、お墓参りに行かれるんですね。それとも、紗奈さんに?」

 そういう私に、先輩は、苦笑いを返した。

「いや……この花束は、お前への……その、お祝いにな」

 一瞬の空白の後、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。

「――え?」

 全く予想してなかったことだ。

 ……こんな不意打ち、ズルすぎる。

「ありがとうございます」

 私は、嬉しさと感慨深さにいっぱいになり、溢れ出そうになる涙をこらえて唇を噛みつつ、礼を言った。

「それじゃ、そろそろ俺も行くとするか。お前は、このまま振り返らずにここを出て行くんだ。いいな、これが本当のお別れだ。――さよなら、遊馬」

「……はい、先輩」


 私は踵を返し、歩き出す。

 これが最後。

 この執務室も。

 このカツカツと時を刻む時計の音も。

 コーヒーの匂いも。

 ――そして、先輩も。

 私は歩き出さなければならない。

「――」

 しかし、最後の最後で、私の足は、私の命令を裏切った。

 私はふと立ち止まって、小走りに先輩に駆け寄った。

「――実習……?」

 嗜めようとする先輩より早く、私は背を伸ばして、先輩の無精髭の生えた頬にキスをした。

「……何をする、実習生」

 しばらくの間、頭をその大きな胸にあずけていると、ややあって、先輩が、やられた、というようにぼそりと言った。

 私は「えへへ」と笑うと、

「……仕返しです。今まで私にしてきた先輩の意地悪への。そして、最後に、こんなふうに私を泣かしたことに対しての」

 私は泣かないと決めていた涙をひと雫こぼし、指で拭った。

 そうして、再び身を翻すと、執務室のドアまで駆けていった。

「さようなら、先輩! 今まで、本当にありがとうございました!」

 私はもう振り返らず、未練を断ち切るかのように大声でそう言って、ドアを開けた。

 

 ドアが閉まる音を確認して、私は事務所を見上げる。

 外観は何の変哲のない、古ぼけた事務所。

 ここは、人間界にあって、人間界を超えた場所。

 道端の小石のように、そこに『あるだけ』。存在意義すら知れない建物だ。

 

 私は、慣れ親しんだその建物に、大きく一礼をすると、本当の、最後の別れを告げることにした。

 

 

***



「……それで? 実習を終えての最終レポートがこれかね、二階堂?」

 教授は、苛立たしげに教鞭をパシパシと手のひらに叩きつけながら、皮肉たっぷりに言う。広いゼミ室で、最後のレポートを提出した私は、以前と変わらず、教授の怒りの槍玉に挙げられていた。クスクスという、悪意を込めた笑い声がそこかしこから聴こえてくる。

「……まったく、お前というやつは。実習では『優』をお情けでもらったみたいだが、実習の前も後も、何も変わってないな。それで、立派なエージェントになれるとでも? 人間の幸せなど、そもそも『エージェント』の関わることではないと――」

「いえ、教授――」

 教授の言葉を遮って、私は言った。

「それでも、私は人間たちに『YES』と言い続けます」

 そう言い切って、私は教授が絶句するのを涼しい顔で受け流した。




 吉住教授のところへ実習への後押しをしてくれた礼に改めて訪れると、教授は相変わらず人外魔境となっている部屋で紅茶を入れてくれ、私のとめどない実習話に、「あらあら」「そう、それで?」と、穏やかな表情でコクコクと頷いてくれた。


 話の花もひとしきり咲き終えたところで、忘れていたことを思い出したように、吉住教授は私に尋ねた。

「――そういえば、遊馬ちゃん。最終レポートの成績はどうだったの?」

 

 その問い掛けに、私は紅茶を一口飲むと、あらかじめ用意しておいた、今までで最高の笑顔で応えた。



「『可』でした。再提出で!」



<『君の笑顔に花束を 下』 ――あなたの未練お聴きします―― 了>

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